「深川八幡祭り」 水かけ祭りとして知られる東京・深川の夏祭りの風景
公開日: 2023年8月13日 | 最終更新日 2023年8月16日
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深川八幡祭り~プロローグ~
町のそこかしこに、ポリバケツや容器がおいてあります。その中には水がためてあり、大抵小さなバケツや洗面器なんかが浮いているのです。東京の下町・深川の夏のある日の光景です。
富岡八幡宮の例大祭「深川八幡祭り」
2023年8月13日、東京・深川にある富岡八幡宮の例大祭「深川八幡祭り(深川八幡まつり)(深川祭)」の連合渡御が行われました。
小笠原諸島の海上付近から北上してきた台風7号が本州に近づきつつあり、抜けるような青空だった前日と比べ、時折激しい雨が降る生憎(あいにく)の空模様ではありましたが、コロナ禍を経ての久しぶりの開催(6年ぶり=本来は3年に1度、本祭が開催されます)であったこともあり、53基の町神輿が練り歩く連合渡御はまさに圧巻。時には前が見えないほどの土砂降りの雨の中でも人々の熱気は冷めることもなく、むしろその熱気で降り注ぐ雨のほうが瞬時に蒸発していくのではないかと思うほどに大いに盛り上がりを見せました。
江戸三大祭の一つ
江戸三大祭の一つに数えられる「深川八幡祭り」は、通称「水掛け祭(水かけまつり)」とも呼ばれます。文字通りお神輿の担ぎ手らに沿道の人々がバケツなどを使って水をかける祭りなのです。この「水をかける」という行為には清め(浄め)の意味があるのですが、水をかけるほうもかけられるほうも、「水」を介して「一体」となるかのごとく盛り上がるのが大きな特徴です。(特に水を掛けるほうは、人によっては童心に戻ったかのように嬉々として無邪気に水をかける様子の人もいて、とっても楽しそうなのです。)
勇壮で激しい神輿の渡御でありながら、ややもすれば猛り狂って暴走しがちな「熱」を、「水」が上手いこと穏やかに冷ましてくれるのか、とにかく、不思議と平和で穏やかな雰囲気が周囲を包み込む祭りであり、その様子にまるで担ぎ手と観衆がしばし同化しているかのような錯覚さえ覚えるのです。
ちなみに祭りによっては雨天中止や延期という場合もあるかと思いますが、この深川八幡祭りは「水かけ祭り」なので、少々の雨風でも気にすることなく「雨天決行」です。今回も、台風が近づきつつある中でも普通に開催されたという訳でした。
「天」からも「清めの水」が降り注いでいるかのような激しい土砂降りの雨の中を進むお神輿
前日までに行われていた町神輿渡御の際には、町内の細い路地では各家庭がポリバケツや水槽などに水を張った状態で置いておき、町神輿の賑やかな掛け声が近づいてくると家々から一人二人と人が出てきて、バケツやひしゃく、場合によって、庭に水を撒くのに用いられる散水ホースなどで水を掛けます。
路地を行く町神輿と水をかける人々
その様子は、なんとも平和で和やかでいい感じです。担ぎ手や関係者らはその度ごとに水を浴びるので、衣装も髪も含めて全身びしょ濡れとなるわけですが、先ほど説明した通り、水をかけることには「お清め」の意味があるので、水をかけられた担ぎ手や関係者らは「(水をかけてくれて)ありがとうございます。」と御礼を述べたりするわけです。(全ての人がその都度お礼を言うわけではないのですが、路地裏でしばしば耳にしました。)その様子もなんだか人情味があって心温まる光景です。
清澄通りを封鎖する警察バス
一方、連合渡御の当日は午前中から警察の大きなバスが出て、清澄通りなど永代通りへと繋がる大通りを封鎖し、永代通りは通行止めとなります。そして、およそ8キロメートルに渡り、ぐるりと渡御してきた神輿が永代橋を渡り、富岡八幡宮へと練り歩いていくのですが、片側3車線の大きな幹線道路である「永代通り」では、路地裏とは趣が少々異なり、水の掛け方も豪快になります。消火栓などからトラックへ太いホースで注水し、荷台に乗った幾人もの男たちがバケツを使って次から次へとバシャバシャと水をかけていくのです。
繰り返しになりますが、水をかける行為は「清め」であるので、水を掛けるほうには一切の躊躇がありません。時には担ぎ手だけではなく、観衆のほうまで水が飛んできます。
少し離れて見ているだけでも「清めの水」が飛んできて、びしょ濡れになる可能性がある、それも「水かけ祭り」の醍醐味の一つなのです。
さらには、(沿道の警備などで警察がお祭りに協力するのはどこでも見られる光景ですし、花火など火が用いられる祭りでは消防も協力している光景は各地で見かけますが)この深川祭りでは事故災害対応だけではなく「水をかける」ことも消防署全面協力なのです。
よく考えてみれば、「水をかける」ことに関しては消防士さん達は専門家であり、プロフェッショナル集団な訳です。そんな消防署に準ずる消防団に属する彼ら彼女らが、普段は火を消すために用いるホースを両手にしっかりと持って、前を通る神輿の担ぎ手らにこれでもかと水をかけます。
当然、水圧は一刻を争う実際の現場と比べればだいぶ落としていることだとは思いますが、それでも消火栓から、次から次へと送り込まれてくる水の粒子の集まりたちが、消防団員の持つホースから飛び出て、「清めの水」となり神輿や人々に降り注ぐその光景は壮観です。
観衆に注意を促すDJポリスと土砂降りの中の警察官
日々私たちの暮らしを守ってくれている警察や消防が、「凶悪な犯罪」や「大変な火事や災害」への出動ではなく、もちろん神事であり大切な行事ではありますが「祭り」という人々の楽しみ、喜び、笑い、「純粋なる情熱の迸り」を見守り、応援してくれているということ、それがまた何とも和やかで微笑ましく心がほっこりとするのです。
人々がこの日ばかりはと、心から情動を解き放ち、憂さや悩みや「もやもや」なんかと共に一心不乱に放出する膨大な「熱」を、「水」が、「人々」が、穏やかに優しく抑える役目をしているその様子は、なんとも幸せな光景であったりします。
そこには善意があり良心がある、そんな気がします。争ったり戦ったり怒ったり憎しみあったり、心が疲弊するようなことが数多くある世の中で、その一瞬だけは木漏れ日が差し込む穏やかな森の中のように平和で心温まる空間なのです。
それは、大小さまざまな事柄が、望むと望まざるとにかかわらず押し寄せてくる私達の人生において、しばし幸せな溜め息がつける「幸福な時間」にほかなりません。
人と祭り 出会いと別れとお祭りと
ニュースなどを見るまでもないことですが、世界中で今日も沢山の人が生まれ、様々なスタイルで日々生活し、中には戦争や災害に巻き込まれてしまう人がいる一方で何事もなく平和裏に穏やかに生きる人もいて、それぞれの時間を過ごし、そして亡くなっていきます。
それぞれの人に様々な人生があり、出会いがあり別れがあり、多種多様な運命があり、銘々色々な感情と気持ちを抱いて、そうして生きています。
例えば入園、卒園、入学、卒業。例えば進学や就職や転職や離職、移動や留学や引越。そして結婚などなど。
その時々の年齢やその人の夢や希望や環境や状況、その他の様々な理由と要因で、人は人や何かと出会い、離れ、それを繰り返していきます。
喧嘩して仲たがいをすることもあれば、また仲直りをすることもあるでしょう。些細なことですれ違うこともあるでしょう。ふとした拍子に無くしてしまうものもあるでしょう。いずれにせよ、何かに左右され、時に右往左往し、そして生きていく訳です。もちろん人間関係だけではありません。自然環境、天災、人災などによっても人は大きく左右されます。
その時々に何か大切なものを得たり、特別な何かを失ったり。病にかかることもあればケガをすることもあるでしょう。ほかにも経済的なことや住んでいる環境、勉強や仕事や生活などの悩み苦しみ。様々なものに惑い、翻弄され、「答え」を探しながら、そもそもの「問い」が何だったのかを考えながら、生き、暮らし、やがてこの世から去っていきます。
喜びがあり、悲しみがあり、驚きや悲嘆や絶望や感動や興奮があったりします。
全ては何かの縁なのかもしれないし、偶然なのかもしれないし、必然なのかも知れない。前世の行いなのかもしれないし、日頃の行為や心掛け、心構えなのかも知れません。神の采配なのかもしれないし、神の悪戯なのかもしれない。たった一つのことかもしれませんし、もしくは複雑な組み合わせかもしれません。いずれにせよ、理由はどうあれ、私達は今日を生き、明日を生き、次へ次へと時を繋げていきます。成長するためのきっかけ、良くなるための試練、何かに繋がるプロセス。今日よりも明日が、明日よりも明後日がよくなると信じて。本当に必要なものは何か、自分にとって相手にとって、誰かにとって、何が大切で何が大事なのかを考え、見定め、悩み、苦しみ、兎にも角にも今日も生きていくわけです。
世は理不尽、不条理に満ちています。無情なことが絶えません。その一方で、喜びや感動もそこかしこにあります。たとえそれが少しの間のことであっても、すぐ身近な所に無上の喜びがあったりもします。
そうした、時に苦しく時に幸せな人生の一瞬を、日本人は様々なものに神を見出すことで過ごしてきました。大いなる存在を信じ、守り、祈ることで、生活の支えとしてきました。自然に感謝し、自然の中に神性・神聖を見出し、見えない存在に畏怖し、謙虚になり、感動・感激し、暮らしてきたのです。
自然信仰は修験へと繋がり、そして神道となります。「神道」と一口に言っても、それは後世の人たちが分類し区別し系統立てただけの話であり、各地に様々な「神道」があり、祈りのスタイルや行事の形式なども含め、大変バリエーションに富んでいることをご存じの方も多いでしょう。そうした「神道」の大切な拠点であり規範である「神宮」「大社」「神社」のほぼ全てに、形式として行事として「祭り」というものがあるわけです。
それは神への感謝の方法であり、儀礼です。厳かな行事であり、神聖なる事象です。さらには自分に関わりのある人や周りの人達への感謝であり、様々な願いです。それと同時に、刹那的な発散であり、命の輝きであり、日常的にはなかなか出来ない心と体の表現であり、情熱の吐露であったりもします。
そんな激しく情熱的で、場合によっては暴力的、破壊的にもなりかねない、大勢の人間の全身からの熱の塊の放出を、沿道の人々が清めの水を掛けることで穏やかな形で昇華させ、素敵な形で霧散していくこの富岡八幡宮の水かけ祭りの美しさは、とても尊い素晴らしいものであったのです。
自分に関わる全ての人を幸福にすることは中々難しいのかもしれませんが、可能であるならば、少しでも誰かの幸福になることができればと思います。そのためにしなくてはいけないこと。すべきこと。そんなことを思うことができたのも、深川八幡祭りのお陰、そして自分に関わりのある人達のお陰なのかもしれません。そして、それこそが「祭り」の本質的な意義なのかもしれないとも感じたのです。
深川八幡祭り~エピローグ~
神輿が出てそこに担ぎ手がいる限り、激しく勇壮で情熱的な側面も当然大いにありますが、この「深川八幡祭り」ほど、同時に和やかさと優しさと穏やかさを兼ね備えた祭りも、あまりないのではないかとつくづく思いました。
以前にも「深川八幡祭り」には来たことがありましたし、今年も浅草の三社祭を初め、数多くの祭りを目にし、体感し、感動して来ましたが、今回すっかり「深川八幡祭り」の虜になってしまったのでした。今までに見た100以上の祭りの中でもトップクラス間違いなしの祭りです。
個人的な話しではありますが、その陰には、今回たまたま縁があって長時間、時を共にし、この貴重な機会を与えてくれた大切な友人達の存在があったことも記しておきたいと思います。彼らの素敵なホスピタリティと寛容さとノリがなければ、この祭りの魅力に気が付くことはなかったかもしれません。
いつの間にか感情の大部分がどこかに行ってしまったその上でもなお悲しく残念に思う出来事が最近幾つか勃発し、さらにはお天気アプリの告げる当日の悪天候の予報もあって、今回は深川八幡祭りに来ることは断念しようかとも思っていたのですが、思いがけずとても貴重な時間を過ごすことができました。改めて様々なことに気づかされ、様々なことを考えた時間にもなりました。本当にありがたいことです。今後どうしていくのかどうなるのか結論も出ませんし先もまだ見えませんが、善意と良心を大切にしたいと思います。
というわけで、未だ冷めやらぬ感動と感激の中、感謝を込めて、そろそろ筆をおきたいと思います。
縁があってこのページを見て下さっている方に、ほんのおすそ分けというわけではないですが、祭り当日の写真をもう何枚かご紹介します。年齢もバックグラウンドも様々な「水も滴る良い女と良い男」が繰り広げる「深川八幡祭り」の美しくて勇ましくて優しくて穏やかな情景を少しでも感じ取っていただければ幸いです。
深川八幡祭り(深川祭)詳細データ
富岡八幡宮例大祭(とみおかはちまんぐうれいたいさい) DATA
- 場所: 〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目20−3
- 交通(公共交通機関で): 東京メトロ東西線門前仲町駅から徒歩5分
- 交通(車で): 例大祭開催日前後はコインパーキングが山車などで満車になることも多く、周辺道路は交通規制もあるので公共交通機関の利用をおススメします。
- 例大祭 開催日時: 例年8月15日前後
- 問い合わせ: TEL 03-3642-1315 FAX 03-3642-5580