北口本宮冨士浅間神社
公開日: 2006年11月14日 | 最終更新日 2024年4月22日
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富士の麓の神社
富士山の山梨側の麓にある北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は甲斐の武将、武田信玄の信仰も受けた由緒ある神社だ。社伝には日本武尊の名も出てくるという長い歴史を持ち、古来より貴族庶民を問わず多くの人々の崇敬を集めてきた。その名の通り、富士山信仰と深い結びつきを持つ富士浅間神社の一つで、富士山の登山道の起点の一つ、富士吉田口にあって、江戸時代には富士山を信仰の対象とする富士講の人々に拝された。神社周辺には御師(富士講でやって来る人々の先達を担う)の宿坊が100軒近く立ち並んでいたという。(今でも、富士吉田の町にはその名残が点在する。)
祭神として、火山鎮護の神でもある木花咲耶姫(木花開耶姫・木花之佐久夜毘売=このはなのさくやひめ)のほか、彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)が祀られている。1615年(元和元年)造営の本殿、1561年(永禄4年)に武田信玄が再建した東宮本殿、1594年(文禄3年)造営の西宮本殿がそれぞれ国の重要文化財に指定されている。
2013年には、須走口登山道、吉田口登山道などと共に、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成要素「富士山域」の一部として、世界遺産に登録された。
行楽シーズンにはしばしば大渋滞を起こす旧鎌倉往還(国道138号線)も春前の静かな時期には比較的スムースに流れ、駐車場へも順番待ちをせずにすんなりと入ることができる。車を止め、往還に面した入り口から境内に足を踏み入れると、鬱蒼と茂る樹齢数百年の杉並木が出迎えてくれた。凛とした空気があたりに満ちている。
雪の積もった参道を200メートルほどだろうか、進んでいくと立派な大鳥居が見えてくる。その奥には国指定の重要文化財でもある「随神門(ずいしんもん)」、門をくぐると同じく重要文化財に指定されている神楽殿、手水舎、そして拝殿、東宮本殿、西宮本殿といった錚々たる建物が並んでいる。いずれも重要文化財に指定されている建物群だ。
秋の北口本宮冨士浅間神社
北口本宮冨士浅間神社の「冨士」の字が「ワ冠(わかんむり)」の理由
北口本宮冨士浅間神社の表記を始め、各所で見られるワ冠の「冨士」の字。ウ冠の「富士」の字と何が違うのだろう、なぜワ冠なのだろう?と疑問に思ったことはないだろうか。この「冨士」の表記にはいくつかの説がある。
御山の上に人は立ってはいけないからという説
ウ冠の上の縦棒を人に見立て、その縦棒がないワ冠の字を用いることで、本来禁足地である頂上には人は立てないこと、そして尊い山であり、下から見上げて人が崇めることを表したという説。
神は目に見えないという説
縦棒を神に見立て、縦棒のないワ冠の字を用いることで、神は人の目には見えない、ということを表しているという説。
山頂は神域であることを表しているという説
ワ冠の下の部分を富士山の八合目から下に見立て、縦棒の示す八合目から上は神域であることを表しているという説。
いずれの説も、富士山は神の山であり、神域に人が軽々しく立ち入ることを戒める意味があるという。「富士登山に成功する」「富士山を制覇する、征服する」のではなく、富士山を崇め尊び、心身を清めてから富士山に登ることによって、より高みへ、少しでも神へと近づこうとした、かつての富士山信仰、本来の富士登山を「冨士」の文字が表しているのである。
「ふじ」を表す字は冨士、富士以外にも不二、福慈などがあるが、いずれも「富士山」が尊い山であり、唯一無二の存在、畏怖、崇敬の対象であることを示すもので、そこには親愛と尊敬の念がこめられているのだ。
吉田の火祭り
毎年8月末に富士吉田で二日にわたって行われる「火祭り(鎮火祭)」。北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭として行われ、特に8月26日の夜には金鳥居から北口本宮富士浅間神社にかけて、約1キロにおよぶ本町通りの沿道で高さ約3メートルの大松明70本~80本余りが焚き上げられる。富士山のお山じまいの祭として知られている祭りだ。
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富士吉田市上吉田地区にある創建1900年を超えるといわれる由緒ある神社。788年(延暦7年)には現在の場所に拝殿が造られたといわれる。
北口本宮冨士浅間神社 DATA
- 場所: 山梨県富士吉田市上吉田
- 交通: JR中央本線「大月駅」から富士急行「富士山駅」~バス「浅間神社前」下車すぐ
- 参拝時間: 8:30~17:00
- 駐車場: 有 無料
- 問い合わせ: 0555-22-0221