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大内宿

大内宿

南会津の宿場町

現代はどこもかしこも舗装されていて、相当の僻地へも車で行けてしまう。そして、どこへいっても大概宿があり、食事にもありつける。江戸時代と比較してみると、一日あたりの移動距離はとてつもなく延びた。人が歩くスピードは平均して時速4キロ。対して車は時速60キロ。単純計算で15倍である。それゆえに、車で「ある場所」へ辿り着いた時、その場所への道のりがあまり体にしみないのだ。風景の移り変わりも季節の色も、車のスピードでしか感じない。

日本に限ったことではないが、車で移動しているとよくもこんな所に町が、と驚くことがままある。山道や荒地を何キロも何時間も進んでやっと辿り着いた場所は、想像以上に活気があって驚くのだ。その町の周囲には人の気配はない。山に囲まれていて谷深い。日が暮れ始めようものなら、本当に辿り着くのだろうかと心配にさえなる。それでも走り続けると突如町が現れる。車のスピードで辿り着いたとしても、その隔絶された環境に驚くのだ。車など無かった時代、人々は一体どれほどの苦労をして辿り着いたのか。

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南会津の山の中にある大内宿に辿り着いた時もそんな心境だった。日が傾き始め、すれ違う車も少なくなってくる。道はあっている筈なのだが、いけどもいけども山の同じような景色が続く。時折現れる看板が進むべき方向を教えてくれるのだが、それでも一抹の不安は拭えない。そんな中ようやく辿り着いた大内宿は物静かな佇まいで歴史を感じさせる温かみでひっそりとそこにあった。街道を歩いて旅してきた昔の旅人もこんな気持ちだったのだろうか。ほっとした安心感に全身が包まれた。

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大内宿

福島県南会津郡。会津若松と日光今市を結ぶ下野街道沿いに大内宿はある。道の両側に茅葺屋根で寄棟造の民家がおよそ450メートルに渡って連なる江戸の面影を残す宿場町。今ではその多くがバスで大挙してやってくる観光客相手のおみやげ物屋や食べ物屋になっているが、建物自体が昔の面影を残しているので趣があり、また昔ながらの蕎麦屋や旅籠(宿屋)も幾つか残ることから、奈良井宿馬籠宿などと並ぶ多くの観光客が訪れる宿場町だ。

下野街道(しもつけかいどう)は又の名を会津西街道とも呼ばれ、豊臣秀吉、伊達政宗、徳川家光の異母弟で会津藩主であった保科正之、吉田松陰、明治期に日本の奥地を旅して「日本奥地紀行」を書いた英国人作家イザベラ・バードなど多くの歴史的に著名な人々も往来した重要な街道。総延長32里(132km)。

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大内宿の風景

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冬の大内宿

大内宿

雪の大内宿

雪深い会津地方、大内宿も冬の間は雪に覆われる。足元が滑りやすく少々歩きにくいが、美しい白銀の大内宿もおすすめだ。人も少なく、観光シーズンとはまた違う趣のある光景を目にする事が出来る。

冬の大内宿

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会津若松と日光・今市を結ぶ会津西街道の宿場町の一つとして栄えた。寄棟作りの建物が街道沿いに整然と並ぶ。

大内宿

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Japan Web Magazine 編集部

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