河口浅間神社

河口浅間神社

甲斐国「名神大社」

河口湖の北側、「富士には月見草がよく似合う」の一節で知られる太宰治の小説・富嶽百景の舞台にもなった「天下茶屋」のある御坂峠方面へと続く、通称御坂みちと呼ばれる道沿いにある神社が、河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)だ。864年(貞観6年)に大噴火を起こした富士山の沈静化を願い、勅命により翌865年(貞観7年)に富士山の神である浅間明神をこの地に奉斎、創建されたといわれている。

御祭神は木花咲耶姫命。安産、縁結び、育児、奨学、裁縫、家内安全、商売繁盛などに神徳があるとされている。参道の両側や境内には、大きな杉の木が立ち並び、その歴史の古さを現している。

神社のある河口は、飛鳥時代から平安時代にかけて律令制度が整った後、船津から河口湖北岸に抜ける官道が通り、甲斐の三駅の一つとなった町(延喜式)。中世に入り、日蓮や時宗二祖他阿真教らも往来した鎌倉街道が発展するにつれ、富士山信仰の御師(おし)(富士講(富士山信仰)の先達)の町(川口御師)として発展したという。川口御師は上吉田(現在の富士吉田)と並ぶ、御師町であったが、江戸時代に入って富士講の中心地が、より登山口の近い上吉田へ移り、次第に衰退した。

御師の家

河口浅間神社前に残る御師の家

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河口浅間神社

河口浅間神社参道入り口

鎌倉街道沿いに位置し、古くから交通の要衝として栄えた河口。かつては街道沿いに、御師の家が立ち並んでいた。

河口浅間神社

一の鳥居

河口浅間神社

樹齢800年と呼ばれる巨大な杉並木の参道を進むと参道中央に祀られた波多志神社、そして神門につく。

河口浅間神社

神門。門にかかる注連縄は、地元の氏子が手ずから育てた稲の藁を使って編まれる。

河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社

社殿の南側にある7本の巨大な杉はご神木として祀られている。樹齢は約1200年、最大のものは高さ47.5メートルで、地上1.5メートルの高さの幹周りは8.65メートルにもなる。河口浅間神社の七本杉として山梨県の天然記念物に指定されている。

河口浅間神社
河口浅間神社

拝殿

河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社河口浅間神社
河口浅間神社

境内の広さ約15ヘクタール。7本杉をはじめとした巨木が立ち並び、境内は穏やかながらも、重厚感のある落ち着いた雰囲気に包まれている。

河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社

神社本殿は1606年(慶長11年)に一度焼失、翌年この地域の領主であった鳥居土佐守成次により再建された。一間社流造りで唐破風付の向拝を備えた折表様の建物で、宮大工・関善左右衛門尉藤原家継らの手で完成。富士河口湖町の指定有形文化財に指定されている。

河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社

社殿の右側、境内奥にある二柱の杉は縁結びの杉といわれる杉。それぞれの杉はイザナギ、イザナミに例えられ、男は右側から、女は左側から杉の外側を廻り、奥でめぐり合ってから、二人で杉の間を通り抜けて参拝すると、縁が結ばれるという。

河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社

河口湖の方向に向かって建つ社殿。元の社殿は富士山を拝む方角に向いて建てられており、現在ある社殿より山の手側に鎮座していたと伝えられている。

河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社
河口浅間神社

Memo

例年4月25日には例大祭(孫見祭り)、7月28日には太々御神楽祭が行われ、「稚児の舞」が奉納される。「稚児の舞」とは古くから伝承されてきた民俗芸能の一つで、「オイチイサン」と呼ばれる7、8才~12才までの少女から選ばれた10人程の稚児によって踊られる華麗な舞。稚児らは、白の小袖、緋の千早と指貫袴を着、その上に刺繍を施した陣羽織を重ね、緋の襷を掛けて、顔には化粧を施し、鈴などを手に舞う。「河口の稚児舞(かわぐちのちごまい)」として山梨県の無形文化財にも指定されている。

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