水郷の町
「北総の小江戸」佐原はかつて、利根川舟運の中継地として多くの物資や人が集まり、「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町江戸優り」と戯れ歌に歌われるほどに繁栄した場所だ。江戸時代、町の人々は日々の生活の中に江戸文化を取り入れ、さらにそれを独自の文化へと昇華させていたという。今もその江戸の面影は町の随所に残り、特に小野川沿岸や香取街道には古い建物が多く点在。落ち着いた趣のある町並みは「水郷の町佐原」として訪れる多くの人々を魅了している。時代劇やドラマ、映画の撮影に使われることも多い。1996年には関東で初めて国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。佐原の市街地で行われる佐原の大祭(7月の本宿祇園祭と10月の新宿秋祭り)は「佐原の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
樋橋(通称・じゃあじゃあ橋)は小野川にかかる橋で、元々は江戸時代前期につくられた佐原村用水を小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋だったもの。この樋から小野川に落ちる水の音からジャージャー橋と呼ばれるように。現在の橋は観光用に1992年(平成4年)につくられたもので、30分おきに水が流れ落ちるようになっている。この樋橋の落水は1996年(平成8年)に環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれている。
足かけ17年をかけて全国を測量し大日本沿海輿地全図を完成させた伊能忠敬が17歳から50歳までの30年余りを過ごした家。築200年以上で土蔵造りの店舗(醸造業などを営んでいた)のほか、炊事場、書院、土蔵が残っている。国の史跡。
銚子市名洗町から旭市の刑部岬(ぎょうぶみさき)まで、およそ10kmに渡って続く高さ30m~60mの断崖絶壁。波の浸食作用(過去700年間で6kmもの陸地が浸食されたという)によって出来上がった荒々しくも雄大な風景に息を呑む。特に朝焼けや夕焼けの空と海、そして断崖のコントラストは絶景だ。英仏海峡のドーバーを彷彿とさせることから、「東洋のドーバー」という名も。アクセスはJR総武本線「銚子駅」からバス「千葉科学大学」行で「銚子マリーナ」下車徒歩3分、またはJR総武本線「旭駅」から千葉交通バス「銚子双葉町」行で20分「下永井」下車徒歩10分ほか。
飯岡灯台のある刑部岬から南の太東崎まで弓状に約66キロの砂浜が続く九十九里浜。源頼朝がこの地にやって来た際、家臣に命じて太東崎から一里(当時の一里は6町(1町は約109メートル))毎に矢を立てて浜を測量、九十九本目の矢で刑部岬に届いたという伝承から、九十九里浜の名がついたという。このため、矢指浦(矢指ヶ浦)とも呼ばれ、九十九里浜のほぼ中央にあたる山武市蓮沼には「箭挿(やさし)神社」という祠もある。海岸線が長いため、片貝海水浴場(九十九里町)、南四天木海水浴場(大網白里町)、中央海水浴場(白里中央海水浴場)(大網白里町)、東浪見海水浴場(一宮町)、飯岡海水浴場(旭市)、太東海水浴場(いすみ市)など29に及ぶ海水浴場があるのも特徴。日本の白砂青松100選と日本の渚百選にも選定されている。
千葉の郷土料理 / 千葉のグルメ
地元でとれた新鮮な鯵の身を、生姜、ネギ、大葉、味噌などを混ぜ合わせて叩いて作る。ねっとりと粘りが出るまで叩くのが本物。あまりの美味しさに皿をなめてしまうことから、「なめろう」の名が付いたとも。6月~10月頃のアジがとくに美味い。アジのほかイワシ、サンマ、トビウオ等の青魚、カツオやイカ、金目鯛、イサキ、ヒラメなどその時々の旬の魚が使われる。
なめろうに酢をいれたもの。通常はなめろうと同じく作りたてを頂くが、少し時間をおいた、酢で表面が白っぽくなって、中身と表面との間に味わいや風味の差が出てから食べるのが通という人も。主に夷隅郡周辺で食べられているレシピ。山武市周辺には「アジのたたき」と呼ばれるよく似たものがあり、そちらも叩いたアジにシソや山椒の葉等を刻みいれ、最後に酢をかけて食べる。
「なめろう」をシソで挟んで焼いたもの。本来はアワビの殻に詰めて浜の焚き火で焼いた。生のなめろうとはまた違った風味とふわっとした食感が楽しめる。
新鮮なアジやイサキ(イサギ)などの青魚を捌き、シソ、ミョウガ、生姜、きゅうりなどと共に、味噌を冷たい水に溶かしたものに入れて食べる漁師料理。「なめろう」を作って、きゅうりと共に冷たい味噌汁に入れるなどのレシピも。いずれにしても、さっぱりとしていてスタミナもつく暑い夏でも食のすすむ品。
特産のピーナッツを白餡に練りこんで作る餡と見た目も可愛らしいピーナッツの形をした皮が特徴のピーナッツ最中。見て楽しく食べて美味しい千葉の銘菓。
大山千枚田は、標高90~150m、面積約4ヘクタールの急傾斜地に連なる大小375枚の田んぼからなる棚田で、東京から一番近い棚田として知られている。日本で唯一雨水のみで耕作を行っている天水田。1999年(平成11年)に農林水産省の日本の棚田百選に、2002年(平成14年)には千葉県指定名勝に指定されている。アクセスは、東京駅から外房線特急「わかしお」で終点・安房鴨川駅へ約2時間10分。または東京駅八重洲口から高速バスで終点・安房鴨川駅(西口)。安房鴨川駅(東口)から市内バス平塚本郷行き、または金束(こづか)行きに乗り、釜沼バス停で下車。バス停から案内板に沿って徒歩約20分。
手賀沼は我孫子市、柏市、印西市、白井市にまたがる面積約6.5平方キロメートルの湖沼。南と北に分断されているがかつては一つの大きな沼だった。干拓事業によって約8割の水域が消滅している。江戸時代にはコイやウナギなどが多く取れ、江戸でも食されていたという。現在も我孫子駅から手賀沼にかけてのエリアに老舗のうなぎ屋、川魚料理屋が点在する。
志賀直哉は1915年(大正4年)、柳宗悦の勧めによって手賀沼の畔に移り住み、1923年(大正12年)京都に移るまでの7年半を過ごした。「和解」「暗夜行路」「城の崎にて」「小僧の神様」などがここで執筆されている。茶室風の書斎が復元され一般に公開されている。
我孫子宿(あびこしゅく)は、五街道に準ずる脇街道の一つで江戸の千住宿と水戸藩の城下町・水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であったところ。「本陣」は江戸時代、参勤交代の時に大名などの宿泊、休息所として使われた。
山一林組工場は1906年(明治39年)に建設された生糸工場で、明治時代我孫子では唯一の近代的な生産工場であったところ。最盛期には300人あまりの工員を抱え5000貫の生糸を生産していた。志賀直哉の「和解」にも登場する。1925年(大正14年)建立の「蚕霊塔(さんれいとう)」が残る。
幼少期を日本で過ごし、その後も日本をたびたび訪問、柳宗悦や白樺派の青年達とも交流をもった英国人の陶芸家バーナード・リーチを記念して建てられた碑。
我孫子駅南口より徒歩1分の場所にある地下1階、地上11階の複合施設。2006年(平成18年)8月開館。福祉・介護関連の施設のほか、ギャラリーやスポーツに利用できるホールもある。
