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秋月城

秋月城

日本各地に残る明治以前の面影を残す情緒あふれる町。戦争や災害、再開発等でその全体数や町並みの規模は減らしながらも、敷地割りや道路、水路などの基本的構造が旧城下町や旧門前町の頃とあまり変わらず、現在も当時のまま利用されているところも少なくない。西暦940年に筥崎八幡宮の荘園となって以来秋月荘と呼ばれ、その後城下町として発展した福岡県朝倉市にある秋月もその一つだ。町の西や北側を中心とした町家建築、東・南側一体に広がる武家屋敷、点在する寺社など、昔の面影を今に伝える数々の伝統的建築物が存在し、町の随所にかつての地方城下町の雰囲気を漂わせている美しい町だ。

秋月城跡

秋月陣屋とも呼ばれる秋月城は、そんな秋月にかつてあった城だ。1203年(建仁3年)、鎌倉二代将軍頼家により秋月荘を与えられた原田種雄(秋月種雄)が本拠地として古処山城(こしょさんじょう)を築いたのが始まりという。秋月氏は385年間、16代に渡ってこの地を治めたが、1587年(天正15年)秋月氏12代種実の頃、豊臣秀吉による九州征伐で秀吉に降伏、秋月氏は日向国高鍋に移封され、城は一度廃城となった。

その後、江戸時代に入って1624年(寛永元年)、福岡藩藩主・黒田長政の三男長興が入封、廃城となっていた城を大改修し、堀と石垣、二重櫓に平櫓を5つ、麓に陣屋を築き館とした。以後、明治6年(1873年)の廃城令によって廃城となるまで、12代、264年に渡り黒田氏の拠点となった。明治の廃城令の際に城は一部を残して撤去され、跡地には黒田長興を祀った垂裕神社が建立された。旧大手門である黒門が垂裕神社の神門として移築され、裏門であった長屋門だけがそのまま残る。1980年(昭和55年)に「秋月城跡」として県の史跡に指定されている。現在は、遺構として石垣と堀の一部が残り、黒門、長屋門などに往時の面影を偲ぶことができる。

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秋月城

秋月城・長屋門

この門は、元々秋月城の裏手門として使用されていたもの。城内で唯一移築されずに建築当初のまま残っている建物で、秋月城の面影を最もよく今に伝えている。

秋月城
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秋月城

瓦坂

 

土砂の流出を防ぐために、縦に瓦を埋め込んで作られた坂。坂を登って大手門へ至る。秋月藩時代の御館正門。

 
  

秋月城秋月城
秋月城

秋月城・黒門

秋月城の顔として知られる、垂裕神社(すいようじんじゃ)の参道に建っている黒門。黒門は二度移築されている。鎌倉時代に古処山城の城門(搦手門)として造られ、江戸時代初めに秋月城の大手門として移築された。さらに明治時代に入ってから、垂裕神社の神門としてここに移築されている。最初の建築から実に700年の歴史をもつという古い門。福岡県の文化財に指定されている。

秋月城秋月城
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垂裕神社

秋月城

表御殿があった場所に建つ秋月中学校

ここにはかつて表御殿が、一段高くなった梅園と呼ばれた場所に奥御殿があった。

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兜堀

江戸時代、ここに兜堀と呼ばれる堀があった。1624年(寛永元年)、黒田長興が家老堀平右衛門を中心に城下町を整備した際に作られたものだ。二の丸造成の際に手始めに掘られたが、その後計画が変更になり、この兜堀だけが残ったという。

秋月の町並み

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