紅花ご飯
古くは「末摘花」と呼ばれた紅花は、染料や口紅の材料として、山形では江戸時代初め頃から水はけのよい最上川流域を中心にさかんに栽培されてきた。 紅花を現金で買い取った紅花商人は、それを大阪や京都に持っていって売り、その代金で
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古くは「末摘花」と呼ばれた紅花は、染料や口紅の材料として、山形では江戸時代初め頃から水はけのよい最上川流域を中心にさかんに栽培されてきた。 紅花を現金で買い取った紅花商人は、それを大阪や京都に持っていって売り、その代金で
続きを読むスイカの名産地であり、雪と花笠、尾花沢牛で知られる山形県尾花沢市は、山形県の北東部にある人口約2万人の町。西には最上川が流れ、東側には東北地方の背骨ともいえる奥羽山脈がそびえる。その奥羽山脈のほとり、尾花沢の市街地から車
続きを読む山形県尾花沢市にある銀山温泉は、川沿いに木造3~4階建ての趣ある建物が並ぶノスタルジックな町並みで知られる。その銀山温泉にほど近い上柳渡戸、六沢周辺にも趣ある伝統的な建物が点在している。雪のない季節はもちろん、すっぽりと
続きを読む静謐な美しさを見せる冬の凍結した徳良湖。 山形県尾花沢市にある徳良湖は、周囲長2.7キロメートル、最大水深5.6メートルの湖沼で、1919年(大正8年)に、魚屋兼料亭を営んでいた地元の豪商・高宮常太郎によりため池として築
続きを読む別名・霧山城とも呼ばれる延沢城は、標高297mの山に築かれた連郭式の山城。1547年(天文16年)(または1550年・天文19年)に初代城主・延沢薩摩守満重によって築城されたと伝えられており、代々延沢氏の居城となっていた
続きを読む築かれた山の形から「亀ヶ城」とも呼ばれていた長谷堂城は、山形県山形市長谷堂にあった城。築城年は不詳だが、16世紀初期頃といわれ、一帯を支配していた最上氏により築城されたといわれている。 山形城の重要な支城の一つであり、1
続きを読む山形県鶴岡市にある旧風間家住宅 「丙申堂」は、江戸時代に鶴岡城下で呉服屋を営み、御用商人として幕末には鶴岡一の豪商ともいわれた風間家が、1896年(明治29年)、風間家七代当主・幸右衛門の代に、住居兼店舗として築いた家屋
続きを読む山形県で唯一の三重塔のある安久津八幡神社は、860年(貞観2年)、立石寺(山寺)や松島の瑞巌寺などを開山したと言われる慈覚大師により、地元の豪族・安久津磐三郎の協力の下、阿弥陀堂が建てられたのがその始まりといわれる神社。
続きを読む山形県長井市白兎に鎮座する葉山神社は、薬師如来を祀る神社。明治頃まで盛んだった山嶽信仰の山・葉山の神として葉山山頂にまつられ、葉山権現とも称していた。境内にある樹齢約150年の「日本三十三枝垂桜」のひとつに数えられるシダ
続きを読む羽州の名城 足湯から立ち昇る湯煙が、朝日を浴びて美しく揺らめいている。ソメイヨシノや枝垂桜が思い思いに枝を伸ばし、花をつける。春の早朝特有の、ひんやりとしながらも爽やかで透明感のある気持ちのいい空気。近隣の人々だろう、数
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