高取城

高取城

芙蓉の城「高取城」

奈良県高市郡高取町の山中に、かつて「巽高取雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と謳われた美麗豪壮な城があった。白漆喰塗りの天守や櫓が、標高584メートル、比高350メートルの高取山に連なり、それを麓の町から見た様はまるで高取の山に積もる雪のように見えたという。旧名を土佐といったこの地に、明治に至るまで聳えていた城こそ、日本国内では最大規模の山城で、「備中松山城」(岡山県)、「岩村城」(岐阜県)と共に日本三大山城の一つに数えられる「高取城」だ。

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高取城

高取城は1332年(元弘2年)、土地の豪族であり南朝方に与していた越智邦澄が築城したのがその始まりという。戦国時代までは本城であった貝吹山城の支城であったが、戦国期に本城となったと推測されている。その後、織田信長の一国破城(一国一城令)により、大和国内の城は郡山城一城と定められ、高取城は1580年(天正8年)に一旦は廃城となった。が、本能寺の変後の1584年(天正12年)、大和郡山城を居城とする筒井順慶により建て直され、16世紀末~17世紀初頭頃、豊臣秀長(豊臣秀吉の異父弟)の家臣、本多氏により近世城郭として完成する。

その後、江戸時代に入り、本多氏が1637年(寛永14年)に三代で断絶した後、1640年(寛永14年)には譜代の植村氏が入城し高取藩2万5千石の居城となった。以後、最後の城主植村家壷まで植村氏が14代にわたって城主となる。

高取城
高取城

1615年(慶長20年閏6月13日)に制定された「一国一城令」で多くの城が取り壊される中、重要な山城として例外的に破却を免れた高取城も、明治維新後の1873年(明治6年)の廃城令で、廃城となってしまう。1887年(明治20年)頃までは天守をはじめとした主要建造物は城内に残っていたが、その後自然倒壊(明治24年頃までに取り壊されたとも)したという。現在は遺構として広大な縄張りと堅牢強固な石垣群が残る。

高取城

急峻な山上の地形を巧みに利用して築かれた高取城。本丸へのアクセスも容易ではない。足元が悪い場所も多く、登城の際には注意が必要だ。

高取城
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高取城

高取城の面積はおよそ10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル。山中の全ての曲輪を含む城郭全域の総面積は約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。往時には、三層の天守、小天守を擁し、27の櫓(内、多門櫓5)、33の門、橋梁9、堀切5ヶ所が設けられ、土塀は2,900m、石垣は3,600mに及んだという。

   
   

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高取城

天守閣跡石塁

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紅葉の美しい場所としても知られる高取城。例年の見頃はたかとり城まつりの行われる11月23日頃。

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