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海野宿

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北国街道の宿場町

江戸時代に北国街道の宿場として賑わいを見せた海野宿は、上信越自動車道・東部湯の丸ICから車で10分ほどの場所に位置しています。長野県には、奈良井宿をはじめ、妻籠宿木曽平沢など、今も江戸時代の面影を残す宿場町や漆工町が残っており、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に選定されている場所がいくつもあるのですが、この「海野宿」もその一つです。

中山道と北陸道を結ぶ重要な街道・北国街道にあって、江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の建物と、明治以降に建てられた頑丈な蚕室造りの建物とが混在していて、約6町(約650メートル)に渡り、今も伝統的な家並みが残されています。

写真で見る日本の魅力 日本の「いいところ」 ~長野県東御市 海野宿~

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海野宿

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街道の中ほどに整備された用水と、道の両側に海野格子と呼ばれる長短2本ずつ交互に組み込まれた格子のはいった美しい家並みが続いています。防火壁の役割を果たす卯建(うだつ)、明治以降に養蚕が盛んになってから作られた、蚕の保温の目的で部屋を暖めるために焚いた火の煙を抜くための「気抜き」(屋根の上に見える小さな屋根の部分)など、往時の雰囲気を伝えるたたずまいが残っています。

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「北国脇往還」「善光寺街道」とも呼ばれた「北国街道」は、江戸時代に幕府によって整備された脇街道(五街道以外の主要な街道)で、追分で中山道と分岐し、長野・善光寺を経て、新潟・直江津で北陸道に合流する道です。北陸の諸大名の参勤交代のほか、善光寺参りをする人々が多く通った道であり、佐渡の金山から金を江戸へ運ぶ際も使われた重要な街道でした。

「海野宿」は当初は、同じく北国街道の宿場として整備された「田中宿」と共に、合宿(あいしゅく)として宿場の役割を果たし、「田中宿」が1742年(寛保2年)に発生した千曲川の洪水で甚大な被害を受けた後、本宿となっています。江戸時代を通して、多くの旅人が立ち寄り、しばし疲れを癒し、また旅に出たのです。

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媒地蔵尊

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「縁結び」のお地蔵様として知られる、海野宿の入り口近くに立つ媒地蔵尊(なかだちじぞうそん)。焼失して現在は跡地のみ残る地蔵寺にあった地蔵で、海野氏の家臣・赤石藤治友信が媒地蔵菩薩を安置したことに始まるといわれます。中々良縁に恵まれなかった加賀の国の姫が、ある時、縁結びのお地蔵さんが海野にあると聞き、参勤交代の道すがらお参りしたところ、立派な男性に巡り合い、結婚することができた、という逸話が残っています。

江戸時代には、北国街道を往来する人々や海野宿の人々の心のよりどころとして厚く信仰されたと伝えられています。

白鳥神社

海野宿

同じく、海野宿の入り口にある神社です。海野宿の産土神であり、海野一族や真田家の守護神として、信仰されたといわれます。

海野宿歴史民俗資料館(海野宿資料館)

江戸時代の寛政年間(1790年頃)に建てられた、旅籠屋造りと明治以降の養蚕農家の特徴を兼ね備える建物を利用した資料館です。生活用具、養蚕用具など、海野宿の歴史・風土、暮らしを知ることの出来る資料が展示されています。

海野宿ふれあい祭り

海野宿ふれあい祭りは、毎年11月23日に開催される祭り。色とりどりの昔の衣装を身にまとった人々が、海野宿を練り歩きます。

海野宿へのアクセス

海野宿へは、上信越自動車道 東部湯の丸ICから、車で10分ほどです。または、長野新幹線の上田駅で下車、しなの鉄道に乗り換えて田中駅で下車し、徒歩10分ほどです。大阪方面からは名古屋経由、中央本線で長野駅へ。長野駅でしなの鉄道に乗り換え、約45分、田中駅下車、徒歩で約10分です。

海野宿 詳細データ

Japan Web Magazine 編集部

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