五所川原立佞武多

五所川原立佞武多

光の巨像

曲がり角から突然姿を現すそれは、街灯よりもなお高く、まさに見上げるような威容を誇っている。そう、それはまるで、特撮映画に出てくる怪獣のようだ。大きく違うのは、その表面がごつごつとした皮膚に覆われている代わりに、美しく透過していること。その巨大さと表面に描かれた絵の躍動感とは裏腹に、繊細で優美な光が美しく透けて中から抜け出てくるのである。夜空に浮かび上がったその様は、まるで幻燈のようにもみえる。空をスクリーンにして、拡大された情念が迫り来る。ゆるりと動き、艶美にゆれる。力強さと美しさが絶妙なバランスでそこにある。そこでは透明と光と闇が均等に世界を支配しているのだ。

五所川原立佞武多

「又鬼」(2010年)

五所川原立ネプタ

「不撓不屈」(2008年)

五所川原立佞武多

「夢幻破邪」(2009年)

五所川原立佞武多

「絆」(2006年)

五所川原立佞武多

「芽吹き心荒ぶる(うらさぶる)」(2007年)

五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)

春には可憐な花が咲き乱れ、夏には青空の下に岩木山を望み、秋には真っ赤なりんごがたわわに実る。そんな美しい景色が広がる津軽も、冬には辺り一面雪に覆われてしまう。世界は銀色へと変わる。都会人ならくじけてしまいそうな寒さと雪。冷たい風が吹き抜け、心がうずくまっても、道はなお北へ続いていく。津軽の美しさはきっとそんな過酷な冬の反動だ。鳥も花も木も人も、雪が解けると雪のない世界を謳歌する。

そんな素敵な季節の夏の数日、五所川原は人で溢れかえる。数日に渡り催行される「五所川原立佞武多」。普段は人口6万人余りの静かな町が述べ150万人以上もの人々で溢れかえるのだ。

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五所川原立佞武多の歴史

五所川原立佞武多

男も女も大人も子供も目を輝かせる。見上げたまま惚けた表情で感嘆の声をあげる。それは新鮮な驚きだ。純真な感動だ。生まれて初めてキリンを見たときの、目がきらきらとするような、胸がわくわくするようなトキメキだ。弾けるような笑顔だ。

巨大なねぷたの前後には、共に町を練り歩く「囃子方」、ねぷたを曳く「曳き方」、流し踊る「踊り手」、軽やかに跳ねる「跳人(はねと)」、色とりどりの隈取りをして練り歩く「化人(ばけと)」が続く。道の両側には、お酒やジュースを飲みながら観覧する人々の楽しそうな表情、愉快そうな顔が並ぶ。町は破顔の波に包まれる。

明治時代のねぷた

五所川原の巨大ねぷたの起源は100年以上前に遡る。材木や水産で栄えてきた金木や鯵ヶ沢、深浦などを行き来する商人の町として栄えた五所川原。青森や弘前で運行されていた人形灯籠は五所川原でもいつしか運行されるようになっていたが、徐々にそれは巨大化していった。豪商や豪農の勢力誇示権力顕示の意味合いもあったのであろう。19世紀中頃の史書によると高さ5間(およそ9メートル)以上のねぷたはざらにあったという。明治初期には高さ11間(およそ20メートル)にもなる巨大ねぷたの記述が残されている。20メートルというと7階建てのビルに相当する。その高さがどれほどのものか、容易に想像していただけるだろう。

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次第に巨大化していったねぷたも電気の普及によって町に電線が張り巡らされるようになったことから、その高さを低くせざるを得なくなった。その高さ制限ゆえに横に大きくなって現在も残るのが青森のねぶたである。

そうしていつしか幻となってしまった巨大ねぷた。ドラマチックな出来事によって復活を遂げることになる。

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五所川原の豪商「布嘉」に仕えていた大工の遺した、巨大ねぷたの設計図と思われる図面が発見されたのである。明治・大正期のものであると推察されるその図面には寸法などが記されていた。その後、巨大ねぷたを復活させようという動きがひろがり、3年後の1996年に約80年ぶりに巨大ねぷたが復活したのである。400メートル運行されたねぷたは人々に感動と驚きを与えたのち、風習に倣い火が放たれ昇天の儀式が行われたのであった。しかし話はそれで終わらない。当初は一度きりの復活の予定であったねぷた運行。多くの人々の要望もあり、市が正式にねぷたの復活を決定したのである。電線などが地中に埋められるなどのインフラが整い、1998年8月5日、高さ22メートル、重さ16トンにもなる巨大ねぷた、「立佞武多」と命名された巨大な人形灯籠「親子の旅立ち」が町を練り歩いたのである。

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「ヤッテマレ、ヤッテマレ」・・・喧嘩ネプタの名残だという威勢のよい掛け声がこだまする。にぎやかなお囃子の中、人々は踊り駆け回る。熱気があちこちからこぼれ、興がそこかしこに溢れかえっている。

肥後の「もっこす」、土佐の「いごっそう」に対し、津軽の人は「じょっぱり」と呼ばれる。「強情ぱり」の「じょっぱり」だ。過酷な自然環境で鍛えられた人々は弱音を吐かない。後ろを向かない。一度言い出したらちょっとやそっとのことでは引かないのだ。特に五所川原の人々は自分達の事を誇りと自嘲をもって「もつけ」と呼ぶ。「まんず、もつけだなー」。「もつけ」とは「お人よし、ふざける、おっちょこちょい、おだてに乗る人、熱中する人」の意。乗っちゃうのである。とことん乗っちゃうのだ。「じょっぱり」で「もつけ」なのである。大きなことが大好きで、口から出したことはまげない。意地を張る。そしてついにはやり遂げてしまう。不器用といわれようがなんといわれようが、気に留めない。気骨に溢れている。そんな人々の笑顔は最高なのである。人の笑顔は幸せだ。そして人の幸せは笑顔だ。人を笑顔にすることは幸せであり、人を幸せにすることは人を笑顔にする。北の地に住む熱い人々が作り上げてしまった巨大な巨大な「もつけ」の極み。それは人を笑顔にし、それは人を幸せにする。

津軽の北中央部、五所川原。
「五所川原立佞武多」は、「じょっぱり」で「もつけ」な人々の存在論的証明なのである。

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五所川原立佞武多

五所川原立佞武多

五所川原立佞武多

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