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羽黒山

羽黒山

出羽三山「羽黒山」

羽黒山

どこまでも続く

幾千幾万の人々が
様々な思いや願いを胸に
一段一段踏みしめて
登りそして下っていった石段は

どこまでも続いていく

永遠にさえ感じられる
その積み重ねは
人の生の苦しみか
それとも
その先に続く幸福への道程か

羽黒山羽黒山羽黒山

山形県鶴岡市からバスで30分、鶴岡市羽黒町に開山およそ1400年前と言われる修験者の山、羽黒山が在る。泊瀬部(はつせべ)の王子として知られる第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏(れいう)に導かれ、この羽黒山に登拝、羽黒権現を知覚し、山頂に祠を築いたのが始まりといわれている。蜂子皇子は月山と湯殿山においてもそれぞれ月山権現と湯殿権現を知覚し、いわゆる「出羽三山」とよばれる霊山三山の開祖となった。

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羽黒山羽黒山羽黒山
羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山

真夏の羽黒山 8月の朝

寝ぼけ眼をこすりながら、バスを降り立った。ひんやりとした空気が心地よい。山門をくぐる前だというのに、既に辺り一体には清澄で凛とした透明な空気が漂っている。いわんや、山門の先においてをや。そこはまさに神聖なる修験者の領域。門を境に空気ががらりと変わるのである。

「隋神門」と呼ばれるその山門をくぐる前に、冷たい水で顔を洗い目を覚ます。手を清め、出羽三山神社と大きく彫られた碑を右目に、ゆっくりと鳥居をくぐる。

時刻は午前6時過ぎ。先刻白装束の修験者がくぐっていった山門を抜けると、苔むした石段が右手にカーブしながら下っていくのが見える。ぼんやりと重い頭を抱えながら、踏み外さぬように慎重に一段一段降りていく。

遙か前方を一人、軽やかに階段を下りていく姿がみえる。ひらりひらりと舞うように、ふわりふわりと飛ぶように、軽やかに降りていく。それは精霊のようにも童子のようにも小鳥のようにも見える。

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山

導かれるままに、気がつけばここまでやってきた一昨日からの一連の出来事が頭をよぎる。熱気に溢れた光の祭、神々しいまでに赤く染まった朝の雲、吸い込まれそうな地底の湖の青い水、夏の午後の空高く昇る雲。一人幻想の世界を駆け抜けていたような気がする。自分がこの場所にいることさえ、何かの幻なのではないかと思う。ふと目覚めたら、草むらの中で、泥団子を片手に横たわっているのに気づくのではないかと。深閑とした木々の連続。清い空気が産毛を優しく撫でる。どこかで鳥がざわめいた。

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山

出羽三山と山岳信仰

蘇我氏との政争に巻き込まれ、その難を避けるために大和の国からやってきた蜂子皇子によって開山されて以来、朝廷や各時代の武将そして一般の民衆によって羽黒山は篤く信仰され、守られてきた。かの空海や最澄もこの山に登り修行を積んだと伝えられている。鬱蒼と生い茂る樹木、鳥が時折鳴くのみであとは静寂が広がる幽玄な世界。自然崇拝、山岳信仰と、その後の仏教信仰が交じり合って羽黒派修験道となり、その波は全国に広がっていった。

ところで皆さんは「講」というのをご存知だろうか。「講」とは神仏を祭り参詣する人々によって組織された団体の事で、富士講、伊勢講、稲荷講、大師講などがある。この「講」に属する人々は、今ほど移動が容易ではなかった時代に、コツコツと積み立てをしたり、相互扶助をしあい、何年かに一度、ときには一生に一度、自分達が信仰する神仏に参詣した。江戸時代に特に盛んになり、その人々の宿泊施設として、また拠点として作られ発展したのが宿坊で、現在もこの「講」や「宿坊」は至る所にある。東京近郊では「御岳山」の宿坊が有名だ。

この羽黒山修験道の周囲にも宿坊が今も数多く在る。現在のように国家が管理をするようになる明治以前は、この宿坊の人々によって羽黒山は守られてきた。参道を整備し、講を結んで定期的に詣で、またその信仰を他の地域にも広げる努力をしたという。今も残る、随神門から始まる表参道の全長1.7キロ、総段2446段と言われる石段は360年前に整備されたもの。両側には立派な杉の大木が並ぶ。昼でも荘厳な雰囲気に包まれ、行くものの背筋を正さずにはおかない、まさに時の積み重ねと沢山の人々の信仰の深さと勤勉さによって作り上げられた由緒ある石段だ。

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山

参道の入り口、随神門から二百段ほど下っただろうか、木の小さな祠が幾つか見えてきた。いずれも古そうな面持ちである。屋根は葺き替えられて綺麗なのだが、その柱や壁は所々が剥げ、長い間風雪に耐えそこに建ち続けてきたことを物語っている。そこを過ぎると小さな清流が姿を現す。朱色の橋がかかり、対岸に小さな祠が静かに佇んでいるのが見える。出羽三山に詣でる人々は「月山」にその源を発するこの清流で身を清めたのだという。

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山
羽黒山羽黒山

橋を渡ってまもなく、道の左側に「爺杉」と呼ばれる立派な杉の大木が見える。樹齢1000年ともいわれる大変大きな杉の木だ。その大きさ、高さは周囲の木々と比較しても群を抜いている。かつてはこの杉のそばに婆杉とよばれる杉があり、この爺杉と並ぶ羽黒山の名物であったが、台風で失われてしまった。

羽黒山羽黒山

国宝の五重塔

そしてこの爺杉の少し先、杉並木の中にひっそりと、しかし圧倒的な存在感でもって建っているのが、国宝にも指定されている五重塔。高さは29.9メートル。東北地方では最古の塔だ。創建は1100年前、平将門の手によるものと伝えられる。現在のものは1372年建立。美しい石畳の道の先にどっしりと建つその姿は周囲の木々の緑とあいまって、とても厳かな雰囲気に包まれている。近くに寄って見上げたまま、思わず知らず息を呑む。木で作られた建物独特の、命の脈動さえ感じるような生命に溢れるその姿。人が作ったものが、自然に融合していく奇跡的で美しい過程を見るようでもある。

羽黒山羽黒山

さて、そこから先はいよいよ登りである。ひたすら登る。登り続ける。一歩一歩。一段一段。7泊8日逗留したという松尾芭蕉もこうして登ったのだろうか、400本以上あるという杉の並木の中、所々ひしゃげたり、かけたりしている石段をとことこと登っていく。ようやく目覚めた体は徐々に軽くなり、石段を登る足も軽やかになってくる。山頂まではおよそ50分。途中に茶屋も在る。

羽黒山羽黒山羽黒山
羽黒山羽黒山羽黒山

山頂手前の鳥居をくぐるとそこに思わぬ広さの空間が広がっているのが目に飛び込んでくる。数々の建物が立ち並び、池や広場も見える。前方左手にある萱葺き屋根の重厚豪壮な建物が「三神合祭殿」だ。月山と湯殿山は積雪が深く冬季の参拝が不可能なため、この羽黒山山頂に在る三神合祭殿に合祀されているという。高さ28メートル、厚さ約2.1メートルもある萱葺きの屋根は圧巻だ。怒涛の迫力でもってこちらにせまりくるようである。

羽黒山羽黒山羽黒山

羽黒山羽黒山羽黒山羽黒山

蜂子皇子が入った当時の羽黒山、阿久谷(あくや)は転じて「悪谷」、さながら地獄の谷のようであったという。この地は、その当時、風葬の場であった。そして、月山は人の魂を天に送る場所であった。人の生が終わり、魂が空に昇る場所。

ついぞ近代まで、世界は医療も科学も知らず、死はごく身近な存在であった。法律や治安も今のようには整備されておらず、理不尽なことも今より多かったかもしれない。だからこそ、人々は敬虔で謙虚。畏怖することを知り、尊ぶことを知っていたに違いない。自然に感謝し、自然を敬った。日常に感謝し、大いなる存在に感謝した。

現代人と比較すると、病気やけがの対処法も、天候の仕組みのことも、間違っていることだらけであったかもしれない。無知であるが故の迷信、妄信もあったに違いない。不便なことや快適ではないことも山ほどあったことであろう。

しかし、知識や便利さはなくとも、心があった。魂があり、命があった。そんな気がするのである。

一体人の幸せとは何なのか?人が環境に左右されずに生きてはいかれぬ生き物で在るとしても、その環境を選ぶことのみが幸せに繋がりうるのか?

現代社会の抱える膨大な問題の答えがそこに隠されているような気がしてならないのである。日々の生活の大変さと現世的な幸せは矛盾するものではないのかもしれない。「似たもの」を作ることが出来る「科学」も、結局「そのもの」は作れないのだ。

生と死。そして人の幸福。今ほど、「死」が「生」からそれほど切り離されていなかった時代、人々は何を思い、そして何を願ったのだろう。

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羽黒山 まとめ

山形県鶴岡市にある羽黒山。古くから修験の場所であり、信仰の地であったこの場所は、今も豊かな緑に包まれていて、幽玄で神秘的な雰囲気に満ちています。今では麓から山頂まで有料道路が通っており、駐車場(羽黒山山頂駐車場)も整備されいてるので、時間のない方などはそちらから参拝することも可能となっていますが、羽黒山の雰囲気をじっくりと味わい、その良さを身体で感じるためにも、スケジュール等に余裕がある方は、できれば麓の駐車場に車を止め(バスもあります)、隋神門をくぐって参道(山道)を歩いて参拝されることをおススメします。

上り下りがあり、階段の段差や幅も揃っていなかったりと、中々しんどい部分もありますし、夏は暑く、冬は時期によってはかなり雪が積もっているので、想像以上にキツいと感じる方もいるかもしれませんが、距離にして2キロメートルほど、早い方なら30~40分、ゆっくり休みながら歩いても1時間強ほどで行かれる道のりは、道中に点在する建築物の素晴らしさもあり、ちょっとした経験、記憶に残る時間になることでしょう。

さらに時間的、予算的に余裕がある方は、羽黒山山頂付近(三の坂の石段を登り切ったすぐそば)にある羽黒山参籠所「斎館」で精進料理(要事前予約、7品3000円弱、10品4000円弱)を食べるのもおすすめです。「斎館」は宿泊も可能(1泊2食 11,000円~)となっています。旅館とは異なり、あくまで羽黒山を参拝する方へ宿泊場所を提供する施設なので、部屋は個室ではなく大部屋を仕切った部屋、となるなど、プライバシーや「快適さ」などは、求めすぎることはできないのですが、これほど歴史深く自然豊かな環境の素晴らしい地に一晩滞在する、ということはあなたにとって特別な体験になるかもしれません。参考にしてみてください。

羽黒山参籠所「斎館」

◇収客人員: 20人前後(応相談) 
◇問合わせ: 0235-62-2357
◇備  考: 冬期など宿泊受付出来ない日有。電話にて確認のこと 

羽黒山を参拝する際の足元は、ヒールなどの踵の高い靴やサンダルなどは避けて、スニーカーのような歩きやすくしっかりとした靴がオススメです。山を登る方にとってみれば大した距離ではないかもしれませんが、普段登山をしない方にとっては、長い階段の登りや足元の悪い場所など、少し大変な箇所があるかもしれませんので、服装も荷物も動きやすく両手が自由になる状態だと安心です。夏はもちろん、それ以外の季節でも水分補給用の飲み物は持って行ったほうが良いと思います。

一年を通して参拝が可能な羽黒山では、冬の雪が積もった時期に訪れることもでき、木の葉が青々と茂った緑豊かな夏の羽黒山とはまた趣の異なる美しい風景を目にすることができますが、階段や傾斜の多い参道は雪が積もると滑りやすくなり、ヒールのあるブーツや滑りやすい靴などでスリップしたり転倒して、ねんざなどケガをしたり骨折などの事故も度々起きているようなので、雪用の靴や滑り止めのついた長靴など、できるだけ雪対策のしっかりした足元がおすすめです。自家用車で移動される方で登山をされる方なら、冬山登山用の靴を羽黒山参拝のためにトランクに積んでおいてもいいかもしれません。

積もるときには、場所によっては踏み抜くと膝上まで平気で埋もれてしまうほど積雪があるので十分対策をした上で訪れてくださいね。自家用車の場合は当然スタッドレス必須です。

麓の駐車場のすぐそば(鳥居から歩いてすぐの場所)にある「いでは文化記念館」では、長靴とストックを貸し出しているので、そちらを借りるのも一つの方法です。貸出料金は無料ですが、閉館時間に伴い貸出時間に制限があるのでご注意ください。冬の羽黒山参道は歩きにくい箇所も多く、山頂までは少なくとも片道1時間、五重塔まででも片道20分程度かかるので参拝時間や撮影時間等を考慮すると、参道を山頂まで行き、参拝して戻る方は最低でも2時間半~、五重塔まで往復する方でも最低50分は時間的な余裕を見ることをおススメします。

いでは文化記念館(羽黒町観光協会)

◇開館時間:冬季(12月~3月)は9:30~16:00
◇休館日: 毎週火曜
◇問合わせ: 0235-62-4727
◇貸出受付時間:9:30~15:30 (返却は16:00まで)

冬の羽黒山冬の羽黒山 雪の中の五重塔

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Japan Web Magazine 編集部

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