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新潟県村上の鮭文化

村上の鮭文化

鮭と共にある生活

新潟県の県庁所在地である新潟市から70キロほど北上した県最北部、山形県と隣接する場所に村上という町がある。小さいながらも古くから独自の文化圏を形成してきた城下町だ。そこかしこに武家の名残を感じさせる立派な屋敷が点在するこの静かで美しい町を歩いていると、あることに気がつく。家々の軒先に何かが吊るされているのである。目を凝らしてみるとそれは立派な体躯をした鮭たちだ。切り開かれ内臓を抜かれた鮭たちが、寒風に吹かれながら軒下に整然と並んでいるのである。そう、村上は江戸時代から続く豊かな鮭文化を現在も継承している地なのだ。

村上の鮭文化

村上の人々は、市内に流れる三面川で獲れる鮭の事を「イヨボヤ」と呼ぶ。「イヨ(イオ)」と「ボヤ」は共に川にすむ魚全般を指す方言だという。「魚」といえば「鮭」を意味するほどに、鮭はこの地の人々の生活に深く根ざしているのである。シベリアからの季節風がもたらす雪が豊かな水資源となり、卵から孵った鮭を育む。鮭たちはやがて大海原へと出て行き、回遊後にまたふるさとに帰ってくる。この鮭の回帰性を世界に先駆けて発見したのもこの村上の地に住む武士。村上藩の下級武士「青砥武平治」は、江戸時代に藩の重要な財源であった鮭を研究し、回帰性を発見、「種川の制」と呼ばれるものを考案する。これは、三面川の本流をバイパスする流れを作り、海から帰ってきた鮭が安心して産卵できるように孵化を助ける為のシステム。養殖など一般的ではなかった時代に、このようなシステムを考案し、鮭を増やしたのである。

その後明治に入ってさらにアメリカの孵化技術を取り入れ人工孵化に成功、明治17年には三面川を俎上してきた鮭の数737,378尾を記録する。これは、単一の河川では日本の最高記録だ。

味匠 喜っ川(みしょう きっかわ)

鮭を大切にし、鮭と共にある村上の生活。鮭を使ったレシピはなんと百種類を越えるといわれる。

そんな村上の地において、保存料などを一切使わず、現在もなお昔ながらに人の手をかけ、時間をかけ、本物の味を守り続けている鮭加工品製造の老舗「喜っ川」にお邪魔した。

村上の鮭文化

趣きのある木造の家屋に足を一歩踏み入れると、そこには見るだけで食欲が湧きそうな鮭製品の数々が並んでいる。酒びたしに塩引き鮭、めふんに粕漬け、鮭の飯寿司。鮭の生ハムやはらこのしょうゆ漬けなども並ぶ。一目見ただけで、店の主のこだわりと信念が感じられるような品達。それは一つ手にとって裏返し、原材料を見てもすぐわかる。余計なものが一切入っていないのだ。促されるままに、細長い造りの店の奥へと足を運び、角を曲がるとそちらが作業場。思わず足を止めて見入ってしまう。圧倒的な光景だ。

村上の鮭文化

目の前には数え切れぬほどの鮭たちが天井から吊り下げられて並んでいる。その一尾一尾がまさに目を見張るような堂々たる立派な鮭。その下で忙しそうに店の人々が鮭の面倒を見ている。

傍らに立つ店の主・吉川 哲鮏氏がおもむろに語り始める。「鮭は一匹一匹違います。全てに手をかけ、きちんと面倒を見てあげないといけないのです。」穏やかで優しい目をしていながらも、確固たる信念と鮭に対する熱い想いが全身から溢れている。曰く、鮭には捨てるところなどないのだという。内臓を使った味噌汁「なわた汁」や白子の刺身、心臓の塩焼きなど。中骨もじっくり柔らかくなるまで煮、頭や皮はもとより、エラまでも使ったレシピがある。普通では食べない部位を使う様々な鮭料理が村上には伝わっており、それらが日本のどこを探しても他には類のない独自の鮭食文化を作り上げているのだ。

村上の鮭文化

元々味噌や醤油を作っていた「喜っ川」には長い発酵の歴史がある。終戦の年まで酒造りを営んだ後、村上の鮭食文化を廃れさせてはならないとの思いから、造り酒屋から転身、塩引き鮭や酒びたしなどの鮭加工品を作り始めるようになる。戦後の化学調味料や保存料などを使う風潮の中でも頑固に昔の製法と味を守り続け、それらがようやく人々に認識されるようになったのは昭和も終わりに近くなってからという。効率主義の中にあっても伝統を守り通してきた頑なな想いがひしひしと伝わってくる。

塩引き鮭は最低でも一ヶ月、酒びたしにいたっては一年をかけてじっくり乾燥させて作り上げる。その過程の中で、酵素によって発酵が進み、アミノ酸が作り出される。この自然が作り出すアミノ酸が、深い旨みの元になるのだという。ゆっくりと手間隙掛けて面倒を見ることによって、一朝一夕には作り出すことの出来ない本物の深い味わいが出るのである。

材料の吟味においても、加工の過程においても、発酵過程においても、様々な条件と細やかな管理が必要になる。特に、一年がかりで熟成する酒びたしは、冬の寒さ、春の暖かさ、梅雨の湿度などの条件があって初めて完熟する。吊るす時間も、海のそばでは浜風が強すぎて乾燥しすぎるために、短時間しか吊るせず、十分な熟成が行われず、逆に山間部では、湿度が高くなりすぎて、これまた十分に乾燥されずに、適度な熟成がなされない。お店のある場所をとっても、美味しい鮭製品を作り出すための大変重要なファクターだという。

まさに天賦の環境と、日々の研究と努力、こだわり、そして技術が合わさって初めて、多くの人が喜び、笑顔になる味が生まれるのである。

村上の鮭文化

店をおいとまし、口の中に残る(試食させていただいた)本物の鮭の旨みの残響を愉しみながら、村上の町をそぞろ歩く。美しい町を歩きながら、物思う。旨いものはつくづく人を幸せにする。脳と身体を支配した「旨み」は、幸福をもたらす。憂いはしばし吹き飛び、悲哀もどこかへ姿をくらませる。勿論、その「旨み」は見せ掛けではなく、本物でなくてはならない。本物は手間隙がかかる。効率が悪い。ゆえに、値段も上がる。しかし、それは、もたらされる幸福の大きさを考えたら、決してそれほど高いものではないのではないか。

効率主義が我々現代人の食事をボヤケさせて久しいが、それはきっと作り手のみの責任ではない。消費をする私達にも責任がある。安いというだけで、量が多いというだけで、有名というだけで、買ってしまう。本当は誰もが、本物を欲し、いいものを欲し、安全で安心なモノを欲しているはずなのに、現実はどうだろう。

本物を知り、本物を求める心。全ての人々が偽物を拒否すれば、偽物は姿を消して、本物だけが残っていく。本物は美味しいだけではない。身体にもよいのだ。旨みの幸福で心を幸せにし、人工添加物の入っていない味で身体を幸せにする。

人間の身体は驚くほどに繊細で精密に出来ている。免疫力や、抵抗力など、本来持っている自然の力。それは、本物を食することによって、保持され、回復し、受け継がれる。本物を求めること、それはすなわち自身を守ることにつながるのだ。食は文化だ。文化は守らねばならない。私たちが自己の身体を守らねばならぬように。文化を守ることは自身を守ること。自身を守ることは文化を守ることだ。

例えば江戸時代の頃のように、多くの人々がごく自然に本物と接することの出来る世の中、それがごく普通である世の中。添加物のない調味料、添加物のない食品、購入するもの食するものが安心で安全であると普通に信じられる世の中。そんな世の中であったらいいなと心から思う。

路地を子供達がはしゃぎながら駆け抜けていく。村上の昼下がりは、平和で穏やかに過ぎていった。

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Japan Web Magazine 編集部

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