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名古屋城

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天下普請によって築かれた大城郭

「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と伊勢音頭で謳われる名古屋城。有名な金の鯱(しゃちほこ)から金鯱城とも呼ばれるこの城は天下分け目の合戦(関が原の戦い)の後、東海道の要所として1609年(慶長14年)、家康が天下普請として、築城の名手といわれた加藤清正を始め福島正則、前田利光ら、主に豊臣の忠臣であった北国・西国の諸大名20家に命じて造らせた城だ。(天下普請とは幕府が諸大名に命じて城や橋等の建築建造工事をさせることで、大きな出費をさせて大名の力を抑えつつ、幕府としての守りを固めたりするという意味を持っていた。)動員された労働者は延べ20万人以上と言われ、およそ2年の月日を経て完成した。

名古屋城は元々今川氏によって築かれた那古野城(織田信長の居城として知られた)で、信長が清洲に城を移してから廃城になっていた。関が原の戦の後、家康が溺愛していたといわれる九男義直を尾張に封じた際、その地に新たに城を造らせたのである。以来、徳川御三家の筆頭、尾張徳川家の居城として、400年間その威容を誇った。数々の自然災害や政変を乗り越えてきたが、名古屋空襲で本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などを焼失。現在の天守は1959年に再建されたものだ。

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金の鯱(しゃちほこ)

慶長大判にして実に1940枚、純金にして215キログラムの金を使用して造られたといわれる鯱は、家康が愛息義直の為に、将来の財政難の備えとして設置を命じたものと言われている。実際、尾張徳川家の江戸屋敷が江戸の大火で類焼しそれを再建する際に、鯱の金の鱗を付け替え、その金を使用した。付け替えられた鱗は金の純度が下がったために、輝きが失われたと伝えられている。この鱗の付け替えは、明治維新までにさらに二度ほどされている。

興味深いのはこの金の鯱を盗もうとした輩がいたことで、大凧に乗って鯱に近づこうとした江戸時代の盗賊・柿木金助の話は並木五瓶作の歌舞伎「けいせい黄金鯱(こがねのしゃちほこ)」として有名。柿木金助がしゃちほこを盗んだ話は脚色されたものだが、しゃちほこ泥棒が現れ194枚あった雄の鱗のうち、58枚が切り取られ盗まれるという、1937年に実際におきた事件を含め、明治以降三回盗難事件が発生している。

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戦前の焼失前の名古屋城

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