関東大震災後の東京の風景
公開日: 2014年9月1日 | 最終更新日 2022年10月20日
91年前の今日、発生した大正関東地震(関東大震災)は首都圏に甚大な被害をもたらした。
地震発生時刻は1923年(大正12年)9月1日午前11時58分。震源は神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)で、マグニチュード7.9。
東京、神奈川を中心に、190万人以上が被災し、死者・行方不明者は10万5千人以上を数えたとされる。建物全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟。レンガ造りの建物はほとんど崩壊し、建設途中であったビルの多くが全半壊した。また、木造がほとんどだった当時の一般家屋は燃えやすく、さらに地震発生時刻がお昼時であったこともあり、火災による被害がより広範囲に拡がる結果となった。地震の振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤の沈下、トンネルの崩落や崖崩れ、沿岸部では静岡県熱海市で6メートル、千葉県相浜(現・館山市)で9.3メートル、洲崎で8メートル、神奈川県三浦で6メートル等、津波による被害も発生した。
1919年に終わった第一次世界大戦後の反動恐慌が続いていたところへ、震災が追い打ちをかけ日本経済は大打撃を被ってしまう。それでも、国内外からの多大な義捐金や医療物資などの後押しもあって、徐々に復興は進み、新たな建物の建設、道路拡張や区画整理などのインフラ整備等が行われた。震災復興事業として建設された建築物には、鉄筋コンクリート構造で建設された同潤会アパート、聖橋、九段下ビルなどのほか、復興小学校、復興公園、震災復興橋(隅田川)などがある。
震災後7年余り、ようやく復興事業が完成し、復興事業の成果を国内外に報告し復興を祝す「復興記念祭」が実施されたのが1930年(昭和5)3月のことだ。
ここに紹介する写真は、震災直後の各地域の様子や復興事業によって整備された町や施設を写し取ったもの。震災直後の浅草・仲見世と、見事に復興した浅草・仲見世の様子を始め、震災後の都内各地の様子が克明に切り取られている。