平戸港
長崎県の平戸島にある平戸港は、現在は度島や的山大島とを結ぶフェリーが一日十便ほど発着する静かな港だが、かつては東アジアや遠くヨーロッパとの国際貿易港として栄えた場所だ。
ポルトガルの貿易船が初めて平戸港に入港したのが1550年のこと。(宣教師フランシスコ・ザビエルも同じ年に来航している。)
1584年(天正12年)にはスペイン。さらにオランダ、イギリスの船もやってきて、様々な舶来品を持ち込んだ。いわば、世界の最新、最先端の、物・技術・情報が、ここ平戸港を窓口にして日本に入ってきたのだ。
海外からは鉄砲、生糸、絹織物、硝石などがもたらされ、日本からは漆器、刀、硫黄、銀、海産物などが輸出された。商人同士の売買の交渉決裂や、キリスト教徒と仏教徒のいざこざに端を発するトラブルもあったようだが、交易がいかに盛んだったか、平戸の町を歩いてみると一目瞭然。教会をはじめ、商館や邸宅跡、墓地など、様々なところにその痕跡をみることができる。
キリスト教を禁教にしたものの、徳川家康も貿易自体は認めていたようだが、その後の幕府の鎖国政策によって1641年(寛永18年)にオランダ商館が長崎の出島へ移転。平戸港を舞台とした南蛮貿易91年の歴史に幕をおろしている。