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道路ファン、国道マニアなら一度は行ってみたい「国道三起点」って? 日本の道路の色々

三つの国道が集まる羽根尾交差点  群馬県吾妻郡長野原町雪の国道三起点 「羽根尾」交差点  群馬県吾妻郡長野原町

国道三起点 「羽根尾」交差点

羽根尾交差点は、国道144号(群馬県吾妻郡長野原町~長野県上田市)と国道145号(群馬県吾妻郡長野原町~群馬県沼田市)、国道146号(群馬県吾妻郡長野原町~長野県北佐久郡軽井沢町)という三つの連番の国道の起点となっている全国的に見ても珍しい場所。といっても一般の人にとっては「それがなにか?」という程度の感想だろう。道は道。車やバスや自転車で、もしくは徒歩で通るだけのこと。それが二つ三つ集まったところで?と。しかし、地図好きや道路マニア・国道ファンにとっては連番の国道三つの起点になっている、というこの場所はちょっとした聖地なみの場所なのである。

そもそも日本の国道(※)の番号(国道の番号すら普通の人にとってはただの「番号」にしか過ぎないのかもしれないが・・・)には色々と不思議がある。国道には国道1号、国道2号のように、1桁台の国道、それから国道16号、国道20号のように二桁台の国道、そして国道246号、国道254号のように三桁台の国道がある。皆さんのお住まいの地域にも色々な番号の道があるだろう。(もちろん、国道以外にも東京都なら都道、県なら県道、大阪や京都なら府道、北海道なら「道道」、さらには細かい区道や市道、私道、そして高速道路、有料道路等、様々なタイプの道があるかと思います。)
(※正式には「国道」は高速道路(高速自動車国道)も含みますが、ここでは一般国道の意味。)

この国道の番号なのだが、国道1号(東京~大阪)からはじまって507(鹿児島~沖縄)まで番号がつけられている。ところが、実際に日本に存在する国道は全部で459。国道59号から国道100号、そして国道109号、国道110号、国道111号、さらに国道214号、国道215号、国道216号は存在しないのだ。

さらには番号の順番の不思議だ。

普段、何気なく生活していると、「道の名前」なんて、「固有名詞」みたいなもの、「人の名前」みたいなもので、覚えた当初から「そういうもの」「ただの名称」としてあまり疑問にも思わないという人がほとんどだろう。(そもそも「道の番号なんて知らないわよ」「覚えていたとしても甲州街道とか日光街道とか道の名前だよ」という人も多いかもしれませんね・・・)

でも、旅行や仕事で他の地域を訪れた際など、ふとした時に気づく。「あれ、246(国道246号)って青山とか渋谷とか通って厚木の方まで行ってる(実際には静岡県の沼津市まで)道なのに、国道247号って名古屋なんだ!」とか「254(川越街道)は、池袋とか練馬とか通って川越まで行ってる(実際には群馬を通り長野県松本市まで)道で、国道253号は新潟県の上越から南魚沼、国道255号は神奈川県秦野から小田原なのか。」といった具合に。

要は、数字の並びに関連性があまり見られないのである。

旅好き(車旅・自転車旅・徒歩旅)や地図好き、もしくは歴史好き、郷土誌に詳しい人といった方ならご存知の通り、国道の数字には色々意味がある。例えば、数字1桁台の国道は全国の主要道路だ。国道1号は東京都中央区から大阪府大阪市まで、国道2号は大阪府大阪市から福岡県北九州市門司区まで、国道3号は福岡県北九州市門司区から福岡市~熊本市~鹿児島県鹿児島市までを結んでおり、地域の人々のみならず、遠距離を輸送するトラックなども使用するいわゆる幹線道路で、日本の国や地方の物流の要だ。2桁台も1桁台とほぼ同等、もしくはそこまでではなくてもかなり重要な幹線道路。3桁になると、主要国道を結ぶ脇道であったり、市や町を結ぶ道であったりする。

日本の道の歴史 国道の変遷

そもそも、明治時代になるまでは、日本の多くの道は番号ではなく「~道」「~街道」「~路」「~往還」といった名(固有名詞)で呼ばれていた。日本最古の道でもある「山辺の道」に始まり、太子道や竹内街道、それから「七道駅路」その後は「五畿七道(行政区分であると共に幹線道路の名でもあった)」と呼ばれた東海道、東山道(とうさんどう)、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道(さいかいどう)、奈良街道や高野街道、熊野古道。鎌倉と各地を結んだ古くからの道(古道)である鎌倉往還。そして江戸時代以降に整備された五街道の東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道と、その脇往還(脇街道)である中原街道(東海道の脇往還)、下田街道(同)、本坂通(姫街道)(同)、美濃路(同)、佐屋街道(同)、矢倉沢往還(同)、川越街道(中山道の脇往還)、下仁田道(同)、北国西街道(同)、北国街道(同)、伊那街道(同)、彦根道(同)、さらに駿信往還(甲州往還)、水戸街道、日光御成道、日光例幣使街道、日光脇往還、日光東往還、壬生街道、佐倉街道、羽州街道、三国街道、佐渡路、薩摩街道、中国路(山陽道・西国街道)、下街道 (名古屋路・善光寺道)、長崎路(長崎街道)などなど、日本の各地を結んでいた無数の道たちは、場所(例えば水戸街道は水戸の人には江戸街道と呼ばれた)や人や時代により変わる幾つかの呼び名も含め、各々名称で呼ばれていた。

日光街道

そんな日本の道路事情が大きく変わったのは、明治時代のこと。西洋化を進めていた政府は、1876年(明治9年)、日本橋を拠点とした五街道の形式は残しつつも、全国の道を国道、県道、里道に定め、国道を一等国道、二等国道、三等国道と3つの等級にわけ、道幅なども規定して整備をしたのである。ここで興味深いのは、一等国道は日本橋を起点に「東京より各開港場に達するもの」として各都市の重要な港を結ぶ道を選定したこと。日本橋から横浜港、大阪港、神戸港、長崎港、新潟港、そして函館港という当時の(現在もだが)主要な港6港とを結ぶ道としたのである。さらに二等国道の一つを伊勢神宮(当時は「伊勢宗廟」)とを結ぶ道を指定しているというのも興味深い。そのほか二等国道を東京と、大阪、京都の各府(当時)、および大阪、名古屋、仙台、広島、熊本の各鎮台(陸軍司令部)とを結ぶ道とし、三等国道を、東京と各県庁所在地、各府、各鎮台を結ぶ道とした。

明治後半から大正、昭和となるにつれて益々顕著になるが、道路を軍事的に最重要視し、国防、富国強兵の目的をもってして整備しているところが、時代を反映しているといえるだろう。当然、軍事的に「道」が重要な意味を持つのは江戸時代以前からの話であり、(表向きには平和な)江戸時代になっても関所が設けられて「関所抜け」は死罪となる(庶民は地元民の手引きで関所抜けをしたりもしていたようだが)など厳しく管理はしていたもののあくまで江戸と各藩各地の関係であり、明治以降の日本の道路が持つ役割、明治~昭和(戦前)の政府の道路に対する認識は、(国内の人や物の移動は原則としても)より軍事的、より対外的なものへ変化していった。(道路整備の主目的が「殖産振興」となるのは戦後まで待たなくてはいけないのである。)

1885年(明治18年)には等級が廃止され、連番形式で初めて1から44号までの44路線(「東京ヨリ横濱ニ達スル路線」の1号~44号の「東京ヨリ沖繩縣ニ達スル路線」まで。最終的に「東京ヨリ第十五師團ニ達スル路線」として61まで)が指定され、国道として整備された。これがいわゆる「明治国道」と呼ばれるもの。43号の「東京ヨリ第七師團ニ達スル路線(東京ヨリ根室縣ニ達スル路線)」、55号の「東京ヨリ第八師團ニ達スル路線」といった具合に、「師団(軍の部隊編制単位)」という言葉が出てくるのがまさに時代の趨勢を反映している。

その後、1919年(大正8年)には道路法(旧道路法)が制定され、明治国道が廃止、大正国道が定められた。「東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団軍司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ナ開港ニ達スル路線」および「主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線」という文言があり、軍事が益々優先されていったことが窺える。

1945年(昭和20年)に戦争が終わり、1952年(昭和27年)に道路法が全面的に改正され、ようやく現在の道路の形が見えてくる。横濱(横浜)、伊勢神宮とその終点が変えられてきた国道1号の終点がようやく大阪の梅田となり、その1号を含む40路線が一級国道に、1953(昭和28)年には144路線が二級国道にランク分けされ、それぞれ1~2桁と3桁(一級国道=1~40号、二級国道=101~244)の番号が割り振られた。さらに1956年(昭和31年)に7路線(245~251)が二級国道に追加指定、1959年(昭和34年)にあらたに3路線(41~43)が一級国道に追加指定され、1963年(昭和38年)に20路線(252~271)が二級国道に追加指定、同じ時期に14路線(44~57)の一級国道の追加指定、加えて二級国道の路線が幾つか一級国道に格上げされ当該国道の番号も3桁から2桁に改番となっている。

こうして格上げによって空いた番号は、新規に追加指定された道路に割り振られたものの、一部の番号は空いたままとなり、それが現在「国道59号~国道100号、国道109号、国道110号、国道111号、国道214号、国道215号、国道216号」が存在しない理由だ。

また、番号が割り振られた際、各都市を起点として路線を設定したり、原則、東北地方から南下しながら番号を付け、最後に北海道という順番にしたものの、追加指定や格上げなどが行なわれたために、位置関係も数字の順番通りとはなっていないのである。

1965年(昭和40年)4月に行われた道路法の改正で、国道の一級、二級の設定そのものが変更(廃止)となり、旧一級、二級合わせて「一般国道」となった。その後も幾度か国道が追加指定され、現在1号から507号までの459本の路線となっている。

ここまで長々と日本の道路の歴史、国道の変遷を説明してきたが、複雑怪奇とまではいかなくとも、幾度もの変更と追加、格上げなどで混迷を極めた国道の番号の歴史。国道144号、国道145号、国道146号という三つの連番の国道の起点となっている「羽根尾交差点」がいかに珍しい存在か、少しはお分かりいただけただろうか。ちなみに連番ではないが、8つの国道の起点となっている新潟県新潟市中央区の本町交差点(国道7号・8号・113号・289号・350号・17号・116号・402号)と高知県高知市の県庁前交差点(国道33号・56号・194号・195号・197号・493号・32号・55号)という所もあります。

普段何気なく通っている道にも様々な歴史があり、様々なドラマがある。近所の道のことをちょっと調べるだけで、新しい発見があるかもしれません。国道なのに、離合困難の細い道で気づけば一人山の奥深くにいた・・・なんていう、国道ならぬ「酷道」と「その道」の人達の間で呼ばれている道もあります。

道の面白さにはまってきたら・・・ようこそ!国道ファンの世界へ!

国道の色々

◇ 最も距離が長い国道:国道4号 延長742.5キロメートル(東京都中央区日本橋~青森県青森市)
◇ 最も距離が長い海上国道:国道58号  延長879.6キロメートル うち海上区間は609.5キロメートル(鹿児島県鹿児島市~沖縄県那覇市)
◇ 最も距離が短い国道:国道174号 延長187.1メートル(神戸港~国道2号間) 2位 国道189号 延長372メートル(岩国空港から国道2号)、3位 国道130号 延長482メートル (東京港から東京都港区芝一丁目)
◇ トンネルが最も多い国道:国道229号 (北海道小樽市~檜山郡江差町間)合わせて76箇所のトンネル
◇ 最も標高の高いトンネルのある国道:国道120号 金精トンネル 標高1843メートル
◇ 橋が最も多い国道:国道2号 (大阪府大阪市北区~福岡県北九州市門司区間) 合わせて1279箇所の橋
◇ 最も長い国道トンネル:国道409号~アクアトンネル(東京湾アクアライン) 全長9610メートル。2位 国道140号の雁坂トンネル6625メートル)、3位 国道423号の箕面トンネル5620メートル)
◇ 最も長い直線区間のある国道:国道12号 (北海道美唄市光珠内町 – 滝川市新町間の約29キロメートル)

◇ 最も標高が高い地点:国道292号 (長野県と群馬県の県境「渋峠」の標高2178メートル地点。2位は国道299号の長野県・麦草峠 標高2120メートル、3位は国道120号の金精トンネル標高1843メートル)
◇ 最も標高が低い地点:国道409号 (東京湾アクアラインの東京湾の海底「アクアトンネル」の海面下60メートル。2位は国道2号関門トンネル 海面下56メートル、3位 国道357号東京港トンネル 海面下34メートル)

◇ 最北端の地点: 国道238号 – 宗谷岬(北海道稚内市)にある北緯45度31分、東経141度56分の地点
◇ 最南端の地点: 国道390号 – 石垣島(沖縄県石垣市)にある北緯24度9分、東経124度9分の地点
◇ 最東端の地点: 国道44号 – 北海道根室市常盤町にある北緯43度19分、東経145度35分の地点
◇ 最西端の地点: 国道390号 – 石垣島(沖縄県石垣市)国道最南端の地点より西に約1キロメートルの地点

◇ 莫大な建設費が投入されたことで知られる国道:国道336号 えりも町~広尾町間「黄金道路」
◇ 日本三大酷道: 国道418号(福井県大野市から長野県飯田市)、 国道439号(徳島県徳島市から高知県四万十市) 、国道425号(三重県尾鷲市から和歌山県御坊市)
◇ 車が走れない歩行者専用国道:国道339号の一部(青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩竜飛の竜飛灯台付近~竜飛漁港付近の間)

国道最高地点「渋峠」国道最高地点「渋峠」
階段国道

階段国道

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