富士山富士山登山記日本の山

富士山登頂メモ

写真・文 森田廣海(もりたひろうみ)

富士山山頂

富士山登頂メモ2010

1.富士登山を思い立ったわけ

①世界文化遺産登録の可能性についての検証

・某氏に富士山の素晴らしい自然を紹介してもらった。世界文化遺産登録に向けてなにか応援したいと願っている。

・世界文化遺産認定の要素のひとつとして「富士山信仰」があると考えている。富士山登頂を通じて富士山信仰の実態を確認する。

・新田次郎「富士に死す」に紹介されている「富士講」。富士山信仰を長年支えてきた組織が衰退してしまった理由と復興の可能性について検証する。

②人生の節目の思い出づくり

・実家の炊事や買い物などの家事を担当している。家事には目標に向かって組織を動かしていく苦労のないかわり達成の喜びもない。達成感のない日々に寂しさから脱却すべく些細な目標を立てて人生にメリハリをつけたいと願っている。

・出向の二年目、職場の有志に声をかけ挑戦した富士登山は時間切れで登頂できずに終わっている。前回の雪辱を果たし山頂からご来光を眺めたい。

2.スケジュール

    7月7日(水)

    登山用品調達&壮行会 ・駿河台下で酸素ボンベとヘッドライトを購入

    ・壮行会は神保町「嘉門」。某氏の助言で高山病対策の必要性を再認識

    7月21日(水)

    富士山本宮浅間大社参拝 ・登頂の安全祈願。御霊水4Lをいただく

    ・湧玉池で禊。足を浸し木漏れ日の自然を満喫

    ・お宮横丁で焼きそばをはしご。ママンはお休み

    7月24日(金) 富士に死す読了 ・浅間大菩薩を信仰。案山・久遠禅師の入定

    ・富士山頂の所有権争いで富士山本宮浅間大社が勝利

    ・江戸に八百の富士講。富士登山でご利益期待

    7月27日(火) 富士登山初日

    ・新宿出発7:30(老若男女の参加者23名)

    ・富士吉田口五合目出発11:00

    ・本八合目トモエ館着18:00、トイレ臭漂う仮眠室

    ・夕食:カレー、仮眠:部屋が暑くて一睡もできず

    ・高山病で6名が登頂を諦める(登頂挑戦17名)

    7月28日(水) 富士登山二日

    ・トモエ館出発2:15 登山道は既に大渋滞が発生

    ・ご来光直前に山頂到着、お鉢巡りをして下山

    ・トモエ館出発7:40、五合目到着11;00

    ・帰途、ふじやま温泉へ。入浴&昼食で2時間弱

    ・新宿帰着16:30。本八幡auでパッテリー交換

    8月15日(日) 富士山本宮浅間大社参拝

    御殿場温泉入浴 ・20年振りの御殿場。御殿場温泉会館2時間滞在

    ・登頂のお礼参り。御麗水2Lをいただく

    ・マリリンメンローは売切れのためC’sで昼食

    ・C’sに1時間滞在。店主との会話弾む

    ・ジャスコで焼きそば材料を購入

    ・南部火祭り見物は来年として帰宅

3.登頂の経過

①新宿~吉田口五合目

・中央道は空いていた。富士スバルラインから頂上まで雲ひとつなく車窓より写真を撮る。五合目の下車に少し時間を要したが予定より早く到着した。

・水を2本追加購入する。浅間大社御霊水2L、麦茶2本、水6本を詰めたリュックはかなり重い。山小屋や山頂の水は高いので多めに準備する。

・トイレ(50円)を済ませ、冬用ジャンパーを着用して雲上閣前の集合場所に向かう。

 高校のクラスメートと登る山はどこも中高年ばかりなのに富士山は全く違っていた。若者の登山者がこんなに多いのに驚いた。中国人観光客もかなり来ている。

②五合目~本八合目トモエ館

・参加者23名が隊列を組み、ガイドと添乗員で前後を挟んで登っていく。参加者の7割近くが初めての富士登山とのこと。本八合目トモエ館を目指す。

・登山道を馬が降りてくる。馬糞が落ちて懐かしい。背が高くなると競って踏んだ子供の頃を思い出す。馬糞を撮ったらバッテリー切れで携帯の電源が落ちた。すぐに電源を切りバッテリーの回復をはかる。ご来光の撮影は果たして大丈夫だろうか????

・六合目公衆トイレ前で休憩。まだ1合分しか登ってないのにかなりしんどい。身体がやたら重く感じる。5キロ減量に真剣に取り組んでおけばよかったと今更後悔。

・七合目で2名がリタイア宣言。本八合目トモエ館の吹流しがはるか上方に小さく見える。あそこまで登るのは少々憂鬱。喉が渇いてペットが次々と空になる。

・七合目を過ぎると空気が薄くなるので適宜、深呼吸をして呼吸を整えるよう注意されていたが七合目半あたりで4名が高山病になる。先頭をゆくガイドが自分の身体と高齢者2名の身体をザイルで結び本八合目を目指して登ってゆく。その体力に感心。

・八合目山小屋前のベンチに倒れこむ。岩場を這いながらなんとか登ってきた。はるか上の本八合目を見上げながらしばし休息をとる。高山病の症状は出てない。

・本で読んだ身禄入定の岩屋を是非見ようと思っていたが七合目から本八合目の登りが余りにもしんどくて、元祖室の前を通りながら参拝を忘れてしまった。やっとの思いで本八合目トモエ館に到着。久々に疲労困憊。

③本八合目トモエ館で仮眠

・仮眠室前にトイレがあり部屋の空気の八割はトイレ臭であった。更に、布団に入ると汗をかくほど暑くて眠れない。トイレ臭のためドアを開け放てなかい仮眠室。最悪。

・横たわり足を揉んだ。痛いのを我慢して1時間近く揉みほぐす。膝の周りの筋肉がかなり凝っているようだ。

・暑くて眠れないので集合場所に1時間前から座って登山者の行列を眺める。列が途切れることなくどんどん登ってきており本八合目でも既に大渋滞が発生。

④本八合目トモエ館~山頂

・6名がリタイアしたので参加者17名をガイドと添乗員で前後を挟んで頂上を目指す。肉体的な疲労感はなく、一睡もしてない割には元気も回復している。

・大渋滞で前に進まない。頂上でのご来光に間に合わないのではないかと心配になってきた。ガイドの機転で下山道に転進し、そこから頂上を目指すことになった。

・頂上を目指して砂礫のダラダラ坂を急ぐ。歩き難いなんて言っていられぬ切羽詰まった状況になる。朝日が昇るのを誰か止めてくれ。気持ちは焦るがペースはあがらず。

⑤お鉢巡り

・雲海から朝日が顔を出すほんの数分前に頂上に到着。山頂はご来光を仰ぐ登山客で溢れていた。撮影ポイントを探して少し小高い岩を上がる。

・携帯の電源を入れる。はやく立ち上がれ。もうすぐ朝日が顔を出すのに・・・。

・写真撮影モードになるのに手間取る。ようやく一枚目のシャッターを切った瞬間、電源がおちてしまった。これからなのに残念・・・・。保存操作ができてないのでだめだったかも・・・。馬糞撮影で電池を浪費したことを後悔しながら瞼にやきつける。登山日を一日延ばしてよかった・・・・。

・朝日が雲海からすっかり姿を見せるとお鉢巡り出発の号令が出る。次の目標は浅間大社奥宮参拝と富士山頂郵便ポストに持参の絵葉書の投函だ。

・奥宮ではアルバイトと思しき若者二人が君が代を斉唱しながら国旗を揚げていた。伊兵衛の求めたのと同じ銀明水と奥宮限定のお守りなどを購入。

・剣ケ峰が混まないうちにとガイドは先を急ぐ。山頂郵便局も開いていたが立ち寄らずに絵葉書を投函して隊列に戻る。記念スタンプを押せないのが残念・・・。

・剣ケ峰から先は雪が残っていた。今年は残雪が多くて前日からようやくお鉢巡りができるようになったとのことだった。剣ケ峰の気象観測所を外から見学する。真冬の寒さと戦ってここで気象観測したのはすごい。

・剣ケ峰から大沢崩れに広がる雲海に影富士ができていた。携帯の電源を入れて写真撮影モードにしたとたんに電源が切れてしまう。本当に残念・・・・。富士宮方面も雲海に阻まれて全く見えない。粘ってみたが遅れて隊列に戻る。

・お鉢巡りもアップダウンがあるのでかなりきつい。剣ケ峰から金明水にかけて下り坂となり再び登って久須詩志神社となる。だいぶバテている。喘ぎながら坂を登る。

⑥山頂~本八合目トモエ館~五合目

・お鉢巡りを終えて下山する。砂礫の下山道はものすごく歩きにくかった。滑って尻餅をつく者が続出。とにもかくにも足の置き場に細心の注意を払うことにした。

・滑らないよう踏ん張るので普段使わない筋肉まで総動員して降りてくる。しんどい。

・空腹感に襲われる。梅干飴をしゃぶりながら遅れ気味に下りてゆく。腹へった。

・六時前にトモエ館に戻り、鮭の切り身がのっている炊き込みご飯のお弁当を食べる。

 湯飲みのお茶は1杯目は無料で二杯目からは一杯100円なり。持参の麦茶を飲ん   で喉の渇きをいやす。水の在庫はあと2本。五合目まで持つだろうか?

・「ここを出ると売ってるとこはないよ」とトモエ館のアルバイトがマスクと飲み物を売り込んでいた。本に出ていた江戸時代の石室と同じセールストークに出会った。

・7時40分、五合目に向かって下山する。九十九折の下山道がはるか下までつながっている。七合目のリタイア組と合流し総勢25名が隊列を組んで下山。登山道に目をやると白装束の一行が登っていく。少数派ではあるが富士講は健在であった。

・六合目に着くまでに三回ほど休憩をとった。七合目と六合目の間が一番長く感じられた。合間の高度差は必ずしも均等ではなく、一合の油の燃え尽きる所を合と決めてあるとガイドの説明。本当かなぁ・・・・? 水の残量はあと250mlくらい。下山道には山小屋がない。セールストークはまんざら嘘ではないんだ・・・。

・体力に個人差があるため下山に要する時間に大きなバラつきが出てきた。そこで隊列を止め、五合目雲上閣まで個人ごとのペースで下山することになった。みんなを見送り、腰を下ろす。このだらだら坂を下るエスカレーターを設置できないものか・・・。

・途中で水が切れる。五合目まで我慢するしかない。気持ちは急いても足が思うように前に出ない。少し下っては休みまた下るというリズムを繰り返しながらひたすら雲上閣を目指す。それにしても砂塵がものすごい。誰もが足を引きずって下山するので砂塵が舞い上がる。バンダナ必要の助言通りだ。バンダナの代わりにタオルで覆面をする。まるでゲバ学生みたいだなぁ・・・。10時半に雲上核に到着。下山確認表に記入して水を買い一気に飲み干す。なんとも寒露。乾いた身体が砂漠のように水を吸収。

4.感想

①ハードで富士講という文化遺産に触れるゆとりがなかった。

・江戸時代は草鞋や足袋で登山していたようだ。砂礫のでこぼこ道はトレッキング靴でも大変であった。草鞋は何足くらい用意したのだろうか?

・ご利益を願って登っている人はほとんどいない。日本一高いから一度は登ってみたいというのが大半の動機であろう。富士山信仰そのものが継承されていない現実を目の当たりにすると世界文化遺産の登録は難しいように感じた。

・登り下りともにきつかった。ばててくると周りの景色をみる余裕もなくなってくる。登りでは前の人の足元を見ながら喘ぎ喘ぎ登っていく。下りでは足をとられないよう下を向いて砂礫ばかりを見ていた。富士山は遠くよりみるものか・・・・。

②悪しき石室文化が残っている。

・江戸時代も七合目や八合目に石室があって登山客に宿泊の便を提供していた。

・登山客は麓で強力を雇い、強力の手助けを借りて登頂していたようである。強力は石室の食べ物や飲み物を登山客に勧め、石室からキックバックを受けとっていた。石室の亭主は横柄で一見の登山客から暴利をむさぼっていたと書かれている。

・本八合目の支配人は従業員だけでなく登山者にも横柄な態度をとっていた。独占的な商売が続けられているせいか悪しき文化が今も残っている。

・江戸時代の石室は壊され山小屋に生まれ変わっている。富士山信仰の文化遺産の喪失にほかならない。登山客にとって安全で快適な宿泊施設に建て替えることは文化的価値の喪失にほかないない。

③富士宮に愛着を感じるようになった。

・おいしい涌水は富士宮の宝である。御霊水で入れた麦茶のおいしさを忘れることはできない。御霊水を飲むため富士宮に移住してもよいと思えるほどの名水である。

・「焼きそばは材料が同じなので腕を発揮する余地は少ないがお好み焼きは材料に工夫できるので他のお店との差がつけられる」とC’s店主。納豆のお好み焼きを注文したが確かにうまい。柔らかな生地が大阪のお好み焼きと違う特徴でその食感のとりこになってしまった。富士宮のお好み焼きアンテナショップを東京や大阪に出店することで街おこしにつなげる方策もあると思う。

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