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唯一無二!?弘前城の桜の美しさの理由に迫る! 全国屈指の桜の名所「弘前公園」の桜 完全ガイド

弘前城の桜はなぜ一際美しいの?弘前城の桜の美しさの秘密とは?

日本屈指の桜の名所として知られる青森県弘前市にある弘前城(弘前公園)。桜前線が日本列島を北上していき、通常の年であればゴールデンウィーク前くらいに満開になり、その様子はニュース映像などでもよく流れるのでご覧になったことがある方も多いでしょう。こぼれんばかりの桜の花びらが幾重にも折り重なるその美しさは、一度目にしたら忘れられないほどに壮麗で印象的なもの。各地にある「桜の名所」はそれぞれに素晴らしいですが、この「弘前城の桜」は、それらの中でも「とびっきり」上等で、頭一つ抜き出ているといえるほどの美しさなのです。その豪華絢爛な迫力の桜の風景は、いかにして出来上がったのかご存知でしょうか。

今日は、弘前城の桜の美しさの秘密を、弘前城の桜の風景と共にお届けいたします。弘前城の桜の美しさの理由を知った上で、是非桜のシーズンに弘前城を訪れてみて下さい。一際、弘前の桜を楽しめること、請け合いです。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜と堀 弘前城の桜は満開を迎えた後、3日間ほど満開が続き、その後さらに数日間花吹雪と、お堀が一面桜色になる「花筏」の絶景を楽しむことができる

現存天守と桜の風景

江戸時代、もしくはそれ以前に築かれ、今も私達にその見事な姿を見せる「現存天守」。松本城や丸岡城、犬山城、彦根城など、主に長野以西の中部~関西、中国、四国に点在する全部で12の現存天守の中で、唯一東北地方にあるのが「弘前城」。弘前藩四万七千石を治めた津軽氏の代々の居城となり、青森県西部一帯の「弘前エリア」の政治経済の中心地となってきました。創建当初は5層6階の天守がありましたが落雷により焼失、その後天守は再建されず三重の櫓(御三階櫓)が天守としての機能を担ってきました。そんな理由で「天守」こそ、他の城と比較すると小さなものですが、城としての規模は大変大きく、記録によると創建時の面積は約385,200平方メートル、城跡を元に弘前公園として整備された現在の総面積は約49万2000平方メートル(約14万9000坪)にも及ぶ広大さです。その敷地内に植えられた桜は約50種、2600本。春になるとそれらが一斉に咲き誇るのです。このデータだけを見ても、弘前城(弘前公園)の桜の美しさ、その規模がお分かりいただけるのではないでしょうか。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

弘前城の桜の特徴は、なんといってもその重量感。重層的な桜色の乱舞とでもいえるような、畳み掛けてくる美しさ。「淡い桜色」が圧倒的な迫力でせまってくるという、「ギャップ」にも似た独特の違和感をはらみながら見る者を魅了します。豪華絢爛、瀟洒壮麗。それでいて、かわいらしくて、愛らしい一面もあり、実に多面的な魅力に溢れています。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

一度でも桜が満開の時期に弘前に足を運んだことがある人ならば、中には疑問に思ったことがある方もいらっしゃるかもしれません。「弘前の桜は、なんでこんなにきれいなのだろう・・・。」そうなんです。あまりの美しさとその迫力に最初は圧倒され、そしてある瞬間ふと気が付くのです。「弘前の桜って、なんか他所と違う??」

というわけで、早速、弘前の桜の美しさの理由をひも解いてみましょう。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

その前にちょっとクイズです。皆さんはサクラは何科の木かご存知でしょうか。サクラには、良く知られるソメイヨシノをはじめ、タキノザクラにカンヒザクラ、エドヒガンなどなど、様々な種類のサクラがありますが、いずれも同じ科に属します。

答えは「バラ科」です。それではもう一つ。弘前名産のもので、同じバラ科のものがありますが、それはなんでしょう?

もうお分かりですね。答えはリンゴです。見て美しいサクラと食べておいしいリンゴ、この二つは実は同じバラ科であり、この「リンゴ」こそが、弘前のサクラの美しさの理由を語る上で重要なキーワードになるのです。

弘前のサクラとリンゴの関連性

弘前のサクラを語る上で、まず、弘前城のサクラの歴史について簡単にご説明しましょう。

弘前城に桜がはじめて持ち込まれたのは、1715年(正徳五年)といわれます。藩士が京都から帰藩の折、カンザンやカスミザクラなどの苗を二十五本持ち帰り、城内に植えたのがきっかけと伝えられています。(この時、植えられたと伝えられる桜のうち一本は「正徳桜」と呼ばれて、今も二の丸で花を咲かせています。)

それらのサクラのうちのほとんどは残念なことに、明治時代に入って伐採されてしまったといいます。江戸から明治へと時代が移る中で「城」の重要性が失われ、さらに1873年(明治6年)に廃城令が出るに及んで「城」が「過去の遺物」として扱われるようになり、弘前城も次第に荒れていったのでした。江戸時代には簡単には出入りできなかった城の敷地内にも、一般の人も立ち入ることができるようになり、中にはそんな状況を憂いてか「城を行楽の地にするのはけしからん」と桜を抜いた者もいたとか。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

とはいえ、一方でそんな状況(城が廃れていく状況)を苦々しく思い、心を痛めていた旧藩士も多くいました。菊池楯衛(きくちたてえ)もそんな旧藩士の一人。そんな彼は、1882年(明治15年)におよそ1000本ものソメイヨシノを植栽したのでした。さらに1895年(明治28年)には弘前城の城跡が「弘前公園」として一般に開園。1901年から1903年(明治34~明治36年)にかけて、旧藩士の内山覚弥(市議)の提案によりさらなるソメイヨシノが1000本植栽され、戦後の1952年(昭和27年)に弘前城が国史跡指定「津軽氏城跡弘前城跡」となった後も、市議や県緑化推進委員会などが寄付、植栽などをした結果、現在では2600本もの桜の木が植えられているのです。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

さて、先ほど津軽の名産品「リンゴ」はサクラと同じバラ科である、という話をしましたが「弘前のサクラが美しい」最も大きな理由とされているのが、津軽の「りんご栽培」で鍛えられた剪定の技術なのです。一体どういうことかをご説明すると、まず大前提として一般的に桜の木は切ってはいけないといわれていることにあります。これは、桜の木はあまり丈夫ではなく菌に弱い為、不用意に桜の木を切ってしまうとそこから菌が入って病気になり枯れてしまいやすいからなのだそう。「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」なんという戯言もあるほどで、通常はサクラの木は切らないものとして長らく扱われてきたのだと言います。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

しかし、ある時、弘前公園のサクラの木の中で、特に樹勢が弱っていた桜の古木を、りんご農家でもあった弘前公園の管理人がリンゴの木を剪定する要領で大胆に剪定してしまったのだとか。弘前公園のサクラの木の管理人たちに「サクラの木も、リンゴ同様に剪定しても大丈夫」という確証がどれほどあったかはわかりません。もしかして、このまま古木が枯れてしまうのならば、とイチかバチかの掛けだったのかもしれませんが、なんと次の年には弱っていた桜の古木は樹勢を回復し、見事に花を咲かせたのだそうです。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

その年からは弘前公園では桜の剪定作業が行われるようになり、またリンゴの剪定作業を参考に、サクラの花芽がより多くつくように剪定を行うようになった結果、いつしか現在のような豊満に花を咲かせるサクラへと変化していったのです。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

タブーとされていた「サクラの剪定」を行った結果、今までよりもさらに美しく咲く桜を作り上げた津軽のリンゴ農家の人々。そんな彼らの挑戦と技術と心意気のお蔭で、弘前公園のサクラは現在のような壮麗な美しさを見せるようになったという訳です。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜
弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜
弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜 サクラの花芽の数は、通常三個から四個ほどのところ、弘前公園のサクラの木は五個から七個もの花芽がつきます。それこそが、ひと目見ても重量感があり、豪華で壮麗な迫力のあるサクラの風景を作り出す理由。また、花の重みで枝を垂れた桜は、お堀の水につかんばかりの樹形になり、それがまた美しい風景を作りだしているのです。
弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

りんごの木は手入れがしやすいように、そして日がまんべんなく良くあたるように、上部の枝を切り、横に枝が張るように低く樹形を作るように剪定を行うそうですが、その剪定法が生かされた弘前城の桜も、枝を横一杯に広げ、華やかな雰囲気を漲らせます。

弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜
弘前公園の桜弘前公園(弘前城)の桜

弘前公園の桜が圧倒的に美しい理由、おわかり頂けましたでしょうか。

ご存じのように、「桜の美しさ」は花の色や咲き方は勿論のこと、香りや空気感も含めた全体の雰囲気によるところも大きいもの。写真や文章では伝えきれない「圧倒される桜の迫力」は、実際に全身で味わって頂きたい体験です。東京や大阪などから、「ちょっと桜を見に」というには少し距離のある弘前ですが、桜のほかにも食べ物など、尽きせぬ魅力に溢れている場所でもあります。機会があれば、ぜひとも弘前まで行って、桜の絶景を堪能し、美味しいものに舌鼓を打ってくださいね。弘前の桜の見頃は年にもよりますが、大体4月の中旬以降、5月の初め頃まで。天候にもよりますが、満開は3日ほど続き、さらに3~4日ほどは桜が散ってお堀が桜色に染まる絶景「花筏(はないかだ)」を楽しむことができます。

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