深川不動尊

深川不動尊

成田山深川不動堂

井原西鶴の「好色一代男」や近松門左衛門の「曽根崎心中」が書かれ、松尾芭蕉の「奥の細道」が刊行されるなど、町民文化が花開いた元禄時代。江戸の町人を中心に不動尊信仰が広がった。特に、絶大な人気を誇った歌舞伎役者の市川團十郎が、不動明王が登場する芝居を打ったことで、人々の、成田山新勝寺の不動明王を拝観したいという機運が高まっていった。そんな中、1703年(元禄16年)に成田山のご本尊の「出開帳」が富岡八幡宮の別当・永代寺で実現する。総勢300人を超える行列が組まれ、成田山から江戸まで1週間余りをかけてご本尊が運ばれたという。御開帳は2ヶ月にわたり、たくさんの江戸っ子でにぎわった。これが、現在も多くの人々の間で信仰される深川不動堂(通称・深川不動尊、お不動様)の始まりだ。

その後、成田不動の出開帳は江戸末期まで都合12回開催され、そのうち11回の出開帳が永代寺で行われた。明治時代になり、明治政府の出した神仏分離令によって、永代寺は廃寺となり境内跡は深川公園となったが、人々の願いにより、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することとなった。その後、明治14年には本堂が完成。本堂は、関東大震災と太平洋戦争によって焼失してしまうが、千葉県本埜村(現・印西市)に建っていた龍腹寺(文久3年・1863年建立)の本堂を深川に移築して復興した。

商売繁盛、交通安全など様々なことにご利益があるとされる深川不動尊。毎月1・15・28日の縁日のほか、節分や花祭り、龍神例大祭など、年間を通じて様々な行事が行われている。

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