奈良井宿の水場
江戸時代の五街道の一つで、東海道と並ぶ江戸と京都を結ぶ重要な街道であった中山道には、江戸の日本橋から東海道に合流する草津宿まで、67の宿場が置かれていた。その宿場の中で、最も規模が大きく、難所といわれた木曽の11宿の中でも最も標高の高い場所に位置していたのが奈良井宿だ。南北約1キロメートル、東西約200メートルの範囲に、本陣を始め、脇本陣、問屋などが軒を連ね、多くの旅人で賑わうその様は、「奈良井千軒」と謳われた。
隣の藪原宿までの間に、中山道でも指折りの難所とされた標高1,197メートルの鳥居峠が控え、旅人は奈良井宿でこの鳥居峠越えに備え、また鳥居峠を越えてきた旅人は安堵のため息と共にしばしの休息を取った。
そんな旅人や宿場町の人々の喉を潤してきたのが、宿場の中に幾つか設けられた水場だ。木曽の山中から湧き出る清らかな水で、人々は渇きを癒し、また手足を濯いだ。
今も現役で活躍する水場には、徒歩や馬の代わりに自動車やバス、列車で旅人がやってくる。その多くは、かつての旅人のように、江戸と京都の間を行き来することが目的ではなく、この宿場町を訪れることが目的だ。しかし、目的こそ違えども、旅人の気持ちは変わらない。珍しいもの、美しいものに目を見張り、心をときめかせ、ご当地の味に舌鼓を打つ。そして、水場で喉を潤し、時には地元の人々と世間話に華を咲かせるのだ。時代が変わってもなお、素朴で美しい風景がそこにはあるのである。