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豪徳寺 「招き猫」で有名な東京・世田谷の寺院

豪徳寺

招き猫発祥の地

小田急線「豪徳寺駅」から徒歩約10分、東急世田谷線「宮の坂駅」からなら徒歩で約5分、世田谷区の閑静な住宅街の一角に広大な敷地を誇る寺院があります。それが「招き猫」の発祥の地の一つとしても知られる豪徳寺です。

1480年(文明12年)、世田谷城主・吉良政忠が伯母の弘徳院の為に建てた寺院がその始まりといわれる寺院で、初めは臨済宗でしたが、1584年(天正12年)に曹洞宗となりました。1633年(寛永10年)には彦根藩主・井伊直孝が伽藍を整備、井伊氏の菩提寺としました。

境内の一画は井伊家の墓所となっており、滋賀県彦根市にある清涼寺、東近江市にある永源寺の井伊家の墓所と共に、「彦根藩主井伊家墓所」として国の史跡に指定されています。また、「桜田門外の変」で命を落とした井伊直弼のお墓もあり、こちらは東京都の史跡に指定されています。

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豪徳寺

彦根藩主と招き猫

徳川秀忠、家光、家綱に仕えた彦根藩第二代藩主・井伊直孝が、鷹狩りの帰りに豪徳寺のそばを通りがかった際、門前にうずくまっていた白い猫が頻りに手招きをするので、不審に思って馬を止め、寺に休息を願い出たといいます。寺の和尚が渋茶などを振る舞いもてなしている内、みるみる空が掻き曇って夕立が降り始め、雷鳴が鳴り響きました。そして轟音と共に雷が落ちます。井伊直孝らは、和尚の説く三世因果の説法を聞いていましたが、この不思議な因縁に感じ入り、命拾いしたことを感謝して、以後この寺に帰依したといいます。

井伊直孝ら一行を雷雨・落雷から救ったといわれるこの「白い猫」が「招き猫」の元になったといわれている猫です。豪徳寺では、「招福猫児(まねぎねこ)」として祀り、本堂正面左側には「招猫堂」と呼ばれる小さなお堂も建っており、大小様々な沢山の招き猫の置物が奉納されています。ちなみにこの白い猫は、「ゆるキャラブーム」の先駆けであり彦根城のマスコットとして知られる「ひこにゃん」のモデルになったネコでもあるのです。

豪徳寺の建物と景観

豪徳寺

桁行5間(17.7m)、梁間6間(15.8m)、一重裳階付、入母屋造の豪徳寺仏殿。1677年(延宝5年)建立

豪徳寺

豪徳寺鐘楼と梵鐘。梵鐘は、1679年(延宝7年)に近江大掾藤原正次によって制作されたもの

豪徳寺

豪徳寺参道

豪徳寺豪徳寺
豪徳寺豪徳寺山門
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺1967年(昭和42年)築の法堂(本堂)
豪徳寺
豪徳寺1937年(昭和12年)築の納骨堂
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺
豪徳寺2006年(平成18年)築の三重塔
豪徳寺豪徳寺

豪徳寺 まとめ

東京・世田谷区にある寺院「豪徳寺」をご紹介しました。治安が良く、一人暮らしの女性も安心して暮らせる町として知られる世田谷区豪徳寺の一角にある寺院「豪徳寺」。山門を入ると法堂(本堂)、1677年(延宝5年)建立の仏殿をはじめ、開祖堂、納骨堂、三重塔、招福殿、1679年(延宝7年)に鋳造された梵鐘が下がる鐘楼などの建物が整然と並んでおり、周囲を豊かな緑に包まれて、とても穏やかで安らげる空間が広がっています。近隣の人々の散歩コースにもなっているようで、軽やかな格好をした人々が思い思いに歩いている姿も見受けられ、地域の人々に親しまれている様子も窺えます。招き猫の逸話を知らなくても、なんとなくホッとできるような、優しく受け入れてくれるような、そんな雰囲気に満ちたお寺です。お近くにいらした際には、ぜひ足を運んでみてくださいね。

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豪徳寺

Japan Web Magazine 編集部

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