日光の社寺
公開日: 2007年2月24日 | 最終更新日 2015年6月25日
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日光の社寺
今や日本のみならず、世界的にも有名な観光地「日光」。「日光」と言えば一般的には徳川家康を祀った「東照宮」のイメージが強いが、その歴史は徳川時代よりもはるか昔、1200年以上前の奈良時代にさかのぼる。下野の国(栃木県)出身の僧・勝道上人により782年(延暦元年)二荒山(男体山)が開山され、四本龍寺(現在の輪王寺)が建立されたのがその起源と伝えられている。
二荒山(男体山)
日光(にっこう)という呼び名は元々は二荒(にこう)の音が変化したものといわれており、これは二荒山もしくは二荒神の二荒(ふたあら)から来ているという。この元の音は現在、「ふたあら」が「ふたら」となり神社や山の呼び名として残っている。
日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺の二社一寺をあわせて「日光の社寺」として、1999年にユネスコ世界文化遺産として登録された。
日光東照宮【にっこうとうしょうぐう】
日光東照宮は、徳川幕府の初代将軍・徳川家康を神格化した「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」を祀る神社。正式名称は「東照宮」。久能山東照宮、日吉東照宮など、各地にある東照宮の総本社的存在。現在の社殿群は、家康逝去後に葬られた静岡の久能山から、日光の地に改装された後、徳川三代将軍家光により大造替されて出来上がった。建立時に「いくら予算をかけてもよい」という命があったと伝えられるのも頷けるような豪華絢爛な作り。特に金、銀をはじめとした様々な色に彩られた「陽明門」は建立当時さぞ煌びやかであったろうことが今でも容易に想像できるほど。現在もきらきらと光り輝いている。
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日光山 輪王寺【にっこうざん りんのうじ】
日光山輪王寺は、比叡山延暦寺、東叡山寛永寺とともに天台宗三山に数えられる寺院。四本竜寺として「勝道上人」によって中禅寺湖岸に建立されたのがそのはじまりといわれる。江戸時代には、東照宮、二荒山神社とあわせて、「日光山」として神仏習合の信仰が行われ、崇敬を受けていた。広大な寺域に、鮮やかな朱塗りの本殿「三仏堂」をはじめ、慈眼堂・常行堂・中禅寺・護摩天堂など数多くの堂宇が点在する。
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二荒山神社【ふたらさんじんじゃ】
男体山の神「大己貴命(オオナムチノミコト)」を祭神とする1200年以上もの歴史を持つ神社。境内には樹齢1000年を越える樹木が生い茂り森厳な空気に満ち満ちている。男体山(二荒山)の頂上に奥宮、中禅寺湖の北岸に中宮祠がある。
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二荒山と中禅寺湖
紅葉時期の大渋滞でも有名ないろは坂を越えるとまもなく見えてくるのが、二荒山神社の奥宮のある二荒山と中禅寺湖だ。名瀑「華厳の滝」もすぐそばにある。
男体山(二荒山)
男体山は標高2,486mの火山。古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮がある。日本百名山の一つ。
中禅寺湖
およそ7,000年前の男体山噴火により溶岩が流出、湯川がせき止められて出来た湖。人造湖以外の面積4平方キロメートル以上の湖としては、日本一標高の高い場所にある湖。大きさとしては日本で25番目の面積をほこる。風光明媚な景観と夏でも過ごしやすい気候で、明治中頃から昭和初めにかけて、湖周辺には欧米各国の大使館別荘が建設され、各国の外交諸官らが避暑に訪れる、軽井沢と並び称された一大避暑地であった。
華厳の滝
落差97mで日本三名瀑の一つに数えられる華厳の滝。二荒山を開山した勝道上人によって発見されたと伝えられ、仏教の経文の一つ華厳経からその名がつけられたといわれる。
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日光 DATA
- 場所: 栃木県日光市
- 交通: JR「日光駅」・東武「日光駅」から東武バス中禅寺温泉または湯元温泉行き
- 車で:日光宇都宮道路日光ICから
- 駐車場: 有
- 問い合わせ: 0288-54-2496
- HP: 日光市観光協会
華厳の滝
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