川越

川越 小江戸・川越散歩

小江戸川越

東京から電車で約一時間、埼玉県の南西部にある川越は年間600万人以上もの観光客が訪れる町だ。昔の情緒溢れる町並みと、うなぎや芋、様々なお菓子などの食の楽しみで人々を惹きつける。その町の規模と賑わいから、江戸時代中頃には「小江戸」と呼ばれていた川越。今も多くの歴史的建造物が残り、町の繁栄と発展の歴史を伝えている。

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日本橋を基点として、江戸からおよそ11里。川越はかつて、町の名の由来にもなっている河越氏によって治められていた。鎌倉時代のことだ。その後江戸城を建てたことでも知られる太田道灌が川越城を作り、城下町として町は広がっていく。江戸時代に入り、幕府が川越に藩を置き、江戸の北方の要として重要視(幕府の要職である老中経験者から川越藩主が多く選ばれている。)したこともあり川越は次第に栄えていった。寛永15年(1638)正月の川越大火により焼失した東照宮と喜多院を再建するための物資を運ぶために、新河岸川の舟運が整備され、また藩主の参勤交代の為に川越と江戸を結ぶ街道も整備されたことによって、物資の輸送が便利になり、川越周辺の物資が続々と集まるようになって、町は益々発展していく。

川越を流れる新河岸川は、今の朝霞市と和光市の境辺りで荒川と合流し、さらに隅田川を経由して江戸に達していた。川越から江戸へは米穀類、野菜類、材木、薪炭、ゴザ等が運ばれ、帰りの舟で農作物のための肥料である肥、灰、糠や塩、小間物、雑貨、綿糸、石材等などが運ばれた。舟には、「並船」、「早船」、「急船」、「飛切船」などの種類があり、「並船」は江戸に向ってから戻ってくるまでに各所で集荷・荷降ろしする舟で一往復七~八日から長い時には二十日程も要した荷舟、「早船」は主に乗客を運ぶ屋形舟で川越の引又から浅草の花川戸まで約十五時間。「急船」は片道一日半から二日かかる荷船で、「飛切船」はいわゆる特急便で、行ってすぐ戻ってくるという舟であった。それぞれ利用者や目的によって使い分けられていた。

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蔵造の町並み

江戸は火事の多い町だった。住宅が木造であることに加え、長屋に代表されるように人口過密。記録によれば、江戸の歴史約260年のうちに、火元から半径1キロ以上焼いた大きな火事が実に100回近くもあったという。「火事と喧嘩は江戸の華」とまで言われるほどで、実に2~3年に一度は大きな火事があったことになる。度重なる火事に頭を悩ませた幕府は、延焼を食い止めるために広小路を設置したり、耐火建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励した。大きな商家はこぞってこの土蔵造の瓦葺屋根にし、当時、江戸と行き来のあった川越の商家もこれにならったという。

数多く残っていた江戸の蔵造の家々は関東大震災で崩壊したりで少なくなってしまったが、川越の蔵造の家々は、町の3分の1を焼いたという明治26年(1893)の川越大火でも威力を発揮、その耐火性が改めて見直され、商家を中心に再整備され、今に至るという。今日では趣のある建物として町並みに雰囲気を与えているこの蔵造、このような訳で元々は「火事に備える」必要性から建てられたものなのである。

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蔵造の最大の特徴分厚い壁と扉。

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時の鐘

江戸時代初期より人々に時を告げてきた町の象徴的存在「時の鐘」は川越のランドマークとして人々に親しまれている。火事で鐘楼などが何度も焼失、現在の「時の鐘」は明治26年に起きた川越大火の直後に再建されたもの。今も午前6時、正午、午後3時、午後6時の1日4回鐘の音を町に響かせる。

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菓子屋横丁

飴細工や駄菓子屋さんが並ぶ大人も子供も楽しめる場所が菓子屋横丁。甘いものが大好きな子供達が大喜びなのは勿論、子供の頃百円玉を握り締めて、駄菓子屋さんに通った人には落涙ものの懐かしい駄菓子が沢山並ぶ。

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明治初期、東京っこの為に素朴なお菓子を作り売り始めた一人の菓子職人によって菓子屋横丁の歴史は始まった。その後関東大震災で壊滅的被害を受けた東京下町の駄菓子製造に代わり、その需要をまかなうために、駄菓子の製造量が激増。往時は70軒以上ものお菓子屋が軒を連ねていたという。戦災や、子供達の駄菓子離れなどで店も減ったがそれでも20軒以上の店が並んでいる様は、横丁に足を踏み入れただけでワクワクする。

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川越氷川神社

おそらく川越で最も歴史を持つ場所がここ氷川神社である。6世紀にはすでにこの地にあったとの記録もある。川越城が築城された後は歴代の城主(藩主)達によって信仰され守られてきた。樹齢500年を越えるといわれる木々が風にざわめき、厳かな空気が辺りを包む。この神社の長い歴史と周辺の人々の崇敬が垣間見えるような重厚で神聖な空間だ。

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勝海舟揮毫による社名の額が配された大鳥居。高さ約15メートル。

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素盞鳴尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の神様の夫婦と姫の両親、脚摩乳命(あしなづちのみこと)・手摩乳命(てなづちのみこと)の夫婦の神様を奉っているために、縁結びの神様としても知られる氷川神社。恋人達の願いが書かれた絵馬が幾重にも重なってかけられていた。

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川越氷川神社
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川越のサツマイモ

川越は何といってもサツマイモが有名。元々救荒食として入ってきたサツマイモは稗や粟でさえ育ちにくいような耕地や天候でも育つというので、農民達に、売るためではなく自分達が食べるためのものとして作られていた。ところが、江戸で焼き芋の人気が出て、サツマイモの需要が高まったので、売るためのものとして生産を増やした、というのが川越と川越周辺のサツマイモ生産の歴史だ。川越のサツマイモはその美味しさで評判がよく、江戸で「九里四里(栗より)うまい十三里半」などとうたわれ持て囃された。現在では、他所の地域に生産高は及ばないが、サツマイモを利用したお菓子などの生産地として名高い。また、東京を含む周辺の幼稚園、保育園、小学校などの芋ほり遠足の地になっていて、子供達の食育にも役立っている。

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町を歩いているとよく見かけるサツマイモを切って揚げたスナック。シンプルながらサツマイモの旨みを味わえる手軽なお菓子。

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さつまいものたっぷり入った芋羊羹。

うんとん

金笛醤油の笛木醤油店が営むお店『うんとん処春夏秋冬』で食べられる麺モノ。早い話がうどんなのだが、醤油専門店ならではの、味わい深いつゆで食べるしっかりとした麺は、午後からの川越散歩の続きの活力を与えてくれる。

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川越風景

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町の歴史はすなわち人の歴史でもある。歴史が長ければ長いほど、それだけ多くの、人々の喜びや悲しみや驚きや希望や絶望や願いや笑いや涙を内包している。町角の物売りの声、子供達のはしゃぎまわる姿、おかみさん連中の笑い声や、職人達の声。少女の嬌声や、老翁の穏やかな声。鐘が鳴り、町はうごめく。様々な人が生まれ、成長し、やがて死んでいく。様々な人が訪れ、行きかい、そして去っていく。通りすがりの旅人もいれば、生まれてから死ぬまでその地に留まるものもいる。溢れる感情や、切ない思いや、湧き上がる喜びや、届かぬ願いが交錯する。人は入れ替わり、建物も少しずつ入れ替わり、感情も入れ替わり、後には想いの痕跡が少しと、物語が残る。そうして歴史はまた続いていく。

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