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林の中の緋色の絨毯

巾着田の曼珠沙華

東京・池袋から西武線を乗り継いで約1時間20分、埼玉県日高市にある「巾着田」は秋になると一面「曼珠沙華」の花で埋まる。手元の資料によれば、その数はなんと約500万本。9月から10月にかけて、無数の曼珠沙華が咲き乱れ、群生地は緋色に染まるのだ。その美しくもどこか妖しく不思議な風景は、写真で見ても目を奪われるもの。9月某日、秋の巾着田を訪ねた。

「巾着田」への起点となる高麗駅(こまえき)へは、西武池袋線の飯能駅から7分ほど。通常は30分に1本ほどの間隔で運行されているが、曼珠沙華が咲くこの季節には臨時電車(10月5日まで)も出ており、ストレスなく高麗駅へ到着。高麗駅まで運んでくれたのは銀河鉄道999が描かれた特別列車だ。

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ホームには曼珠沙華の写るポスターが何枚も掲示され、いやがうえにも気持ちは盛り上がる。

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線路の向こう側にも曼珠沙華が沢山咲いていた。

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高麗駅前は、曼珠沙華を見に訪れた人でごった返していた。小さな子供からお年寄りまで、その年齢層は幅広い。

高麗駅から、巾着田までは徒歩で15分ほど。駅を出たら右にまがり、道なりに進んでいく。ちょっと進むと、新鮮な野菜や果物、栗、ひょうたんなどを売る無人販売のお店があった。

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日の光を浴びてつやつやと輝く栗。いがいがの中にぎっちりと入っている。

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可愛らしいトンボの形をした竹製品。きらきらときらめく目はビーズだ。

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コスモスもちょうど見ごろ。色々な濃さのピンク色がかわいい。

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台の高札場。江戸時代に幕府の出す法度や覚書を書き記したものを掲示していた。日高市指定文化財。

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宿老庵貫斎翁をたたえて弟子たちが建立したという筆塚。これは勝海舟の筆によるもの。宿老庵貫斎翁は嘉永・安政年間に、かつて台村とよばれたこの地で塾を開いて学問を教え、多くの子弟の教育に専念したという人物。

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水天の碑。天保10年(1839)、台村の人たちにより巾着田の近くに建てられた石碑で、繰り返しおきた旱魃や高麗川の洪水、水難事故などをしずめるために、平穏と安全を祈願し建立したものといわれる。

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巾着田へ向かう道すがらもたくさんの曼珠沙華が咲いている。

ところで、曼珠沙華と彼岸花の違いをご存じだろうか。

正解を先に行ってしまうとまったく同じもの。呼び名が違うので、別の花だと思っていた方もいるかもしれないが、彼岸花の別名が曼珠沙華。法華経などの経典からきている名前だ。

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橋の柵にも曼珠沙華。橋のそばのコンビニは駐車スペースがないほど混み合っており、おにぎりやサンドイッチもすべて売り切れ。お手洗いを待つ人も列をなしていた。

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大砲のようなごっついレンズをつけたカメラが4台。この日は人が多いせいか結局みかけることもなかったが、カワセミが生息しているとのこと。

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そばの売店に、巾着田の曼珠沙華をラベルにした日本酒ワンカップを売っていた。お値段250円なり。奥武蔵の地酒だ。

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ユーモラスな顔と服装のかかしたち。今年はそろそろお役御免。

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見上げると鬼ぐるみがなっていた。

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高麗川の河原に子供たちの声が響く。左前方に駐車場が見えてきた。

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巾着田に曼珠沙華が群生するようになった理由

巾着田とそのそばを流れる高麗川の岸辺は全国的に見ても最大規模といわれる曼珠沙華の群生地。長さ600メートル、幅50メートルという広大さだ。ここまで一か所に群生するようになった理由は定かではないが、曼珠沙華は種ではなく球根で増えるので、高麗川の氾濫によって上流から流されてきた球根がこの地に根を張り、次第に数が増えていったものといわれている。田んぼのあぜ道などに植えられたりしたものが、洪水などで流されこの地にたどりついたのだそうだ。

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駐車場を過ぎると、正面に曼珠沙華の群生が見えてくる。それは花畑というよりも、林の中の群生。木々の間をびっしりと曼珠沙華が埋めている。

柵の先にゲートがあるので、そこで入場料300円を支払い、中に入る。中に入るというより、曼珠沙華の道を前に進んでいくという感じだろうか。目に入るのは曼珠沙華、曼珠沙華。そして曼珠沙華。

見渡す限り一面、まるで緋色の絨毯を敷き詰めたように真っ赤な景色が広がっている。それは決して毒々しいわけでもなく、さりとて可愛らしいわけでもなく、穏やかながらも一本筋の通ったような不思議な力強さに満ちた美しさだ。

迸るような熱はなく、はねっかえるような無邪気さもなく、落ち着いた深みのある色とすっくと地面から立ち上がった「線」を主体にしたその形状が、風景を一種独特のものにしている。健康と妖艶、直情と達観が入り混じる。光がさらさらと音を立てる。赤い香気が立ち上る。思わず足を止めて見入ってしまう。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。どこか異世界に紛れ込んだような感じさえあるのだ。地面を真っ赤な生命体に徐々に徐々に浸食され、気が付いたら、世界はすべて真っ赤になっていた、というような不思議な感覚にとらわれるのだ。

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白い曼珠沙華も咲いていた。紅一点ならぬ白一点。そのコントラストがまた美しい。

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しばらく進んでいくと、右手前方に小さな橋が見えてきた。その名は「どれみふぁ橋」。かつては橋板がなく、飛び石の上を行くようにしてぴょんぴょんと渡ったことから「どれみふぁ橋」の名があるとか。この近くにかわせみの営巣地がある。

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更に進んでいくと、左手に広場がある。「巾着田曼珠沙華まつり」の会場だ。様々な食べ物や名産、特産の屋台が軒を連ねている。

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玉こんにゃく。

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大豆の唐揚げ。まるで鶏のから揚げのような味と食感。

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山盛りの「おなめ」。「おなめ」とはなめみその一種で、ここ日高や秩父などで愛されているもの。日高のものは、大豆や小麦を麹で発酵させ、きざんだ茄子が入っている。

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その歴史はなんと鎌倉時代にまでさかのぼるとも言われる狭山茶。静岡茶、宇治茶と並んで「日本三大茶」の一つに数えられるお茶だ。

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こちらは狭山茶の紅茶。

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地元・日高の横手人形の商品。曼珠沙華の美しさが見事に表現されている。

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夕方になり、日が斜めに差し込むと、また違った美しさを見せる曼珠沙華。

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高麗川に架かる「あいあい橋」から眺める曼珠沙華の群生。このあたり一帯は遅咲きの群生地とのこと。

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巾着田の出入り口付近にある国有形登録文化財の高麗郷古民家。地域の名主や高麗村の村長を務めた新井家の住宅だった建物。母屋は江戸時代末から明治にかけての建築で木造入母屋造の二階建て。かつては茅葺だったが現在は瓦葺になっている。

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Japan Web Magazine 編集部

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