東大寺

東大寺

「金光明四天王護国之寺」

「奈良の大仏」として知られる日本最大の大仏が鎮座する東大寺は、聖武天皇が国の平安を祈って日本中に建立させた「国分寺」「国分尼寺」の中心的役割を担う「総国分寺」として建立された。東大寺建立当時は、天然痘が流行り、政治の中枢にいて権勢を欲しいままにしていた藤原武智麻呂、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂の四兄弟が相次いで亡くなり、ほぼ毎年起きる旱魃によって食料飢饉に陥った上に、地震などの天災が重なって多くの人々が亡くなり、さらには内乱(藤原広嗣の乱)も起きるなど、国土不安、政情不安が続いていた。それらの治安と平安を祈って建立されたのが東大寺であり、大仏であった。

東大寺と大仏建立には多くの困難が伴ったという。当初の予定地であった紫香楽の宮が不審火に見舞われ、計画延期、建立地変更を余儀なくされる。また巨大な大仏を建立するための資材や人材、特に技術者を集めるのに、時間がかかったことが伝えられている。

また、今日のような化学的な知識が豊富でなかったこともあり、大仏鋳造の際に使用した水銀で中毒者が数多く出たことも文献に記されている。

そのようにして、数々の苦難を乗り越え、東大寺と大仏は完成した。752年(天平勝宝4年)4月9日、開眼供養会(天皇をはじめ多くの人々が手にする糸に繋がれた筆で高僧が大仏の目を書きいれ、魂を入れる儀式。)が皇室、貴族及び一万人を越える僧が参列する中、盛大に執り行われたという。

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南大門

東大寺

南大門(国宝)

台風で倒壊後、1199年(正治元年)に再建された。宋から伝えられた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう)という様式で建築されている。水平材を多用した堅牢な構造と天井を張らずに、木材をそのまま装飾としているのが特徴。国宝。

東大寺東大寺
東大寺東大寺

木造金剛力士立像

東大寺東大寺

金剛力士像(国宝)

平安時代末期~鎌倉時代初期の仏師、「運慶」「快慶」の作として名高い、高さ8.4mの巨大な木像。左に阿形(あぎょう・・・口を開けた像)、右に吽形(うんぎょう・・・口を閉じた像)という通常の仁王像とは逆の配置になっている。

中門

中門

入母屋造の中門。1716年(享保元年)頃の再建。

大仏殿

東大寺大仏殿

東大寺大仏殿(国宝)

正式名称は東大寺金堂。大仏の鋳造が始まった年に建築が始まり、751年(天平勝宝3年)に竣工した。建築には畿内は勿論、北陸地方、中国地方、遠くは九州からも運ばれてきた、縦横1尺(約30cm)、長さ13尺(約3m90cm)の木材が実に2万7000本以上も使用されたという。文献によると、大仏殿を含めた東大寺の工事には材木知識(ざいもくのちしき)51,590人、役夫知識(やくぶのちしき)1,665,071人、金知識(こがねのちしき)372,075人、役夫(やくぶ)514,902人、あわせて2,603,638人もの人々が関わったといわれる。

大仏殿はその後、二度焼失し、現在の建物は江戸時代、1691年(元禄4年)に完成、1709年(宝永6年)に落慶法要(寺院などの完成を祝う法要)が行われたものだ。建物の高さと奥行きは創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86m)の約3分の2になった。現在の大仏殿は正面の幅57m、奥行き50m、高さ47m。

東大寺
東大寺

金銅八角燈籠(国宝)

東大寺

「奈良の大仏」

正式名称は盧舎那仏像。像の高さ約14.7メートルで日本最大の大仏。

東大寺

銅造盧舎那仏坐像(国宝)

大仏の右手と左手

東大寺

奈良の大仏の結ぶ印は、施無畏与願印(せむいよがんいん)と呼ばれる施無畏印と与願印を組み合わせた印。手の平を正面に向ける施無畏印は「畏れる必要はない」という意味合いを、与願印は相手に何かを与える仕草を模したもので読んで字のごとく「願いをかなえよう」という意味合いを持つ。

螺髪

螺髪

螺髪(らほつ)と呼ばれる渦巻状の髪の毛。一つが直径約18cm、高さ約30cmという白菜ほどもある大きなものだ。頭上にその螺髪が966個あるということからも大仏像の巨大さを窺い知ることができる。独特の形状は仏陀の特徴を表した三十二相八十種好(常人と異なる32の大きな特徴と80の細かな特徴)によるもの。

東大寺

多聞天像

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如意輪観音菩薩像

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虚空蔵菩薩像

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桜と大仏殿

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