島原城

島原城

菖蒲の咲く城 島原城(森岳城)

島原城

綺麗な水辺に菖蒲の花が咲き乱れ、うっそうと茂った緑が石垣を覆っている。
行き会う人々は挨拶を交わし、立ち止まって世間話をする。
その脇をジョギング姿の人たちが駆け抜ける。
朝の柔らかい日光がさんさんと降り注ぎ、静かな時間はゆったりと流れていく。

島原城の早朝のお堀の光景である。

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1625年、松倉豊後守重政によって築かれた島原城は、東に海を臨み西に山を望む素晴らしい立地条件、五層天守閣を中心に、大小の櫓を要所要所に配した、安土桃山時代の築城様式を取り入れた美麗な城であった。かつて、ここには森岳という小山があり、それを利用して築城された。完成までに実に7年もの月日がかかったという。400年近く経つ今も石垣はびくともせず、築城にたずさわった人々の技術の高さと労働の勤勉さが伺える。

以後250年に渡り、松倉、高力、松平、戸田、松平と城主の変遷はありながらも歴代城主の居城として、また島原藩政の中心として重要な拠点となった。

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実は築城当時の島原藩は約4万石の小藩であったが、石高に比べてこの島原城は壮麗過分な城であり、この島原城築城のための労役や年貢の締め付けによって、島原の乱が起きたとみる史家も多い。政治的、軍事的な重要性も当然あるのであろうが、時の権力者のエゴや示威意識、過剰なる装飾主義が、一般庶民や農民を不当なまでに苦しめ、その結果反乱に至った・・・、城の美しさの裏にそんな悲しみの歴史が隠されているのもまた事実なのである。

島原の乱や寛政の地変で炎上や倒壊を免れた天守閣も、明治の治世に押し寄せた廃城の波に飲まれ、解体され、民間に払い下げられてしまう。本丸は畑にされ、石垣と天守台が残るのみの姿に変わり果ててしまったのだが、地元の人々の熱い気持ちが実り昭和39年天守閣がようやく復元されることとなる。

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そんな歴史の痕跡なのであろう、埋め立てられたお堀には小さな水路があり、それにそって散歩道がある。草木が元気よく生い茂り、色とりどりの花が咲く。そんな中を、穏やかに人々は行き交うのである。これ程までに地元の人々に愛され、日常に溶け込んでいるお城もそう多くは無いのではないだろうかと思わせる光景だ。シンボルとして遠くに立つのではなく、いまや町の人の生活に根付いているお城。人々の心のよりどころとなり、また守られているお城、そんな素敵な印象の残る城が島原城である。

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