達谷窟

別当達谷西光寺 達谷窟

岩窟の毘沙門堂

奥州平泉の名刹・中尊寺からおよそ10km、厳美渓へと至る県道を車で15分ほど行った場所の、切り立った岩壁にあいた岩窟にすっぽりと収まるようにして建っている印象的なお堂がある。それが、「達谷窟」として知られる達谷窟毘沙門堂だ。創建は今から1200年以上前の801年(延暦20年)。桓武天皇の詔を受け、東征した征夷大将軍・坂上田村麻呂が勝利の御礼として、108体の毘沙門天を奉るお堂を建立したのがその最初という。

前九年、後三年の役では源頼義・義家親子が戦勝を祈願して寺領を寄進、奥州藤原氏の初代清衡・二代目基衡は七堂伽藍を建立。1192年(文治5年)には源頼朝が奥州合戦の帰路、毘沙門堂に立ち寄って参詣したことが吾妻鏡にも記されている。中世に入ると周辺を支配していた七軍の太守葛西氏の崇敬を受け、1490年(延徳2年)にお堂が焼失した際にはすぐ再建されている。天正年間の兵火により再び焼失するが、1615年(慶長20年)に伊達政宗により再建された。

幅150メートル、高さ35メートルの岩壁の下部に建てられた毘沙門堂は懸崖造りと呼ばれるもので、京都の清水の舞台を模して建てられたという。岩壁側に壁はなく、岩肌が直接剥き出しになっている構造。毘沙門堂の左側には、11世紀に刻まれた、国内ではここが最北とも言われる磨崖仏(岩面大佛)がある。

現在の堂宇は五代目で、直近では1946年(昭和21年)に近隣で起きた火災により焼失している。1961年(昭和36年)に再建され、火災の際に救い出された27体の毘沙門天が残る。神仏習合の名残で入口には鳥居があり、境内全域が神域となっている。国の史跡。

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