蝶ヶ岳

蝶ヶ岳

蝶ヶ岳山頂から見る明け方の空

標高2677メートル。北アルプスの一角にある蝶ヶ岳山頂の朝は、真夏といえどもかなり涼しく、肌寒いほどだ。まだ暗いうちにテントから抜け出して、寝ている間にこわばった身体を伸ばしていると、東の空が明るみを帯びてきた。空は見る間に明るくなっていく。目の前に広がる雲海。それはどこまでも続く天空の大地のよう。ふと何気なく目をつむるとまぶたの裏に、紫色の光の雲の残像が揺らめいた。

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蝶ヶ岳

蝶の雪形

蝶ヶ岳は長野県安曇野市と松本市にまたがって聳える標高2677メートルの山。北アルプス(飛騨山脈)の顔とも言える槍ヶ岳や穂高岳が並び聳える主稜線に対し、横尾を挟んだ東側を南北に走る常念山脈の一角をなす山だ。雪解け時(5月~6月頃)に山頂直下南側の斜面に現れる雪形(雪型)が、白い蝶の様な形をしている事から、「蝶ヶ岳」の山名となったという。

「雪形」は、地形や斜度、日当たりなどによって、積雪の具合と雪解けの度合いが場所により異なる事で出来る模様。積雪量や春の暖かさによる雪解け具合は毎年変わる為、この雪形の出現時期も毎年多少前後する。それゆえ、この雪形の出現や消滅時期はかつて地元の人々の、その年の気候を知る目安ともなっていた。あまりに早く雪形が現れ消えてしまえば、その年の水不足が懸念され、またいつまでも残っている(または雪が多すぎて中々出現しない)年は、冷害が心配された。天気予報のなかった時代、人々はこの雪形を見て、種を蒔く時期などを判断していたのだ。柳田國男も民俗語彙を集めた書「分類山村語彙」でこの雪形について触れている。

雪形から名付けられた(といわれる)山としては、蝶ヶ岳の他に、駒の形をした雪形が現れることから名づけられた「駒ヶ岳」や、代掻き馬の雪形がその名の由来となった白馬岳が有名だが、そのほか、種を蒔くお爺さんの形をした雪形の「爺ヶ岳」やとっくりを手にした坊さん「常念坊」の形の雪形から名づけられた「常念岳」などがある。

蝶ヶ岳登山

蝶ヶ岳は北アルプスの山の中では比較的登りやすい山として知られている。ルートも山頂の小屋もきちんと整備されている上、難しい岩場などもないので初心者でも行きやすい。さらに、山頂からの景観が素晴らしく、すぐそばの常念岳の他、梓川の流れる谷を挟んで相対する槍ヶ岳や穂高連峰の絶景、乗鞍岳、御嶽山、そして八ヶ岳や、空気が澄んでいれば富士山までも見える大パノラマ。この息を呑むような景観に惹かれ、この山を何度も訪れる人も少なくない。また高山植物も豊富で、ウラシマツツジ、ミヤマキンバイ、オオサクラソウ、クルマユリ、キヌガサソウ、チングルマ、ショウジョウバカマ、ミヤマハタザオ、ヒメイチゲ、ミヤマキンポウゲ、イワツメクサ、などが可愛らしい花をつけ、山頂付近でも蝶が舞っているのも見られる。そのほか、猿やシカ、カモシカ、雷鳥を目にする事も。

準備と装備

初心者にも比較的登りやすいとはいえ、それはあくまで槍ヶ岳や穂高岳などと比べての話。3000メートル近いアルプスの山であることにはかわりはない。それなりの準備と装備は必要だ。特に積雪期は、途中ルートを見失いやすく、登るにはある程度の経験も必要だ。

装備に関しては、同行の経験者のアドバイスを聞くのが最も賢明。山の道具を専門に売っている店で相談するのもいいだろう。繰り返しになるが、初心者にも登りやすいといっても、くれぐれも、初めてでいきなりの単独行や、体力に任せて必要な装備も持たない軽装で登るのは禁物だ。2000メートルを越える山は、どうしても麓とのアプローチが遠い事が多く、有事の際には県や民間の救助隊を始めとした関係各所に多大な迷惑をかけることになる。また山は天候が急変する事もままあるので、真夏でも、防風、防寒対策は万全に。山岳保険も忘れずに加入したい。

山の装備一覧(参考)

季節は夏を想定。(アルプスのような高山は、夏でも雪が残っている所も多々あり、滑落事故なども毎年起きているので、気象情報のみならず、出かける山のコンデションにあわせた装備を。山の情報は出かける前に入手のこと。)宿泊は小屋泊まりの場合。(テント泊の場合は別途。)

  • 登山靴・・・必ずしも高級な登山靴である必要はないが、底の分厚くしっかりとしたもので、足首まであるものが望ましい。靴底がビブラムソールのものがおすすめ。疲れ方も変わる上、命にも関わる大事な装備なので、靴はきちんと選びたい。
  • ソックス・・・厚手のもの。替えも必須。
  • シャツ・・・登山中は暑くて脱ぐこともあるので重ね着が基本。
  • ズボン・・・なるべくなら登山用のズボンを。なければ歩きやすいもの。
  • 下着・・・速乾性のものがあると便利。汗をかいた後そのままにしていると身体が冷える。
  • レインウェア・・・森林限界より上は風が強い場合も多く、傘などは役に立たない。天気の変わりやすい山ではレインウェアは必須。
  • 防寒ウェア・・・山頂の朝晩の気温は夏でも10度以下はざら。
  • 帽子・・・風が強いので飛ばされないものを。
  • 軍手・・・怪我防止の為にもあると便利。
  • タオル・バンダナ・・・汗拭きように。怪我をした時に役立つ。
  • ストック・・・急な岩場では役に立たないが、通常の下りの時に膝の負担を軽減してくれる。
  • スパッツ・・・靴に砂利や水が入るのを防ぐ。
  • ザック・・・体力と荷物の量にあわせて。
  • ザックカバー・・・雨が降った時に必需品。
  • 行動食・・・飴やチョコなどカロリーが高く食べやすいものを。シャリバテ防止にもなる。
  • ・・・夏は汗を沢山かくので充分な量を。いざとなれば小屋などで買うことも出来るが、あくまで補助的に。
  • 日焼け止め・・・高山の紫外線は強烈。
  • ヘッドライト・・・たとえ日帰り登山でも持っていたいヘッドライト、山の夜には必須。
  • ティッシュペーパー・・・本来の用途意外にも、皿や手を拭いたりとなにかと便利。
  • ウェットティッシュ
  • ゴミ袋・・・山で出たゴミは持ち帰るのが基本。
  • 救急絆創膏
  • サングラス
  • 健康保険証(コピー可)
  • 財布(小銭も)
  • 携帯電話・・・山の中は圏外の場合も多いが、山頂などアンテナが設置してある場所では使える。
  • ルート地図・・・標識も所々にあるが、地図は必須。1/5万の山の地図を。
  • 時計
  • カメラ
  • メモ帳、筆記具
  • ウェストポーチ
  • 双眼鏡
  • 耳栓・・・夏のシーズン時には満員である事も多い山小屋。あると便利。
  • アイマスク・・・山小屋で寝る際に、光を遮断してくれる。
  • ビニールテープ・・・万が一靴の底がはがれたりしてしまったときなどに重宝する。

覚えておきたい山用語

山岳部出身の人たちや山岳会の人たちは先輩等の会話や教えから自然と、仮に一匹狼でも様々な情報源などから、と「山登り人」なら誰でもいつのまにか身についてしまう山の専門用語。日本の近代登山の技術がドイツやオーストリアから多く入ってきた事もあり、普通の人にはあまり耳なじみのないドイツ語であることも多い。「アンザイレン」など、一般のハイカーにはあまり必要のないテクニカルタームもあるが、覚えておくと便利な言葉もある。そのごく一部を紹介しよう。

カール(独語:Kar)

千畳敷カール、涸沢カールなどで耳なじみのカールとは氷河の浸食作用で出来たお椀型の谷の事。圏谷。

ザイテングラード(独語: Seitengrat)

主稜に対する側稜のこと。ザイテンが側面、グラートが岩尾根。特に、穂高のザイテングラートは固有名詞となっている。

モルゲンロート(独語:Morgenrot)

「赤い朝」で朝焼けの事。夕焼けはアーベントロート(Abendrot)という。

デポ

英語のdepositから。荷物を預ける、置くの意。小屋や岩陰にザックをデポして、山頂にアタックする、などと使う。あらかじめ食料を小屋に保管してもらう事も。

キジ撃ち

小用に行く事をさす隠語。女性の場合は花摘みという。

テン場

テントを張る場所の事。

ガレ場

森林限界を越えた場所に多い、岩や石がごろごろとしている場所。滑ったりして足元が不安定になり、歩きにくい場所が多い。

デブリ(仏語:debris)

岩や雪などが崩落して積もった堆積物のこと。さらに崩落する可能性のある場所なので場合により慎重な行動が必要。

トラバース

横方向の移動。斜面に対して、水平方向に横切るような移動を指す。平坦な場所での横移動と違い、急な斜面でのトラバース(特に雪渓などの積雪面で)は、滑落の危険性もあり、気が抜けない。

ビバーク(仏語:bivouac)

風や雷、豪雨などの天候急変時や、遭難などの緊急時に野営をすること。ルート等の関係で意図的にする場合もある。

ヒュッテ(独語:Hutte)

山小屋のこと。

登山ルート

東側の三股と、上高地~徳沢を経由して稜線の西側の横尾から入れるほか、いわゆる表銀座コースと呼ばれる中房温泉から燕、常念を経由する縦走ルートや徳沢~長塀山からのルート、一の沢登山口から入るルートなどがある。最もポピュラーなのが三股から入るルートで、シーズン最盛期には、三股の駐車場が一杯になるほど。途中に水場もあり、快適なルートだ。入り口の小屋で入山届けを出すのを忘れずに。

三股から

三股からのルート

三股~(120分)~まめうち平~(40分)~蝶沢~(40分)~旧ベンチ~(40分)~最終ベンチ~(40分)~蝶ヶ岳ヒュッテ(時間は目安)

蝶ヶ岳

三股口から一時間ほど歩いた所にある、ブラキオサウルスの頭の様な形をした木。口にあたる場所に誰がいれ始めたのか石が詰めてあり、さながら歯の様。

横尾から

横尾からのルート

上高地 ~(110分)~徳沢~(60分)~横尾~(200分)~縦走路分岐(稜線)~(50分)~蝶ヶ岳ヒュッテ(時間は目安)

蝶ヶ岳

横尾山荘からのルートは、稜線に出るまでに視界の利かない登りが続く。登っても上っても見えてこない稜線。いい加減、希望と失望の繰り返しに飽きた頃に出現する、木に書かれた「もう少し」の文言。通常なら眉を顰めてしまう木に直接殴り書きされたような文字も、こんな時は不思議と力になる。ハイマツの生える稜線ももう近い。

徳沢から長塀山経由

徳沢から長塀尾根ルート

上高地~(110分)~徳沢~(200分)~長塀山~(40分)~妖精の池~(30分)~蝶ヶ岳~蝶ヶ岳ヒュッテ

上高地

今でこそ大勢人の訪れる観光地だが、江戸時代には木を伐採する木こりが出入りするのみであったという上高地は、標高1500メートルの場所にある風光明媚な景勝地。鏡の様な水面の大正池に穂高連峰が移りこんでいるシーンや、かっぱ橋とその下を流れる清流「梓川」の美しい光景などが有名。穂高の山に降臨したとされる穂高神社の祭神「穂高見命」(ほたかみのみこと)が祀られていることから、「神垣内」と呼ばれていたが、「上高地」の表記が次第に一般化した。

上高地公式ウェブサイト

大正池ホテル


上高地大正池のほとりにある唯一の宿「大正池ホテル」。残雪の穂高連峰や、新緑、紅葉の田代池、大正池の夏の朝もや、晩秋の静かなる風情と、春夏秋冬、それぞれの季節ごとに美しい装いを見せる上高地。自然散策や写真撮影の拠点としてはもちろん、スケッチ、トレッキングなど上高地の魅力にたっぷり触れる滞在に最適。

  • 場所: 390-1516 長野県松本市安曇上高地 大正池ホテル
  • 営業: 4月下旬から11月上旬
  • 時間: チェックイン 15:00~ チェックアウト 10:00
  • 料金: 1泊2食付 2名一室17000円~
  • クレジットカード : VISA JCB MASTER DC UC NICOS SAISON UFJ
  • 客室数: 洋室(23平米) 21室 和室(8畳)6室
  • 問い合わせ: 電話番号 0263-95-2301 FAX番号 0263-95-2522
  • Website: 大正池ホテル

蝶ヶ岳の花

ソバナゴゼンタチバナヤマアジサイヤマハハコミヤマセンキュウサラシナショウマ
蝶ヶ岳
カメバヒキオコシミヤマカラマツソウイブキトラノオクルマユリオタカラコウウラジロタデミヤマキンポウゲハクサンフウロ
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蝶ヶ岳の風景

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蝶ヶ岳ヒュッテ


1958年に建てられて以来、多くの岳人を受け入れてきた蝶ヶ岳ヒュッテは、常念山脈主稜線と、徳沢方面へ下る長塀尾根との分岐点にある。槍・穂高の展望所ともいわれる蝶ヶ岳にあって、北アルプスでも指折りの絶景を堪能する事が出来る場所だ。相部屋が基本だが追加料金を払えば、個室も可。周囲にはミヤマキンポウゲやイワツメクサなどの群落が見られ、「蝶ヶ池」「カモシカの池」「妖精の池」といった小さな池も点在する。

  • 場所: 蝶ヶ岳山頂
  • 営業: 4月下旬~11月上旬(10人以上要予約)
  • 時間: チェックイン 14:00~ チェックアウト 8:30
  • 料金: 1泊2食付 相部屋 9,000円(7,000円) 一泊一食付き 7,500円(6,000円)
      素泊まり 6,000円(5,000円)(個室希望の場合、宿泊料金の他にキープ料として+15,000円)
  • 収容人数: 250人
  • テント: 30張
  • 食事等: ランチ11:00~14:00/ ラーメンやうどん、カレー、その他の食事、コーヒー、紅茶、ココア等の飲み物
  • 売店: 飲料水 150円 /1L お湯  200円 /1L お茶 300円 /1L
  • 携帯電話の充電: 充電器持参で、夕方から消灯時間まで部屋のコンセントで充電可能
  • 公衆電話: 有
  • Website: 蝶ヶ岳ヒュッテ
蝶ヶ岳
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残照の蝶ヶ岳~天空の光の幻舞

蝶ヶ岳

午後7時。残照の蝶ヶ岳山頂。食事を終え、既に眠りについたもの。地図を広げ、明日のルートを確認するもの。ヘッドライトをつけて、散歩をするもの。皆、それぞれ思い思いにゆっくりと時を過ごす。

天空に輝く織女星の眩しさよ。

やがて残照も静かに消え、山頂に夜の帳が下りる頃、アルプスは、いよいよその本領を発揮する。夜空に光り輝く星達。空一面の無数の光の粒。そう、まさに今にも降ってくるような数の星だ。天の川が本当に川のようであることを、この山頂で初めて知った人も居るに違いない。8時を過ぎて、眠りにつく人の数も増え、テントの明かりが一つ、又一つと消えてゆくに従い、更なる星が光り始める。都会の空で、肉眼で見える星の明るさは3等星までと言われる。1等星、2等星、3等星の星のおよその数はそれぞれ21、67、190。季節や緯度で物理的に見えない星を除いたらその総数は、この山頂の夜空に見える星の総数には到底及ばない。それはすなわち、3等星以下、4等星、5等星の星も見えることを意味している。まさに数え切れぬほどの星達が夜空を埋め尽くしているのだ。

そして、さらに、それに輪をかけるのが、8月になるとその活動を活発化させるペルセウス座流星群。文字通り、星が後から後から降ってくる。次から次へと、光の軌跡を描きながら、流れては消えていく。時には、大きな火球さえながれゆく。天空に繰り広げられる流星の大スペクタクル。タイミングと天候にさえ恵まれたなら、おそらく悠長に願い事をしている暇はないだろう。

標高2600メートル。星降る中で眠る夜。

蝶ヶ岳

降ってくる星達に、想念は極限にまで拡大し、純化した細胞の蠕動で、全ては瞬く合間に消散する。その深遠で壮大なる、まるで夢の中の幻想の様な光景は、心の奥のやわらかなどこかに引っかかりながら、瞳に深く刻み込まれるのに違いない。そして、星々の持っていたきらめきは、いつしか自身と同化して、心の奥で、瞳の中で、静かに光を放ち始めるだろう。ゆっくりと輝き始めることだろう。それはどれほどの高性能なカメラでもってしても映し出すことは出来ない光の邂逅なのだ。マクロとミクロの融合。光の速さで何十年、いや、何千年も何万年も旅をしてきた、星の光が直接網膜の中に飛び込んだ、その瞬間、まるで身体の中が宇宙になったかのような、茫漠とした一体感を感じるのだ。

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