佐賀城

佐賀城

佐賀鍋島藩の城

JR佐賀駅から南へ2キロほど、現在は県庁や法務局、NHK佐賀などが建ち並ぶ場所にあった城が佐賀城だ。佐賀平野の低平地に築かれた典型的な平城で、水堀を含む城域は800メートル四方に及ぶ広大なもの。

佐賀城は江戸時代初期に築城され、幕末に至るまで、佐賀鍋島氏の居城であった。城は、龍造寺隆信をはじめとする龍造寺氏の居城であった佐賀龍造寺城(村中城)を改修拡張し築かれたもので、本格的な本丸の改修が始まったのが1602年(慶長7年)。さらに1608年(慶長13年)から1611年(慶長16年)までの総普請により、幅80メートルにも及ぶ堀を持つ五層天守の城が完成した。別名を沈み城または亀甲城という。2012年の発掘調査によれば、天守台の礎石の配置などから見て、佐賀城の天守閣は1階部分が南北約30メートル、東西約26メートルで、九州最大級の小倉城に匹敵する規模であったと推測されている。

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佐賀城は江戸期、二回の大火に見舞われている。1726年(享保11年)の火災では天守閣ほか本丸、二の丸の多くの建造物を焼失した。その後、天守、本丸は再建されず、1728年(享保13年)に二の丸に完成した御殿や重臣屋敷で藩政が執り行われていた。1835年(天保6年)の二の丸火災の後、1838年(天保9年)に本丸、現存する鯱の門・続櫓などが再建された。

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鯱の門と続櫓

1838年(天保9年)に再建された鯱の門と続櫓。二重二階の櫓門に、一重二階の続櫓を組み合わせたもので、屋根は本瓦葺き、入母屋造り。1953年(昭和28年)佐賀県重要文化財に指定され、1957年(昭和32年)には国の重要文化財に指定されている。

1874年(明治7年)に江藤新平を中心として勃発した佐賀の乱の際、佐賀城は一時反乱軍に占拠された。鯱の門の扉には弾痕が生々しく残り、戦闘の激しさを物語っている。

佐賀城

鯱の門の扉に残る弾痕。

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鍋島直正(10代藩主)が再建した本丸御殿の一部を忠実に復元した佐賀城本丸御殿。木造復元建物としては日本最大級の規模(2500平方メートル)を誇る。復元にあたっては、本丸御殿の発掘調査、明治大正の古写真、佐賀城本丸御殿差図などの江戸時代の絵画や記録、さらに類似する建物の復元調査の成果などを元に、佐賀城本丸の正確な位置に、遺構を保護しながら再建された。

内部は歴史博物館となっていて、佐賀城の変遷や幕末から明治維新にかけての藩の様子などが実物やレプリカ、映像、豊富な資料等で紹介、展示されている。日本初の反射炉を完成させるなど幕末期の雄藩の威信と気概が伝わる。

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石垣を潜る水路

本丸西側を南北に走る土塁石垣の下から発見された、本丸の内部と外部を結ぶ水路。木製と石製の二本が見つかっている。石材が丁寧に加工され、周囲の汚れた水が混じらないように工夫されていることや、その頑丈な造りから、本丸内に飲水等を供給するための設備であったと考えられているもの。

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Memo

天守閣こそ現存していないが、佐賀鍋島藩36万石の歴史を物語る城で、広大な縄張りの中、堀や石垣が状態良く残され、本丸御殿も復元されていて、往時の空気を感じることができる城。無料の駐車場、本丸御殿も満足度に応じての募金制をとるなど、幕末期に先進的な藩としてその名を知られた佐賀鍋島藩の懐の深さを感じさせるような気概もいい。歴史的な側面を除いても、開けた気持ちのいい空間の中、のんびりとした時間が過ごせるので、散歩などにもおすすめ。市民の憩いの場になっているのも納得の場所だ。

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