薄明の岸和田城
「岸和田だんじり祭」でその名を知られる大阪府の岸和田市は、岸和田藩の城下町として発展してきた人口約20万人の町。その岸和田で、江戸時代を通して藩政の中心を担ってきたのが岸和田城だ。
楠木正成の一族、和田高家によって築かれたと伝えられる城で、羽柴秀吉が紀州根来寺を平定した際に、小出秀政を城主とし、その小出秀政が5層天守の城として改修、さらに、1619年に小出氏に代わり入城した松平康重によって、浜の石垣が築かれ、城下町一帯が整備された。
有名な「だんじり祭」は、1703年(元禄16年)に、京都伏見稲荷を勧請して城内に三の丸稲荷社が建立された際、五穀豊穣を祈る稲荷祭が執り行われたのが、発祥といわれる祭りだ。
写真は、薄明の中シルエットとして浮かび上がる岸和田城の風景。1827年(文政10年)の落雷で天守閣は焼失、さらに櫓や門なども明治維新時の廃城令の際に破壊されてしまっている。現在みられる三層三階の天守閣は1954年(昭和29年)に模擬天守として築かれたものだ。
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