近江八幡 八幡堀
鏡面のように滑らかな八幡堀に映える黄菖蒲と家々。
豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が、現在の近江八幡駅から北西方向へ約2.5キロメートルほどの場所に位置する八幡山に近江八幡城(八幡山城)を築いた際、琵琶湖畔を埋め立てて町として整備、安土城下などの商人らを移り住まわせたのが近江八幡だ。その際に、計画的に掘られたのが「八幡掘」と呼ばれる幅約15メートル、全長6キロメートルに及ぶ堀で、城下町の防御としての役割を持っていたと共に、江戸と大坂を結ぶ交通の要衝にある近江八幡において、物や人を運ぶ上で大きな役割を果たした。
堀の開削当初から、生活用水を排水するシステム「背割排水(せわりはいすい)」が家々の間に整備され、水の流れと共に徐々に水底に溜まってしまうことにより舟の往来を妨げる要因となる泥などを浚渫(しゅんせつ)する作業も定期的に行われていた。
戦後まで舟が行き交い、日常的に利用されていた堀も1960年代頃には悪臭を放つようになってしまったというが、近隣の住民らの努力もあり、かつてのような綺麗な堀へと復活、今では時代劇などのロケにも使われる昔ながらの美しい景観を目にすることができる場所として、観光客も多く訪れるスポットとなっている。