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錦帯橋

錦帯橋

日本を代表する木橋

清らかな錦川の流れにかかる五連のアーチ橋は、美しい姿で静かに佇んでいた。それは清楚で無駄のないシンプルな存在感。石組みの橋脚と木組のアーチリブが見事なバランスで画を描いている。そう、それはまるで一枚の水墨画を見ているような美しさなのだ。

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錦帯橋の歴史

1600年 (慶長5年) に岩国の地に封ぜられた岩国藩の初代藩主・吉川広家は1608年 (慶長13年)に山城「岩国城」を築城する。城を築いた横山は、くねるように流れる錦川によってまさに天然の要塞のようであった好立地。以後、その城を中心として麓に町が形成されていく。町は城の麓側に上級武士の屋敷や寺院、川を挟んだ対岸側に下級武士の屋敷や町人の住む家々という形で広がっていった。その為、真ん中を流れる錦川に橋を架けることが人々に望まれる。

第三代藩主・広嘉は錦川に橋を架けることを決定する。しかし、錦川の川幅は約200メートル。その上、度々増水して決壊し付近一帯を洪水にする暴れ川。計画は難航した。当初は、跳ね橋ならば、増水時でも橋が流されることはないだろうと、甲州は甲斐の国にある「猿橋」をモデルに計画が進められたが、川幅が広すぎるために計画は中止に。そこで持ち上がったのが、明の国、杭州の西湖の中島にかかる6連のアーチ橋をモチーフに橋を架けるという計画。橋脚部を頑丈な石組みにすることによって増水時でも壊れることのない橋作りを目指したのだ。

1673年(延宝元年)に橋は完成するが、翌年には流されてしまう。しかし、橋脚部をさらに補強して再建。その後は、補強や部分的な架け替えは行われながらも、実に276年間もの間一度も流されることなく、人々の大切な渡川手段として、岩国の町を見守ってきたのだ。

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