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十和田観光電鉄線

十和田観光電鉄線

三本木平を駆け抜けた小さな鉄路

地元の人々に「十鉄(とうてつ)」と呼ばれ親しまれてきた十和田観光電鉄線は、青森県三沢市にある「三沢駅」と同十和田市の「十和田市駅」間の14.7キロメートルを結ぶ鉄道だ。1922年に十和田鉄道(とわだてつどう)として古間木~三本木間の営業運転を開始して以来、90年近くに渡って人々の大切な足となってきた。十勝沖地震などの自然災害やモータリゼーションの発達、周辺地域の人口減少などのあおりを受け、時に存続の危機に瀕しながらも走り続けてきたが、残念ながらこの3月をもって廃線となることが決定した。

十和田観光電鉄線の歴史は1922年(大正11年)9月に始まる。古間木駅(現・三沢駅)と三本木駅(現・十和田市駅)間 (14.9km)を結ぶ路線として開業、古間木駅、七百駅、高清水駅、三本木駅が設置された。開業当初は軌道幅762ミリの狭軌の蒸気軽便鉄道で、機関車2両、客車3両・貨車6両を一日5往復で運行していた。

十和田観光電鉄線は三沢駅を出た後、大曲駅から十和田市駅までほぼ全線に渡り人工河川である「稲生川」と並行して走っているが、これは開業時、渋沢栄一も株主をしていた三本木開墾株式会社から線路用の土地として稲生川沿いの堤防の提供を受けた事によるものだ。路線一帯は今は豊かな田園地帯が広がるが、かつては三本の木さえ生えない土地「三本木原」などと呼ばれていたという。荒地であったこの付近を開墾可能な土地に変える為に幕末に作られたのが稲生川で、この水のお陰で約300haの水田が新たに拓けたという。

1951年(昭和26年)、軌道幅を1067ミリに改軌した上で直流1500Vの電化、路線も0.2キロ延伸、さらに同年12月30日に社名を十和田観光電鉄と改称する。戦後の混乱も次第に安定し景気も上向いた事で旅客も増え、会社としても旅館買収や遊覧船の運航を行い業務を拡大していった。

しかし、1968年(昭和43年)に起きた十勝沖地震で被災、1969年に国際興業のグループ会社となる。設備投資などが功を奏し、1970年(昭和45年)度には年間165万人のピークを迎えるがその後次第に利用客は減少する。各地の廃線になっていった路線と同じく、自動車の普及や道路網の発達による旅客の減少や、周辺地域の人口の減少などによるものだ。会社は駅の無人化やワンマン運転化など経費削減対策を実施するが、1988年(昭和63年)には赤字に、その後も鉄道経営悪化に歯止めがかかることは無かった。

2010年には東北新幹線が新青森まで延伸し、それにより三沢に止まっていた在来特急が廃止、また新設された新幹線の駅「七戸十和田駅」に十和田湖方面への観光客が流れる事により、利用客はさらに減少し年間46万人にまで落ち込んだ。そして、2011年3月11日に起きた東日本大震災の影響を受け、鉄道事業の赤字を補っていたホテル部門などの収益も悪化、路線存続はいよいよ難しくなる。沿線の三自治体(三沢市、六戸町、十和田市)に資金援助を要請するも、「経営改善が見込めない」としてそれを断られ、いよいよ廃線の気配が濃厚となった。

2012年(平成24年)1月24日、会社は十和田観光電鉄線(十和田市~三沢間14.7km)の鉄道事業廃止届出書を国土交通大臣宛に提出、2012年3月末、十和田観光電鉄線は惜しまれつつも約90年に渡る歴史にピリオドを打つ。

満開の桜をバックに走り抜ける十和田観光電鉄線

東京在住の方なら、なんとなく懐かしいような馴染みがあるような気がするであろうデザイン。それもそのはず、車両は東急線で使用されていたものだ。(高清水駅付近)

小雪の舞う中を走る(三沢駅付近)

  


十和田観光電鉄線の起点となる「三沢駅」へは、東北新幹線「八戸駅」から青い森鉄道に乗り換え約15分、550円。または三沢空港からバスで16分、310円。
「三沢駅」~「十和田市駅」間は所要27分、運賃570円。十和田観光電鉄線「三沢駅」は青い森鉄道「三沢駅」西口に隣接している。

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