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鮒寿司(ふなずし)

シリーズ「日本の伝統食」

ふなずし

偉大なる発酵食品

琵琶湖で獲れるニゴロブナを使って作られるなれずしの一種「鮒寿司」。鮒寿司を知らない人が初めて見たら、これが寿司の元祖・原型というのは中々信じられるものではないだろう。溶けかかったような見た目、タンパク質が乳酸発酵した独特の強烈な匂い。現在の「寿司」と呼ばれている美しく艶やかなそれとは明らかに違っている。違っているどころか、これは食べても大丈夫なのだろうか、とさえ思ってしまうかもしれない。

鮒寿しの魅力をフルスクリーンで見る

鮒寿司

琵琶湖と仁五郎鮒(ニゴロブナ)

琵琶湖

高度成長と共に水質汚染が進んだ琵琶湖も、湖北と呼ばれる湖の北側に来るとまだまだ綺麗な水を湛えている。水鳥が遊び、ゴリやウグイが泳ぎ、釣り人が糸を垂れる。世界でも最古の湖の一つとされる琵琶湖にはホンモロコや、ビワコオオナマズ、ゲンゴロウブナ、ビワヒガイ、イサザなど琵琶湖固有の魚も数多く棲んでいる。そんな固有種の中の一つがニゴロブナだ。

現在のように、整備されていなかったかつての琵琶湖周辺の田んぼは、梅雨時の大雨で水量が増えると川も湖も田んぼも一面となり、そこに溯上したニゴロブナが卵を産みつけた。あまりの鮒の量に水面が盛り上がって見えたというから驚きだ。勿論付近の人々はそのニゴロブナを捕獲するのだが、そんな一時期に大量に獲れるニゴロブナを保存するための方法として編み出され、次第に定着していったのが、発酵食品である「鮒寿司」だと言われる。冷蔵庫もなかった時代に、貴重な食料を長きに渡り保存するための人々の智慧だったのだ。

鮒寿司のルーツは東南アジアの山岳地帯、タイの北部からラオス、ミャンマー、中国の雲南省のあたりにあるという。(現在でも例えばタイとラオスの国境付近の地域でプラーソムと呼ばれる米と塩と淡水魚を使った鮒寿司に姿かたちがよく似たなれずしが作られている。)

それらの地域で生まれた、淡水魚と米と塩を使った食品が、水田式稲作(それ以前は陸稲と呼ばれる非水田式が主流)と共に大陸から伝えられ、それが鮒寿司の元となったという。水田に卵を産み付ける鮒を捕獲し、水田で取れたお米と共に漬け込むという食品が、水田と共に大陸からもたらされたというのだから、なんとも不思議なつながりの話だ。

鮒寿司

かつては大量に捕獲されたというニゴロブナも水質汚染や田んぼの減少、外来魚(ブルーギル、ブラックバス等)の増加により、漁獲量が減って魚体の価格が高価になり、それがゆえにニゴロブナを使用して作られる鮒寿司もすっかり高級食品になってしまった。以前はどこの家庭でも作られ、ちょうど発酵が進んで食べ頃となる正月に皆で食べたり、風邪や胃痛の時には、一切れ二切れを湯に溶かして飲んだ(飲まされた)ものだという。乳酸発酵で作られる鮒寿司は絶好の整腸剤でもあるのだ。

鮒寿司の作り方

仕込み

鮒寿司には二月から五月の間に獲れた新鮮なニゴロブナのみを使う。上物の鮒寿司は卵を持った新鮮な雌のニゴロブナを厳選。エラと鱗を丁寧に取り除き、卵を傷つけないように、内臓を取り除く。

よく水洗いした後、えらぶたの部分から腹にぎゅっと押し込むようにして塩を詰め込む。漬けた時に卵が押し出されないように、しっかりと塩を入れるのがポイントだ。塩をつめたニゴロブナを、樽の中に塩、ニゴロブナ、塩というように交互に漬け込んでいく。塩加減を樽の上部に行くに従い強めにしていくのがコツという。最後に蓋をし、重石を乗せる。そのまま二~三ヶ月寝かせる。塩漬けすることにより、浸透圧で、魚の水分及び血が抜けカチコチになる。これらの一連の作業を「塩切り」という。

いよいよ本漬け。鮒寿しが乳酸発酵する上で欠かせない乳酸菌の活動がもっとも活発になる夏の暑い時期に行われる。樽から取り出した塩漬けされたニゴロブナを丁寧に洗い、水に漬けて塩を抜く。この時の洗い方と塩の抜き方が重要だ。味の決め手となるのである。これを「塩出し」という。よく水切りをした後、えらぶたから、塩を少し加え冷ましたご飯を詰め込んでいく。付近で収穫される品質のよい近江米を用いる。卵が出ないようにお腹にもしっかりご飯を詰め込んだら、今度はご飯、ニゴロブナ、ご飯というように交互に樽の中に漬け込んでいく。

鮒寿司
鮒寿司

樽の上部までご飯を詰め込んだら蓋をし、重石を乗せる。この時、密閉をすることが大事だ。水や雑菌が入らないようにすると共に、嫌気性である乳酸菌が活性化するように空気を遮断する必要があるからだ。

その後、発酵の具合を見極めながら重石の重さを調節したりする「守り」と呼ばれる繊細で手間隙かかる作業を繰り返しながら、鮒寿司を文字通り守ってゆく。この管理の細やかさが、味を左右する。乳酸菌はデリケートなのだ。夏の暑い時期の活性化した乳酸菌による発酵で骨まで柔らかくなったニゴロブナは、さらに冬の寒い時期に低温発酵が行われることで熟成しまろやかになる。こうして、短くて数ヶ月、時には24ヶ月もの月日をかけて、ようやく鮒寿司が出来上がるのである。

鮒寿司

発酵と腐敗の差

乱暴にいうと発酵も腐敗もメカニズムは同じ。要は人間にとって有益かどうか、美味しいかどうか、無害かどうか、の差だ。そのままでおいておいたら腐敗菌によって腐ってしまうものも、適当な環境の下、適切な処理をしてやるといわゆる乳酸発酵というものが進み、それが人間にとっては旨みとなる。乳酸発酵が行われる過程で、でんぷん質が分解され、旨み成分であるアミノ酸へとかわるからだ。旨みが増すのみならず、乳酸菌は腐敗の元になる菌も遠ざけてしまう。きちんと乳酸発酵したものが腐りにくいのはそんな理由だ。

鮒寿司

鮒寿司の食べ方

そのままで

鮒寿司の周りのご飯を落とし、薄く(三ミリほど)スライスして、(よく冷やしてから切ると切りやすい。)、そのまま食べる。シンプルかつ最上の食べ方。品質のよいものは匂いにも品があって、味もまろやかで食べやすい。口の中に入れると広がる爽やかな酸味と旨み。特に旨みの方はじんわりと浸み込むようにやってくる。吟醸酒が最高にマッチする。勿論、ご飯との相性もバッチリ。スライスしたものに少し醤油をたらしたり、鰹節をかけて食べる人も居る。

お茶漬けで

通が好む食べ方がこれ。お茶碗に炊いたご飯を盛り、鮒寿司数切れ、塩少々、鮒寿司の周りのご飯少々に薬味を乗せ、熱いお茶を注ぐ。そのままで食べるよりも酸味が和らぎ、歯ごたえも柔らかくなる。茶に染み出した鮒寿司の旨みと酸味、噛むごとにじわりと訪れる、両頬が思わずきゅっとなるような幸せ。まさに「口福」。

ふなずしのお茶漬け

鮒寿司のススメ

    

世界中にある発酵食品。その殆どが美味しいだけではなく、身体にもとてもよい。健康食でもあり、美容食でもある。乳酸発酵で作られた食品は、整腸作用もあり、旨み成分であるアミノ酸もたっぷり含んでいる。食べて美味しく、かつ身体を整えてくれる。昔ながらの自然な方法と素材で作られた伝統的な発酵食品は、或る意味、究極の食品なのだ。

    

ニゴロブナの漁獲高減少や消費量の減少により、今や高級食品になってしまった鮒寿司も元来は一般家庭で作られてきた庶民の食べ物。ハレの日に食され、また身体の調子がよくない時や、二日酔いの時などにも食されてきた。食べたことのない人や、苦手意識のある人には、その臭気や見た目で敬遠されがちだが、是非今一度伝統的手法で作られたきちんとした鮒寿司を味わってみて欲しい。酸味と塩味と旨みの絶妙なバランス。そして慣れると病みつきになる独特な香り。さらに身体の内側から綺麗にしてくれる作用。美肌効果もあるという。これほど素晴らしい発酵食品が、需要の減少と共に、さらに高級化し、ついには幻の食品になってしまったとしたら、それは人類にとって大きな損失だ。

    

時代に逆行する必要はない。効率化が必要な部分もあるかもしれない。しかし、効率や利益よりも大切なものがもっと他にあるのではないだろうか。圧倒的な手間隙と繊細な心と技で作り上げられる、まさに「至宝」ともいえる伝統的食品「鮒寿司」は、利益追求や効率化、合理化だけでは決して生み出すことの出来ない「深い味わい」を私達に教えてくれるのである。

    
    
    

鮒寿司
鮒寿司

鮒寿司を手に入れる

鮒寿司は琵琶湖周辺にある専門店で購入可能なほか、道の駅やお土産屋、通販等で買う事が出来る。オスよりも子持ちのメスの方が高いが、どちらが美味しいかは好み。あまり安いものは風味が良くなかったり、ただ酸っぱいだけだったりと、当たり外れがあるので注意したい。専門店のものは上質のものが多く、安心できるが、少々値が張るのがネック。また店によっても随分と味が変わるので、出来ることなら色々と食べ比べて好みのものを見つけたい。

鮒寿司初挑戦の方は、初めて食べたものの質が悪いが為に、結果、鮒寿司の奥深い世界を知らないまま「美味しくないもの」と認識してしまうのは残念な事なので、最初は出来るだけいいものを地元の人やお店の人に尋ねたり、まわりの鮒寿司好きに聞くのがよいだろう。いずれにせよ、先入観を取り除き、いくつか試してみるのがオススメだ。

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JAPAN WEB MAGAZINE Tomo Oi

浅草在住。ウニとホヤと山と日本酒をこよなく愛しています。落語好き。

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