浅草「三社祭」 4年ぶりの本格開催! 2023年5月
公開日: 2023年5月23日 | 最終更新日 2023年5月23日
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4年ぶりに神輿が町を練り歩く
2023年5月19日~21日、浅草の町が一年で一番活気づく「三社祭」が開催されました。祭り大好きな地元の人々も、祭りを見るのが好きな国内外の人々も、首を長くして待ちに待っていた久々の本格開催。町会の神輿が表通りも裏路地も含めて町を地区を渡御し、そして三基の本社神輿(一之宮、二之宮、三之宮)が町会から町会へ、大切に受け継がれながら、町中を練り歩く。勇壮で熱気に満ち溢れたお祭りです。美しくて活気のあるお祭りです。
江戸の風情をそこかしこに残しながらも変化している浅草の街並み。東京スカイツリーが向こうにそびえ、現代のビルが立ち並ぶ中を渡っていく光景は、昔と今とそして未来が確かに繋がっていることを感じさせます。
人々は日々、笑い、泣き、喜び、悲しみ、色々なことを思いながら生きていく。楽しいことがあり、時には辛くて苦しいことがあり、いつかいつかと歯を食いしばりながら、今を謳歌しながら、過去を懐かしみながら、未来に期待しながら、懸命に生きていく。そうしていつか自分に与えられた「生」を全うして、この世から去っていくわけです。そんな長くて短い人生の一日を、数時間を、一瞬を、大いに輝かせ、爆発させ、エネルギーを迸らせ、熱気と汗と感情を全方向に放出しながら、全力を尽くし、そして燃え尽きる。
だからこそ、「祭り」は人々に感動を与え、興奮をもたらし、喜怒哀楽を通常の倍のふり幅で揺さぶりながら、何かを残すのだと思うのです。
江戸時代に発展し、戦前から東京の観光地として賑わい、映画館の衰退とともに一時期活気が失われながらも復活、今や国内のみならず世界からも数多くの人々がやってくる町「浅草」が、一年のうちでもっとも活気づく、「三社祭」の風景をお届けします。
町内神輿連合渡御
浅草氏子の東部十二ヶ町、西部十六ヶ町、南部十六ヶ町、合わせて四十四ヶ町の町内神輿、およそ100基の渡御です。
浅草寺本堂の裏手にある広場(普段は大型の観光バスなどが駐車している広場)に一堂に会した町内神輿が、順番に一基ずつ出発します。浅草神社でお祓いを受けてから、それぞれの町会へ渡御していきます。何基ものお神輿が広場に集まっている様子や、人波にもまれながら、浅草神社から出発して浅草寺本堂前を通り、雷門方面など各方面へ渡御していく様子は壮観。まさに圧巻の光景です。
広場に集まり、出発の順番を待つ各町会の神輿
「花やしき」のすぐそばを進む神輿
三社祭の期間中は、神輿が通れるように雷門と宝蔵門の提灯はたたまれています。
浅草中央通り、天麩羅店「大黒家」のそばを渡御する神輿
新仲見世通り方向へ向かう神輿
日暮れに備えて、お神輿に提灯を取り付ける
日曜日の夕から夜にかけての宮入の際は、関係者以外祭りが終わるまでは境内および周辺には立ち入りができないよう規制されます。
浅草神社の境内脇には数多くの提灯が並び、暗くなると美しい明かりを灯します
夕闇の中、浅草ビューホテル付近を行く町会神輿
浅草神社「本社神輿」
向かって左手から三之宮、一之宮、二之宮。本社神輿渡御に際して、一之宮には「土師真中知命」、二之宮には「檜前浜成命」、三之宮には「檜前竹成命」の御神霊(浅草寺のご本尊である「聖観音菩薩像」の示現に関係した、漁師の檜前浜成・檜前竹成の兄弟と彼らが相談した土師真中知を神格化し、神と祀ったのが浅草神社の始まりとされ、「三社祭」もこれに由来する)を移し、浅草神社を出発、各町会を渡御していきます。
それぞれの神輿は台輪幅こそ3基とも同じ3尺6寸(約1.08メートル)であるものの、重さは一之宮がもっとも重く1060キログラム(本体重量622.2キログラム、 担ぎ棒重量 404キログラム + 装飾品等)、二ノ宮と三之宮は同じ1000キログラム超(本体重量585.2キログラム、担ぎ棒重量424キログラム +装飾品等)、高さも一之宮がもっとも大きい2.43メートル、二ノ宮と三之宮が2.32メートルとなっています。
本社神輿各町渡御
早朝の宮出し後に浅草神社を出発した一之宮、二之宮、三之宮の本社神輿が各町会を渡御していきます。本社神輿の渡御には、神霊入れの儀(18日に行われた「本社神輿神霊入れの儀」)で神輿に移っていただいた神様に、町内の各地区を見ていただく意味があるのだそうです。
町会神輿は各町会で大切に守られ、基本的には町の人および関係者で渡御が行われますが、一方で本社神輿は別格とされ、神輿も町会ごとに次から次へと受け渡されて進んでいくこともあり、担ぐ人々の気合も違うそうです。
本社神輿の渡御のスケジュールは事前に決定され、ルート上の各ポイントに何時に到着するという「予定」はありますが、人も多く、担ぎ手のボルテージも最高潮に達して、観客の高揚感とも相まって周辺一帯は興奮と熱気のるつぼと化し、中々スケジュール通りには進みません。時には小競り合いが起きたりすることもありますが、礼と儀を尽くし、激しくも粛々と受け渡しが進んでいく様、一本締めが行われ、拍手が起きる瞬間は江戸の「粋」を感じさせるものであり、とても美しいひと時です。
本社神輿「一之宮」の渡御
重さ1トン(1000キログラム)を超える本社神輿。そのうち担ぎ棒の重さはなんと400 キログラムを超えるというから驚きです。
かっぱ橋本通りをスカイツリー方向に進む本社神輿
本社神輿「二之宮」の渡御
浅草の繁華街「浅草六区」のメインストリート「六区ブロードウェイ」を進む二ノ宮。「浅草すしや通り」と「浅草ひさご通り」を結ぶ全長300メートルほどのこの通りは、現在では「ドン・キホーテ」や、ユニクロ・まるごとにっぽん・浅草横町・スシローなどが入る「東京楽天地浅草ビル」、そして浅草Roxと、買い物や飲食などの客でにぎわう通りとなっていますが、かつては映画館や劇場、娯楽施設が幾つも立ち並ぶ、日本一の劇場街、歓楽街でありました。今でもフランス座や演芸場「東洋館」、浅草演芸ホール、ロック座は並んでいますが、生き物のように絶えず成長し、変化している「浅草の街」と、その中を進んでいく江戸情緒のある「お神輿」は不思議とマッチしていて、独特な美しさに満ちています。
担ぎ手たちが声を出し、力を込めて神輿を担いで渡御していく「動」の時間と、受け渡しが行われる「静」の時間の緩急は、鳥肌が立ちます。
本社神輿「三之宮」の渡御
三社祭 三日目 浅草の町の様子 町内神輿渡御 山車 子供神輿
大きさにもよりますが大人の神輿が500キログラム前後になる一方で子供神輿は15キログラム前後。とはいえ、見た目は大きさの違いだけで精巧な作りです。
山車
かつての三社祭はお神輿よりも山車がメインであったとか。豪華絢爛に飾り立てた山車が出ていたそうです。現在は神輿中心の三社祭、シンプルに太鼓が搭載された山車は、子供たち向けになっています。
浅草三丁目で見かけたお手製のお神輿
子供神輿でもまだ少し早いような、さらに小さな子供たち用でしょうか。町内の大人たちの愛情を感じるようで、微笑ましくて素敵です。
宮入
朝6時半から、一日かけて各町会を巡ってきた本社神輿3基が、浅草神社に帰ってきます。夕方から浅草神社と浅草寺の境内では規制が行われ、一般の人は中へは入れないようになります。予定としては2023年は、三之宮が午後7時、二之宮が午後7時半、一之宮が午後8時でしたが、お神輿が戻ってくる時間は予定通りにいかないことも多く、また、年によって3基のお神輿が渡御するエリア(南部、東部、西部)が異なるために、宮入の順番も年によって異なる場合もあります。2023年の宮入は三之宮が18時半前後、二之宮が19時50分前後で、一之宮が宮入りしたのは21時になっていました。
三之宮の宮入風景
二之宮の宮入風景
一之宮の宮入直前の風景
言問通りの浅草寺周辺が交通規制(都バスだけが通っていました。)となり、神輿が近づくにつれ完全に通行止め、言問い通りの道幅いっぱいに広がって、うねりながら一之宮が進む様は大迫力。
浅草観音裏の宮入直前の一之宮と群衆と警察車両
三社祭の期間中、かなりの数の警察官が警備にあたっていました。サミットと日程がかぶったために、人数を集める等、相当大変だったという噂も耳にしました。祭りの関係者も観覧者も、祭りが終わればお酒を飲んだり、どんちゃん騒ぎをしたりすることもできますが、警備関係の方々は帰宅するまでは、そうしたこともできないのではと思います。移動用の大型の警察車両も馬道通り沿いなどに幾台も止まっていました。特に日曜日は暑い日中も制服を着た状態での警備は大変そうでした。本当にご苦労様です。(2度ほど、祭りの人が警察官に「お酒はだめだと思うけど、ジュースならいいでしょ?ぜひ飲んで!」と飲み物を渡そうとしている光景も目にしました。祭りの雰囲気の良さというか、あまり鯱張らない、人と人の温かいコミュニケーションを見るようで、心温まる光景でした。)
祭りの後
三社祭の後(宮入が終わり、「本社神輿御霊返しの儀(本社神輿へ移した御神霊を本殿へ戻すという儀式)」も終わった後)、夜店の屋台や提灯などが片付けられ、人もまばらになって静かな雰囲気の浅草神社と浅草寺境内、町並みの様子。
名曲の歌詞ではないですが、華やいだ祭りの後の静かな町は、喧噪の名残が道端に残りながらも、穏やかで優しい感じがしました。楽しかった祭りが終わってしまった寂しさと喪失感がありながらも、柔らかでほっとする、とてもいい雰囲気でした。
三社祭の後の浅草の街並み
祭り 豆知識その1 地下足袋
お神輿を担いでいる人の足元を見ると、雪駄(祭り雪駄)や足袋(地下足袋)を履いています。人によっては足袋の上に草鞋(わらじ)を履いている場合もあります。三社祭では足袋を履いている方が多い気がします。足袋には色々種類があるそうですが、担ぎ手の方に聞いたところ、底の部分がバスケットシューズのように分厚くクッション性にすぐれたものや、つま先部分が踏まれても平気なように安全靴のように頑丈な作りになっているものなどがあるとか。でもその方曰く、二つを兼ね備えたものはないそうで「クッション性がよくて、つま先が頑丈なものがあるといいのにな~」とおっしゃっていました。
ところで、祭りを見ていると、特にお神輿が通り過ぎた後に地下足袋が落ちているのを見かけることがあります。三社祭の神輿渡御の土日の二日間でも何度も目にしました。でも不思議でもあったのです。草鞋ならば切れるかほどけるかしていつの間にか脱げてしまうのもわかります。でも足にしっかりと履いてしまう足袋がどうして脱げてしまうのか?この疑問を担ぎ手の方に聞いたところ、ふくらはぎまである足袋の場合、踏まれるなどなんらかの要因で「こはぜ」(留め金)が外れるなどして、ふくらはぎの部分が後ろに垂れてしまうことがあるのだとか。そうなってしまうと、ほぼ絶望的。今度は後ろに垂れ下がってしまった部分をすぐに踏まれ、足袋とはいえ簡単に脱げてしまうのだとか。その方はそれを嫌って足首までの短い足袋を履き、股引き(ズボン)の裾を外側に出して、極力足袋を踏まれないように工夫をしていると言っていました。時に荒々しく、人にもまれるようにして神輿を担ぐ担ぎ手の人達には、見ている人にはわからない苦労があるのだなと勉強になりました。
祭り 豆知識その2 「ケガ」
三社祭に限らず、大きな「祭り」の際には沢山の人で賑わい必然的に様々なトラブルが起きやすいものですが、中でも「ケガ」をする人が後を絶ちません。
特にお神輿の担ぎ手は興奮状態になっている人も多く、喧嘩も度々発生します。また、気が付かないうちにどこかへぶつけたり、転んだり、というのも日常茶飯事。今回の三社祭の間も救急車のサイレンを何度も耳にしました。
三社祭の後、担ぎ手の方に話を聞いていたのですが、その際その方の両手の袖口が血に染まっており、驚いて「どうしたのですか?」と尋ねた所、驚きの答えが。
これは長年「本社神輿」を担いでいる方には「あるあるの話」かもしれませんが、棒の取り合い、ポジションの取り合いをする際に、手を「ぐっ」と先に中に入れることで自身の場所を確保するらしいのですが、人にもまれながら強引に手を入れることで腕の表面が内出血し、いつしか皮がめくれて出血したのだとか。「こんなもん、すぐなおる」とその方はおっしゃっていましたが、熱狂の本社神輿の渡御の中で、そんな攻防が行われ、皮膚がめくれて血が出るほどになる人もいるのだと知ってかなり驚いたのでした。写真を撮らせていただいたのですが、生々しすぎてここにはそのまま掲載できませんが、かなりぼかした加工画像を掲載しますので、本社神輿を担いだことのない方や、観覧専門の方は、「そんなこともあるんだ」と参考にしていただければ幸いです。
三社祭 まとめ
2023年5月に行われた三社祭の様子をお届けしました。
お神輿を担いだ方も担がなかった方も(仕事等なんらかの理由で)担げなかった方も、関係者の方も観覧者の方も、なんらかの形で三社祭に関わり、参加された方々は、それぞれの三社祭の期間を過ごし、色々な想いと思い出をお持ちのことでしょう。中には、気持ちも身体もまだ全然復活していない・・・整理できてない・・・いや、むしろ喪失感と寂しさで一杯で、早くも次回のお祭りが待ち遠しい・・・という方もいらっしゃるでしょう。
三社祭に限らず、各地を代表する大きなお祭りから、地域のお祭りまで、様々な形でお祭りに携わる方々は、お祭りを中心に生きている、という人も少なからずいると聞きます。実際に準備のために1年または次の開催までの期間、長い時間をかけて準備をしたり練習をしたりしなければ、間に合わないというケースもあるでしょう。ただただ、純粋に祭りが好きで好きで、気持ちも身体もすべてそれに賭けているという人もあるでしょう。
今回、三社祭を長い時間堪能して、そうした人たちの気持ちが少し分かる気がしました。神に感謝し、人に感謝するため、誰かを楽しませるため、喜ばせるため、そしてもちろん自分自身が楽しみ、喜ぶために、長い時間かけて準備をしたり、練習をしたり、すること。もしくは「祭り」そのものに生活を捧げ人生をかけること。それは、或る一つの「幸せな人生の形」だと思うのです。伝統にのっとり、しきたりを重んじ、礼儀を尽くし、歴史を守り、次の世代につなげていく。それは、「子孫を残し、命を次につなげていく」という生物の生存原理のある一つの純粋な形であるような気さえするのです。「命を輝かせ、がむしゃらに生きて、散っていく」、それが、他者を悲しませたりするものではなく、誰かを喜ばせるものであったなら、それほど素晴らしいことはないのかもしれません。
個人的に私も、三社祭が終わって二日で、既に次の三社祭が楽しみで仕方がなかったりしています。もし、浅草のどこかの飲み屋で遭遇することがあったら、あなたの「お祭り観」「お祭りにかける想い」を聞かせてくださいね。