天安河原 仰慕窟にて
公開日: 2015年5月21日 | 最終更新日 2022年10月14日
その場所には、清浄で、穢れのない気が漂っていた。
目に入るのは、美しい新緑と、沢山の人々の様々な思いがこもった無数の石積みと清らかな渓流。
パソコンや電化製品に囲まれ、自然や信仰、崇拝等とは縁遠い日々の生活の中で、次第に失ってしまった「何か」が、ほんわりと戻ってくるような気さえする。その「何か」が何かはわからないが、状態を一言で表すならば、ただひたすらに穏やかな心持だ。平和で温かな気持ち。小さなプレゼントを誰かにもらった時のような。
それはもしかして、その場限りのことで、車に戻ってしまえば、また「元の木阿弥」なのかもしれなくとも、少なくともその瞬間は、文句、愚痴、不満、怒り、悲しみ、といったネガティブな想いや、マイナスな思考は、どこかに消え失せてしまう。文字通り、「すっ」っと消えてしまう。
それがただの「気のせい」なのか、勘違いなのか、思い込みなのか、誰かの話に影響を受けているだけなのか。
興味がある方は、是非是非、現地に足を運んで実際に体験してみてほしい。写真や映像では決して伝わらない、空気、雰囲気、匂い、温度、湿度、風、色・・・。
出来ることなら、新緑の季節の雨降りの日、なるべくなら人が誰もいない瞬間がおすすめだ。