日本各地の城・城跡
かつて日本には二万五千以上もの城が存在したと言われる。驚くべき数だが、実際にはただ柵で囲われただけのようなものもあったようで、また文書に残っているのみでその存在が証されたのではないものも含まれるが、それでも相当数存在していたことは確かなようだ。しかし、数多くの戦や転封の度に廃城になったり破却されたりとその数は次第に減っていき、江戸後期にはその総数およそ200。さらにその後の明治維新の廃城令や戦争、火災、天災を免れて現在もその姿を残しているのは10余りしかない。残りの殆どは戦後新たに再建復興されたもの。古くに廃城になったものは、現在では打ち捨てさられ忘れられ、その城跡すらもただの野山と見分けがつかないようなものも多い。建築当時のまま現存しているのは丸岡城、犬山城、松本城、彦根城、松江城、高梁城(備中松山城)、丸亀城、姫路城、松山城、高知城、宇和島城、弘前城の12城。
城は大きく分けて竹田城や安土城に代表される山城と名古屋城などに代表される平城がある。戦乱の世であった時代、戦略的、防衛的な観点からその多くは地形を利用して山に建てられた。その後江戸時代になり、戦略的な意味合いが薄れるとその多くは平地に作られる平城となり、防衛的な特色より、立派な天守閣のある権力示威的な色合いが濃くなる。広大な縄張り内に数多くの櫓、豪壮絢爛な天守閣、そして城主が普段暮らす場所である本丸御殿など、技巧と贅を尽くした華美な建築物となってゆく。しかし、その建設の為の費用や労働力を捻出するために過度な年貢や労役を藩内の民に課したために時に一揆などが起こったのも事実である。
「土偏」に「成る」と書く「城」という漢字には元々「都市の周囲に防御の為に築いた壁」という意味のほかに「都市・町・国」そのものを表す意味がある。まさに「城」を中心として、「土」=地面が「国」や「町」に「成る」のだ。戦国時代は防衛防御を重んじたため、戦をする上で重要な、戦いに有意義な設備が各所に作られ、沢山の井戸も掘られた。設備とは例えば物見櫓や鉄砲(矢)穴であり、井戸とは、籠城した時に外部から引いている水にのみ頼ることで、水に毒物などを入れられた場合に城内が混乱に陥る可能性を考慮しての水源確保のためだ。
「城」は戦略上の重要な拠点であり、防衛の上でも要であった。城を守ることは国を守ることと同義であり、それはすなわち、戦国時代には藩内の各人の命が城の存続と共にあったということを意味するのである。そのようなわけで有事の際には武将はおろか、一兵卒、農民や町民に至るまで、城内に暮らし、敵の襲来に備えたのだ。例えば北条氏の小田原城籠城であり、例えば吉川氏の鳥取城籠城である。
ところが天下統一の後、戦略的な目的を失った城は、今度はそこに封ぜられた大名のその藩の民に対する権力誇示の意味合いを持つようになり、また城下町内を統治する上での拠点、政所としての役割を担うようになったのである。例えば太田道灌が作った江戸城に入城した家康とその後の将軍達は、江戸城を政治の中心本拠地として位置づけた。それはすなわち、江戸「城」が江戸という町の中心と「成った」ことを意味し、それと同時に名実共に日本の中心と「成った」ことも意味したのだ。
各藩にあった各城もまたしかりである。それぞれの藩の中心、地方の中心としての役割を城は担うようになり、城を中心として町も整備されていく。もはや戦争の上での拠点ではなく、各人の生活の上での拠点、政治上の中心、象徴となっていったのだ。要塞、要害としての城から、政務の上での中心地としての城へと変化していったのである。しかし中央政権「徳川家」への遠慮や一国一城令のため、地方の大名達は城の新築増築改築をはばかる様になった。そもそも一国城令で、新築はおろか修理補修も無断では出来ないことになり、それによって城の数は減少の一途をたどっていくことになるのである。
桜と弘前城や朝霧の竹田城など、城と風景は切っても切れない関係にある。また現存復興に関わらず、現在見られる天守閣はそこからの眺めがよいことが多く、天守閣上部から見える城の周囲の風景は中々見ごたえがある場合が多い。
災害などで天守が失われた後そのままであったり(築城当初から、元々ないものもある)、新たに鉄筋コンクリートで建てられたりとその建物としての姿は変えても、城壁や基礎などは元々に近い姿で残り、往時を追懐できる城も多く、内外の沢山のお城ファンが各城を訪れる。「城」といえば「天守閣」を思い浮かべがちだが、実際には天守閣は城の一部であり、堀、門、櫓、それに御殿など見るべきものも多い。中世~近世の歴史上の大きな出来事の裏には「城」の存在があったといっても過言ではないほど、ある意味、現代の状況を決定付けた大きな事柄が行われた舞台ともいえるお城。見た目の美しさや堅牢さもさることながら、その地その場所に様々なストーリーを孕んでいるのだ。歴代城主や当時の民そして幕末の志士達の気持ちを想像しながら、様々な史実を思いつつ、お城を眺めてみるのもまた一興かもしれない。
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