五月の鳥取砂丘
名作アニメのセリフではないが、人が写真の上のダストに見えるほどに、広大な鳥取砂丘の風景。
遠くに見える海。足を取られながら、歩き続ける。中々進まない。子供の頃に寺の境内の乾いた砂地などで見かけた、蟻地獄にはまった虫の気分。頭をかすめるのは「砂の女」の不思議な世界。もがけばもがくほど、砂に埋もれていく。穴の底には家があって、強制的にそこに住まわされるうちに、いつしかそこの住民になってしまう自分を想像したりする。
「砂」は不思議だ。普段は気にも留めないが、浜辺などで改めて手に取ると、その一粒一粒がどこから来て、そしてどこへ行くのか、神秘的な感じさえしてしまう。「砂」の研究に一生を捧げる地質学者の気持ちがなんとなくわかるほどに、その微細で極小の世界には、抗いようのない魅惑的な何かが潜んでいる気がする。「砂の女」の作者・安部公房も「小説を書き上げてなお、「砂」にとらえられていた」と語っていた。迷宮と現実と夢を行き来したボルヘスも、始めも終わりもない捉えようのない世界観を「砂」で表している。
砂の一粒一粒が「何か」を持つのか、幾億、幾兆、幾京、幾垓もの集合体だからこそ、魔力にも似た何かがあるのかはわからないが、このような圧倒的な量の砂を目にし、その中を歩いていると、普段の生活の中で感じることのない独特の感覚に捕らわれる。
砂によっては、数十億年の記憶を持っているものもあるという。人類が生まれるはるか遠く昔から、そしてきっと、人類が居なくなってしまった遥か後まで存在し続けるのだろう。そんな壮大で不思議でどうでもいいことにまで思いがいたってしまうのも砂の魔力なのだろうか。
撮影場所
鳥取砂丘の風紋
鳥取砂丘の観光写真などでよく見かける美しい「風紋」の写真の状態は、晴れた日が続いて砂が乾燥し、風速5メートル~7メートルほどの風が吹いた次の日の早朝、まだ誰も足を踏み入れていない時間帯に砂丘を訪れると比較的すぐ目にすることができる。「馬の背」あたりから眺めるのが特におすすめだ。