首里城
公開日: 2009年12月3日 | 最終更新日 2015年8月5日
琉球国王の居城
琉球王国の政治、外交、文化的中心であった首里城は、1429年から1879年までの450年間に渡り琉球王国の国王の居城であった城だ。築城年代は定かではないが、発掘調査などで、14世紀の末頃までには築かれていたことがわかっている。高さ120mの丘の地形を巧みに利用して築かれた城は、周囲をぐるりと琉球石灰岩の城壁に囲まれ、内部には正殿・北殿・南殿・奉神門などの様々な建造物が建ち並んでいた。また敷地内には10箇所にのぼる御嶽(うたき)があり、琉球有数の聖地でもある。廃藩置県と戦争、さらに戦後に琉球大学が建設された事により、歴史的に重要な遺構の多くは失われてしまったが、1958年(昭和33年)守礼門が再建されたのを機に首里城再建の機運が高まり、大学移転後に復元は本格化した。
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守礼門の「守礼」とは字の通り、礼を守る、礼節を守る、という意。「琉球国は礼節を重んずる国である」という意味で、琉球国王は、ここで、中国からの使者「冊封使」を出迎えたとも伝えられている。最初の門は、1527~55年在位の第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代に建築されたといわれ、中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で造られている。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもの。
最大高さ15メートル、厚さ3メートル、総延長約1080メートルに及ぶ首里城の城壁。琉球石灰岩の切石で作られた城壁は、地形を巧みに利用して作られており、その曲線は見た目にも美しく、かつ堅牢さに溢れる。
「歓会(かんかい)」とは歓迎する、歓びほこる、という意。「冊封使」を歓迎する、という意味でこの名がつけられた。琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する「あまえ御門(あまえうじょう)」という別名を持つ、首里城の城郭に入る第一の門だ。今は首里城に観光客を迎える門だが、往時は、国王はじめ上級役人、「冊封使」ら外国からの使者等の男性専用の門であった。
御庭(うなー)は関係諸官を集めた重要な式典が行われた場所。また中国からの使者「冊封使」との謁見の式典などもここで行われた。
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首里城跡(しゅりじょうあと) DATA
- 場所: 沖縄県那覇市首里金城町1-2
- 交通(公共交通機関で): ゆいレール首里駅から徒歩15分
- 交通(車で): 那覇空港から車で約10キロメートル。所要時間 約40分~60分。那覇ICから約5分。那覇空港からタクシーで中型車約1,840円(深夜早朝約2,120円)・小型車約1,640円(深夜早朝約1,940円)
- 駐車場: あり(有料)2時間310円。
- 期間: 通年
- 時間: 3月~6月・10月~11月(9:00~18:00入館締切17:30) 7月~9月(8:30~18:30入館締切18:00) 12月~2月(9:00~17:30入館締切17:00)
- 休み: 7月第1水曜とその翌日
- 料金: 入館料(正殿、南殿・番所、書院・鎖之間、北殿、奉神門) 大人800円、高校生600円、小・中学生300円、6歳未満無料
- 問い合わせ: 098-886-2020
- HP: 首里城公園ホームページ
首里城跡
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