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幣立神宮

幣立神宮

幣立神宮

聖地と中央構造線

幣立神宮

日本には古くから聖地、霊場と呼ばれる場所が数多くある。有名無名の人々が、身を置き、自然や神や諸仏と対峙し、より善く、より上へ、より高く、より純粋に、と参詣や修行をした所。瞑目し、瞑想し、祈りを唱え、頭を垂れた場所。その場所に近づくだけで、背中がしゃんとし、皮膚がぴりっとし、精神が平穏になって行く場所。プラシーボ的効果を差し引いても、やはり聖地や霊場と呼ばれる場所には、なにかしらの「気」なり「パワー」があるのだろう、実際にその地に赴くと、「感情」ではなく、「感覚」が何かを捉える気がするのは確かだ。それらの場所は今風に言うと「パワースポット」とか「ヒーリングスポット」と呼ばれるのだろうか。勿論、個人差があるだろうし、そんな「気」がするだけなのかもしれない。いずれにせよ、その強弱や効果の有無などはそれぞれの感覚にお任せするとしても、何百年以上も聖地や霊場であったからには、そこには何らかの理由がある筈だ。

幣立神宮

国内の聖地、霊場と呼ばれるような場所は(当然といえば当然だが)、まず押しなべて豊かな自然の中にある。たどり着くだけでも骨が折れるような深山幽谷の地にあることも多い。聖地として古くから沢山の人々を惹きつけてきたがゆえに、現在ではある程度交通の便がよい場所も勿論あるが、それでも多くの緑に囲まれている。そしてもう一つ。これは多くの研究者が指摘をすることだが、それらの多くは日本列島を縦断する「中央構造線」上にあるのである。

中央構造線

中央構造線

ではその「中央構造線」とは何だろうか?

      

「中央構造線」というのは、簡単に言えば、日本を貫く断層の事だ。関東地方から九州地方にかけて地表に露出したり地下にもぐったりしながら、およそ1000キロに渡って日本列島を縦断している大断層で、この線を境に形成環境が全く異なる古い基盤岩が隣り合っている。ナウマン象を発見したナウマン博士によって名づけられた。約8000万年程前、中生代白亜紀にできたといわれるこの大断層は、いわば日本列島の谷であり、その姿は宇宙からも見えるという。

      

断層であるがゆえに地殻に力が加わった時に、変動しやすく場所によっては年に数メートル動いている箇所もある。また両側から大きな力が加わって、地下深部に埋もれている岩盤が動くことで磁気が発生する、地殻変動の巨大なエネルギーがぶつかり合うことによって、N極とS極のエネルギーが打ち消しあいゼロ磁場になる、他の地域に比べて磁場エネルギーの変動がおきやすいなどといわれている。またそれらの磁気の力によって生み出され放出される磁気プラズマが地表に出現することもあるという。

  

この磁気プラズマは、目に見えることもあり、それは昔の人々にはさぞかし「龍」が動いているようにも見えたのだろう、龍(竜)がつく地名は各地にあるが、この中央構造線上に、竜王町、天竜峡、天竜川、龍門山、竜神山、竜王山、竜崎などなど、龍(竜)の字のつく地名がことさら多いのは決して偶然ではないだろう。

      
      

そしてこの「中央構造線」上に、多くの聖地、霊場など、パワースポット、ヒーリングスポットと呼ばれる場所があるのである。では具体的にその聖地や霊場とは?というと、鹿島神社、諏訪大社、鳳来寺山、豊川神社、秋葉神社、伊勢神宮、根来寺、丹生都比売神社(天野大社)、高野山、天河神社、紀三井寺、伊曽乃神社、石鎚神社、阿蘇山・・・などなど、そうそうたる名前があがるのである。

幣立神宮

勘の良い方ならもうお解りだろう。宮崎県との県境にほど近い熊本県阿蘇郡蘇陽町(現・山都町)にある幣立神宮(幣立神社)も、その中央構造線上に位置すると言われる神社なのである。そして同じく、「パワースポット」、「ヒーリングスポット」として、その方面ではかなり有名な場所なのだ。

幣立神宮

国道218号線を熊本方面から走り大野小学校を過ぎたあたりに、幣立神宮はある。大きく「高天原日の宮 幣立神宮」と看板が出ている。駐車場に車を止め、鳥居をくぐって階段を上がるのだが、ある段を境目に明らかに上と下で空気が違う。まるで夏のデパートの入り口のように、そこには空気のカーテンがあるかのようだ。気のせいかと思い、何度も行ったり来たりしてみたが幾度試しても明らかにある段を境に空気が変わる。日向と日陰の差異と思い、振り返るが随分下の段から日陰になっていて単純に温度差のせいとも思えない。空気が凛とするというか、ピンと張るというか。温度が数度くらい下がる感覚とでもいうのだろうか。

その境界線を越えると、目が覚めるというか、頭が冴えるようなそんな気分でもあり、何かこう元気になるというか、気が正常に(清浄に)なるというかそんな感覚でもある。

伊勢神宮や出雲大社は別格としても、島根の須佐神社や青森の日吉神社、和歌山の花の窟神社でも感じた感覚。気のせいと片付けてしまえばそれまでなのだが、ある場所を境に何かが変わる、何か違う、そんな気がするのである。「気」がよいから、其の地に神社が建てられたのか、神社があることによって其の地の「気」がよくなるのか。いずれにせよ、明らかに「気」が違うなという感じがするのである。

さて、階段を上りきるとそこに社殿がある。立派な木々が立ち並び、心地よい風が吹いている。その方面で有名だとはいえ、熊本市内の人でも知らない人も多いという神社の境内はひっそりとしていて、穏やかな雰囲気だ。

幣立神宮
幣立神宮

階段を上りきった両脇に、灯籠としては珍しい銅板葺きの屋根の灯籠が立っている。

     

幣立神宮

幣立神宮は、神漏岐命・神漏美命・大宇宙大和神・大御中主大神・天照大御神といった神々が祀られている。古事記や日本書紀にも出てくる日本の歴史を語る上で重要な神々だ。又、幣立神宮のまたの名を「日の宮」というが、これは天照大御神やその子孫である天皇の住む御殿という意味。神武天皇の孫・健磐竜命が、宮崎から阿蘇に向かう途中に幣立神宮に幣帛を立て、天神地祇を祀ったと古文書にもあり、高千穂神社や、天岩戸神社などとの関連性などを考えても実に興味深い。

幣立神宮
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健磐龍命(たけいわたつのみこと)の宮

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水神宮

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幣立神宮
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本殿の左手に、奥に抜ける道があり階段を下りてそこから右に巻きさらに左に下りると東御手洗(ひがしみたらい)と呼ばれる池がある。清浄な気に満ち満ちている空間だ。「東御手洗社」の社が建ち、清水がこんこんと湧いている。

古の昔より八大龍王が鎮まる所とされていて北辰妙見(ほくしんみょうけん)の大神が祀られている聖地だという。

幣立神宮
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幣立神宮

幣立神宮
幣立神宮

感覚というのは多分に個人的なものだ。或る人が「それ」を感じないからといって、「それ」が「ない」と言い切ることは出来ないし、また或る人が感じるからといって、「それ」が「在る」と言い切れるものではない。しかし、多くの人が何かを感じるというのは、それなりに理由があるのだろう。文字通り、「何か」、それは特別な存在なのかもしれない。

何でも科学的に見ようとする人間は、古来より様々なものを解明しようとしてきた。好奇心と探究心。試行錯誤を繰り返し、昼も夜も研究や実験や観察を繰り返す。そうして何かを解明し(たと思い)、何かを創造した(と思いこむ)。なるほど、それは文明の発達、科学の発展であり、それによって私たちの日々の生活は豊かになり、便利になった。しかし、それとともに失っているものも大きいのだろうと思う。人類の歴史は警句と楽観の繰り返し。だからこそ、続いているのかもしれないが、それでも少しずつ、そして結果的に大きなものを失っていっているような気がしてならないのである。その大きなものの一つがまさに「感覚」なのではないだろうか。そして「心」なのではないだろうか。

個人的には「超常現象」や「超神秘」というものにそれほど関心はもっていないのだが、それでも、今の科学ではどうしても計りきれない「何か」、もしくは必要とされていない「何か」、そういったものは依然として「ある」ような気がするし、実はそれこそが私達にとって、とても重要なのではないかとも思うのだ。現代科学では計りきれないがゆえに「超~」と呼ばれるが、実はごく「普通」のことではないかとも思う。大災害の前に、動物達が逃げたり、普段と違う行動をとるということはあちらこちらで報告されている。彼らにそれを知る「超」能力があるのではなく、感じることが出来るという「普通」の能力がある、ただそれだけなのではないかと思う。それはきっと私達人間も元々感じることが出来ていたものだ。

幣立神宮
幣立神宮

個人的には鈍感なせいか、巷でよく聞く噂の通りに「とても元気になった」というような劇的な体験をしたことはないが、それでも「~スポット」と呼ばれる場所に赴くと感じる何かはある。そしていつも思うのである。人間は自然の一部であるのだから、本当はごく当たり前のことなのではないだろうかと。自然や全存在に対する尊敬、畏敬、畏怖、感謝。普段の生活の中で、私達がただそれを忘れてしまっているだけに過ぎない。そしてそれを思い出させてくれる場所が、すなわち「聖地」と呼ばれる場所なのではないかと。

「元気」とは「元」の「気」と書く。自然本来に戻る、「元」の「気」に戻るということだ。私達が普段忘れているものを思い出させ、気付かせ、そして自然本来へと戻してくれる場所、そんな場所が「聖地」や「霊場」として昔の僧や修験者、一般の人々に見出され、大事にされてきたのではないだろうか。科学的に見ようとするならば、それは例えば「中央構造線」が理由なのかもしれない。放出される磁気エネルギーによって元気になる、「すーっとする」、落ち着くといった感覚になるのかもしれない。

幣立神宮

それでも。やはり思うのである。それは「科学」という眼鏡で見てしまう私たちの癖であり、決め付けなのではないだろうかと。確かに磁気によって身体が元気になるという部分はあるだろう。でもきっとそれだけではない気がするのである。人間の智慧と知識は素晴らしいが、それでもきっと私達は自分達で思っているほどには賢くはない。そして自分達で思っているほど、全てを理解してはいない。昨日の事は思い出せても、明日の事はわからない。科学も物理も突き詰めると哲学になってしまうという。思想や形而上の命題になってしまうのだ。そしてそれは多分に当然のことなのではないか。全てはぐるっと回っている。前を見るのと頭の後ろを見るのは、もしかして同じことかもしれない。

幣立神宮

私たちの大地は一見動くようには見えない。しかし、地震や噴火を体験したものなら、そうではないことは知っている。それはきっと全ての物事に通じることだ。「そうだ」と思っているものも、実は「そう」ではない。それは「そう」ではない状態を体験したものにしかわからないことだ。決して科学を否定するものでも、非科学を否定するものでもないのだが、柔軟さを失ってしまっては、やがてそれは折れてしまうのだろうと思うだけである。

全てはきっと繋がっている。私達人間も勿論例外ではない。例えば自然の中で暮らし、自然に感謝し、自然とともに歩んでいく。それこそが、「ごく自然なこと」なのである。「感謝」をし、「尊敬」する。日々を「生きる」。きっとそれは、言葉や形状を変えるとすなわち「神」と呼ばれる存在(もの)に繋がって行くのではないだろうか。神や仏はお願いをするだけの存在ではない。頼みごとをするだけの場所ではない。むしろ感謝をこそするべき場所なのではないか。自然とそう思ってしまうのも「聖地」ゆえなのだろうか。そんな思いを胸にして社を後にした。

     

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Japan Web Magazine 編集部

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