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龍安寺

龍安寺

枯山水庭園

雪に似せた白絹を山にかけ、夏に雪山を表現したという雅な故事からその名がつけられたという衣笠山麓の「きぬかけの道」。

金閣寺や仁和寺といった名だたる古刹・名跡が並ぶ室町文化の香り漂う約2.5キロメートルの小路です。その中ほどにある龍安寺までは、金閣寺から徒歩でも15分ほどの距離ですが、バスや車の乗って「ドアツードア」ならぬ「門ツー門」で訪れる人が多いのでしょう、観光客でごった返す金閣寺を出るとほどなくして、道は静かな散歩道の様相を呈します。

静かなといっても金閣寺境内に比べての話で、当然すぐそばを車は行きかうのですが、それでも自分のペースで一人のんびりと歩けるだけまだましというもの。道路に覆いかぶさるようにして茂る木々がとても心地よいのです。右に衣笠山を見ながら、なだらかな道をのんびり歩くと程なくして龍安寺の入り口が見えてきます。

京都の北西、金閣寺と仁和寺の間に位置する「龍安寺」は、枯山水の石庭で有名な寺院です。臨済宗妙心寺派の寺で、500年以上の歴史を持つ禅寺。元々は徳大寺家の別荘であった場所を、宝徳2年(1450年)に大名細川勝元が譲り受け、妙心寺の僧義天玄承(玄詔)を招いて禅寺とし、玄承が師の日峰宗舜を立てて開山したといわれます。

京都中が焼け野原になったという「応仁の乱」で、この龍安寺も焼失してしまいますが、勝元の子である細川政元によって長享2年(1488年)に再興され、その後豊臣秀吉や徳川家の寺領の寄付などもあり、往時には23もの塔頭(敷地内にある別院)を数える大寺院であったといいます。

その後次第に勢力は衰え、明治の廃仏毀釈時には襖絵を手放すほどの財政難に陥りました。しかし、危機を乗り越え、その後1924年に方丈庭園が国の史跡・名勝に指定され、1954年に同じく方丈庭園が国の特別名勝に、さらに1994年には方丈庭園と境内全域が世界遺産として登録され、現在に至っています。

「龍安寺」といえば、「枯山水の庭園」というほどに有名な龍安寺の石庭。

修学旅行のコースに組み込まれている事も多く、実際に目にしたことのある方も多いでしょう。かのエリザベス女王が来日した際に石庭の見学を熱望し、訪問後にはその美しさを絶賛したというエピソードもあるほどに海外にまでその静謐なる美しさは知られています。

極限にまで無駄な装飾を廃し、白砂に15の石を配しただけのシンプルの極みともいえるこの庭は、象徴的に映し出された穏やかな「流れ」、「自然」そのものを表しているかのようで、訪れるものに禅の境地を感じさせるがごとく、淡々とした静かな美しさを漂わせているのです。

これほど有名であるにもかかわらず、意外にも作庭師は不詳で、作庭の意図、テーマも不詳です。

しかし、だからこそ、見る者はそれぞれの主観で、自由に見るままに感じる事が出来る、イメージは空高く飛翔する事が出来る、実はそこにこそ作庭者の意図があるのではないかと(これもまた主観の一つですが)感じてしまうほどに、淡く穏やかで、自由で独立しているのです。

それはせせらぎに流れ行く一枚の落ち葉の様でもあります。たゆたうまま、流れるままに明滅する生命世界の間隙。原子世界と大宇宙の感応。日常生活の中で目の前のものに固執してしまい、ついどこかに忘れ、等閑になってしまう「源」、根源的で本質的なもの、が表されているのではないかとも思えるのです。

水を使わずに水を表現する、水を感じさせるために水を抜く、その枯山水の技法こそが、極小微少の表現で、極大極致の実存世界をシンボリックな形で実体化する方法なのではないでしょうか。それは多分に観念的なものかもしれませんが、肉体を越えた観念こそが実体そのものなのかもしれません。「実存」がすなわち観念ではないと言い切れるでしょうか。

事程左様に想念は実体を超えて、宇宙へと羽ばたいていきます。当然、別の事を別の人は感じるでしょう。見ても何も感じない人もいるに違いありません。ここにおいては、どれが正しいとか、どちらが正解不正解ではないのです。「感じる」とは頭がすることではなく、それは、頭に詰め込まれた知識という名の「或るデータの断片」と環境という名の媒体と記憶と体調とその日の気分を混ぜたものが、起こした「反応」にすぎません。各人に各様の発想を自由に喚起させる、この石庭の素晴らしさはきっとそこにあると思うのです。

腕のいい職人が丹精込めて作った品、特に伝統的な、例えば箸は見た目に美しいだけではなく、持つ部分の形状や先細りの具合など実際に使った時に、使いやすいように細かい部分にまで配慮がなされています。見た目にはすぐそれとわからない、気がつかない部分にまで気を配り、計算されているのです。それこそが「技」であり「心」。龍安寺の石庭にも同じように細やかな計算がなされています。

まず、一見したところ平ら(水平)に見える石庭も実は東南角にむかって僅かな傾斜がつけられているのです。こうすることによって雨が降った際にも水がきちんと流れていくようになっているのです。また、石庭を囲む塀も同じ高さに見えるが、奥に行くほど低くなるように作られています。こうすることによって、鑑賞者の目の錯覚を誘い、実際よりも奥行きがあるように見えるのです。

さらに、一見何の変哲もない普通の塀に見えるその塀も、菜種油を混ぜ込んで作る油土塀と呼ばれるもの。風雪に耐え、長年の環境の変化にも適応する非常に堅牢で丈夫な作りになっているのだといいます。この塀が無くては石庭もまた無きに等しい、石庭の美しさを際立たせる上でも大事な役割を担っているのです。


知足の蹲踞(つくばい)

方丈の東にある水戸光圀公の寄進と伝えられる蹲踞(つくばい)(手水鉢)。真ん中の四角を「口」に見立て、上右左下に「五・隹・疋・矢」を配し、「吾唯知足」(吾(われ)、ただ足るを知る)の文字が刻まれています。

実際に龍安寺に足を運ばれた方の中には、「せっかくの美しい庭も、見学者のあまりの多さにゆっくり落ち着いて見る事もできない」と思われた方も多いでしょう。

ただでさえ、人気があるスポットな上に、京都を扱う海外のメディアやガイドブックにも必ずといっていいほど登場する龍安寺は、代表的な日本の「WABI SABI」を感じられる場所として、外国人観光客にも人気があり、海外からの見学者の割合が年々増えているといいます。

とはいえ、開門直後はまだ比較的空いている場合もあるので、可能ならばその時間帯を狙う事をおすすめします。これは京都の寺社のどこにも共通する事だが、清水寺や金閣寺の様な人気のある場所も、修学旅行生や団体旅行客がまだ来ない時間帯は空いている場合があるので、早起きして出かければ、(運がよければ)独り占めできることさえあるかもしれません。是非とも試してみてはいかがでしょうか。

「群仙図」

明治28年に寺から出て以来、115年ぶりに襖絵(ふすまえ)6面が寺に戻ったことを記念し、平成23年に特別公開が行われた襖絵。これらの襖絵はアメリカでオークションにかけられたものを落札者が匿名で龍安寺に寄贈したものです。

日常を変えるきっかけはきっと身近なところにある。大それた所にではなく、至極当たり前の場所にある。自分が思っている以上に物事は些細な事で変わってしまう。いや、些少な事でこそ、全ては変わるとも言える。そもそも「変わること」そのことこそが不変の事実なのかもしれない。変化し続ける、変わり続ける。とはいえ、人の多くは変化を嫌うだろう。安定を望むだろう。

物事は淡々と変化していく。無情なまでに事物は変わっていく。人も歳を取り、やがて死んでいく。日々細胞は変化して、肉体も変わりゆく。年老いて、身体は動かなくなっていく。生を受けたその日から、この世を去るその時まで、全ては回り続ける。車輪の様に。だからこそ、負の感情は解き放ち、心穏やかに時を過ごしたいと人は願う。どれ程の大金があろうとも、どれ程の権力があろうとも、心が穏やかで無ければ、人は真の幸福を感じる事は出来ないからだ。その当たり前で簡単な様でいて難しい事、判っているようでいて判っていないこと。それがある具体的な形となって眼前に示される時、人は初めて深い所で何かを感じるのだろう。

シンプルな中にこそ、美しさがある。そのシンプルさは、我々を包む大いなる宇宙と個としての生命体との関係性の究極の表徴だ。全ては心の中にある。目の前の景色さえも心が作り出しているだけだ。綺麗だとか美しいだとか、それもみな心が作り出したものだ。体の調子がよくても悪くても、心が晴れやかでも落ち込んでいても、石はただ石としてそこにあるだけだ。それがこの石庭の作者の意とするところではないか。砂と石の羅列。そこにあるもの。そこにはきっと、目に見えるもののみがあるわけではないのだ。

そこには人の意思が入り想いがこもる。パラドキシカルにいえば、目に見えているものは実際には無い。何も無い。いや、無いのではない。そこには「無」がある。心と心の隙間。想いと想いの狭間。「無がある」ということ、それこそが、この石庭を作り上げた作者の真のメッセージであるような気がするのだ。生きている中で「有」が無く、「無」が有ることを感じた時、心の中で何かが揺れる。無情なる無常に気づく。そのきっかけは些細でも、その変化は些細ではない。そんな事を漠然と思う。宇宙と地球、他者と自己、様々な繋がり、縁。きっとどこかで何かが繋がって、ぐるりと回っている。不可知的動体は心で感じるしかない。時には大人になるにつれて失ってしまった子供の様な遊び心と純粋さで。静かな時間は「物質」を越えた透明にこそある。シンプルの極みは美しさの砕片。砂の一粒一粒と15の石、そして空間。それらは何かを思い出させ、何かを忘れさせる。変容の連続の中の気づきの小さなきっかけとなる。

ひっきりなしに人は行き過ぎる。砂の一粒一粒が邂逅する。途方もない年月をかけて砂が集まりやがて岩になり、そして、その岩がまた途方もない年月を経て砂になる。地球の砂の数よりも宇宙の星の数は多いという。それらの星にある砂の数は一体どれ位だろう。全宇宙の砂の数はいかほどだろう。その砂の幾つかがこの庭にある。極大と極小。枯山水の石庭の午後の一瞬は永遠となる。そして永遠はまた一瞬となる。水のない川はゆるり流れて行く。油土塀にかかる枝垂桜の満開の桜色が風に乗ってちらりと見えたような気がした。さて、次はどこに行こうか。

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Japan Web Magazine 編集部

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