出雲市大社町にて
公開日: 2015年7月10日 | 最終更新日 2020年4月16日
夕方の、人もまばらでとても静かな出雲大社を参拝し、のんびりと稲佐の浜の方へ徒歩で向かった。
稲佐の浜は、国譲り、国引きの神話で知られる砂浜で、旧暦の10月(神在月)に、全国の八百万の神々がやってくる浜として知られる所だ。
出雲大社から、ゆっくりと歩いても20分もかからないだろうか。道をまっすぐ歩いていくと、海岸へとたどり着く。
実は、出雲大社や稲佐の浜へ車やバスでやってきて、すぐまた次へ移動していく観光客にはあまり知られていないのだが、出雲大社と稲佐の浜の間には、静かで美しい昔ながらの町並みが、そこかしこに残っている。江戸時代を髣髴とさせるような立派な木造のお屋敷や寺院も点在し、板塀やブロック塀に囲まれた、黒い瓦をのせた木造の、趣のある情緒的な家並みが続く。
写真は、稲佐の浜へ後少しの場所で出会った風景。国道431号線から少し内側に入った、人が一人ようやくすれ違えるような細い路地の風景だ。
てくてくと歩いていると、一人のおばあさんに話しかけられた。
「あれ、~~、帰っちょったんかいね?」(正確ではないかもしれないがそんな風に聞こえた)
東京から直線距離で700キロ近く離れた場所で、知り合いにあったのかと思って驚いておばあさんの顔を見るが知らない人だ。
そもそも、呼びかけられた名前も違うし、帰ってきてたの?という時点で誰かと勘違いをしていることは明白。
丁寧におばあさんに人違いであることを説明したものの、聞こえているのかいないのか、おばあさんは構わず話し続け、あっけにとられているこちらを尻目に、柔らかな口調で「ほんなら」といって歩いて行った。
おばあさんが去って行ったあと、思わず「ふふふっ」と笑みがこぼれる。何年も前に亡くなった優しかった北海道の祖母を思い出したのだ。
言葉も違うし、見た目も違う。それでもなぜだか優しい気持ちになってしまう雰囲気。車で移動しっぱなしのことも多々あるが、そんな急ぎの取材や旅では、決して出会うことのない場面。
徒歩や馬で移動していた、明治以前の人達のように、たまにはゆっくりとしたスピードで旅をするのもいい。
地元の人との何気ない会話、ゆっくりとしたペースだからこそ見えてくるもの。本当は、そんなものこそが大事なのかもしれない。