萩城跡

萩城跡

萩城(はぎじょう)は、1604年(慶長9年)に毛利輝元により築かれた城。城が築かれた指月山に因み、別名・指月城(しづきじょう)とも呼ばれる。

徳川家康に敵対した毛利家は、関ヶ原の戦いの後、家康により改易となりそうになったものの、家康側に通じていた毛利家の家臣・吉川広家の働きもあり、大減封ながら周防・長門36万9千石の領地は辛くも維持されることとなった。

新たに城を築城するにあたり、幕府に山口、萩、防府の三箇所の候補地を申請、幕府が指定した地は萩であり、1604年(慶長9年)に輝元は築城を開始。標高143メートルの指月山を中心に、山麓に東西百十間、南北八十間の本丸、南北に堀がめぐらされその外側に二の丸、さらに堀を挟んで三の丸という構造の平山城が築かれる。本丸には高さ14.5mの白亜五層の天守閣がそびえ、藩主の居住場所や政務をとる場所などがあった。

この萩城を中心に城下町が整備され、その後、幕末~明治維新にかけ、新生日本が作られる上で重要な役割を果たした吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文ら、数多くの優秀な志士を生みだす下地が作られていったのである。

城は、1869年(明治元年)に政治の中心としての機能を失い、1874年(明治7年)には廃城となり天守閣をはじめとする建物は破却された。現在は、石垣と堀が往時の面影を残すのみだが、遺構として天守閣跡、矢倉台座跡、梨羽家茶室、旧福原家書院、万歳橋、東園などの跡があり、一帯は指月公園として整備され、本丸跡には歴代の藩主を祀る志都岐山神社が建てられている。城跡は国指定の史跡。

また、600本あまりの桜が植えられており、春には桜の名所として市民の憩いの場所となっているほか、石垣などがライトアップされて堀の水に映る夜の萩城跡を見ることができる。(ライトアップ時間:日没~22:00 ライトアップ期間:通年)

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