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宇都宮城 平安時代末期に築かれた城!?

宇都宮城 栃木の城

関東七名城のひとつ

宇都宮駅前にある大谷石を使って作られた「餃子像」から歩いて約20分、車なら10分掛かるか掛からない場所に位置するのが、平安時代末期に最初の城が築かれたといわれる宇都宮城です。

お城についてあまり詳しくない方は「平安時代の城」と聞いて少し驚くかもしれません。確かに現存12天守をはじめ、日本に現在ある城(城跡)のうち、現存・復元・復興などに関わらずいわゆるお城らしいお城(立派な天守がある城など)は、例えば、備中松山城(1240年)、大洲城(1331年)、姫路城(1346年)、首里城(14世紀末)、高知城(南北朝時代)、竹田城(1431年)、松本城(1503年)、伊予松山城(1602年)、松江城(1611年)といったように主に13世紀より後、鎌倉時代~南北朝時代以降に作られたものが多いのですが、九州の水城(みずき・664年)や大野城(665年)、多賀城(724年)といったように平安時代以前に築かれた城(城跡)も各地に残っているのです。

こちらの宇都宮城は、平安時代に、藤原秀郷もしくは藤原宗円が元となる城を築いたといわれます。その後、藤原宗円の子孫である宇都宮氏(下野宇都宮氏)の拠点となりました。戦国時代末期には豊臣秀吉が来城し、奥州の主な大名達が秀吉に謁見するために宇都宮城にやってきたと記録に残っています。

江戸時代に入ると、奥平家昌が入城、ついで本多正純が宇都宮に入封し、城と城下町の整備を行っています。現在の近世城郭としての宇都宮城の形は、この本多正純の時代に整備されたといわれます。その後は、城主が入れ替わりながら幕末を迎えますが、新選組などが好きな方ならご存じの人も多いかもしれませんが、宇都宮城は幕末に大きな激動の渦に飲み込まれることになります。

宇都宮城 栃木の城

戊辰戦争の舞台となった城

平和な江戸時代を通して、「城」としてはもはや藩政の中心、藩のシンボルとしての役割のみで、戦などの大きな変動にあうこともなく、そのまま明治時代に突入した城も多く存在した一方で、この宇都宮城は幕末の内戦である「戊辰戦争」の舞台となったのでした。

1868年5月、宇都宮は土方歳三や大鳥圭介らの旧幕府軍と、戸田忠恕、香川敬三らの新政府軍との間に起きた戦いの舞台となり、宇都宮城は炎上焼失します。この際、宇都宮市街も大きな被害を受けたといいます。

そして戦線は、長岡、白虎隊で知られる会津、五稜郭の箱館(函館)へと北へ移動していき、1869年6月、榎本武揚が降伏したことで戊辰戦争は終結したのでした。

宇都宮城 栃木の城

現在、宇都宮城一帯は「宇都宮城址公園」として整備され、市民らの憩いの場となっています。

開けた空間には芝生が植えられ、木々が並んでいます。その開放的で気持ちよい空気感と独特の存在感を放つ櫓や土塁、土塀。

つい150年ほど前にこの地で激戦があり、多くの人の命が失われ、城や町も炎上したという史実。大いなる時の流れの中の「ある瞬間」に自分もまた存在しているという厳然とした、しかし考えてみれば不思議な事実。その二つが微妙に錯綜しながらふと頭の中に流れ込んできて、そしてふっと消えていったのでした。

宇都宮城 まとめ

「城」としては現存天守などと比べると見どころはそれほど多くはないのですが、「戊辰戦争」「新選組」「幕末の志士」などのキーワードに反応する方は一度訪れてみる価値はあると思います。宇都宮駅からも歩こうと思えば歩けなくはない距離ですし、散策がてら徒歩で訪れてみるのもおすすめです。駐車場も市役所のそばに無料で駐車できる駐車場が用意されているので、車でのアクセスも容易です。公園としても開放感があって気持ちよいので、平安時代から幕末、そして現代まで思いをはせながら、のんびり歩いてみてください。

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