安芸城
安芸(安喜)土居 土佐国東部の安芸一帯を支配していた安芸親氏によって1308年(延慶元年)に築かれたと伝わる安芸城は、安芸平野の中央、安芸川沿いの小高い丘にある平山城。 安芸氏は戦国時代には土佐七雄の一人に数えられるまで
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安芸(安喜)土居 土佐国東部の安芸一帯を支配していた安芸親氏によって1308年(延慶元年)に築かれたと伝わる安芸城は、安芸平野の中央、安芸川沿いの小高い丘にある平山城。 安芸氏は戦国時代には土佐七雄の一人に数えられるまで
続きを読む五藤氏の氏社 安芸城内にある藤崎神社は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で土佐山内氏の家臣・五藤為浄とその一族を祀った神社。五藤為浄は1553年(天文22年)尾張国葉栗郡黒田(現・愛知県一宮市黒田)に生まれ、父の代
続きを読む武家屋敷の残る町並み 高知市から東へ約40km、車で約1時間の距離にある安芸市は、太平洋を望む人口1万9000人弱の町。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の出身地としても知られるところで、安芸川、伊尾木川の二つの川が四国山
続きを読む三菱財閥の基礎を作り上げた岩崎弥太郎の生家。安芸市の中心部から車で10分ほど行った、のんびりとした穏やかな景観の広がる一画にある。茅葺の母屋のほか、土蔵などが建つ敷地の周囲を生垣に囲まれており、庭には、弥太郎が少年時代に
続きを読む明治時代に作製された、安芸市のシンボル的存在の時計台。1887年(明治20年)頃、この地の地主であった畠中源馬氏が、子供の頃に父親に買ってもらったアメリカ製の時計を分解しては組み立てて構造を学び、分銅から歯車まですべての
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