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日本の塩づくりの歴史を語る上で欠かせない場所 徳島県鳴門市「福永家住宅」

福永家住宅

私たちに欠かせない調味料「塩」

普段私たちが口にしている食事(食べ物・料理)を作る上で欠かせない調味料の一つ「塩」。現代の日常生活では、特段「ありがたみ」を感じる調味料というわけではありませんし、むしろ「塩分の摂りすぎ」が問題になることも多く、スーパーマーケットなどに行けば「減塩」を謳う食品も多く売られています。

それでもやはり、「塩味」は食べ物・料理にとって最も大切な「味」の一つ。一般的な子供の食べ物の好みを見ていてもわかる通り、味付けの濃い物、しょっぱい物は、味がはっきりしていて、(しょっぱすぎない限りは)「美味しさ」「旨味」を感じやすいですし、好まれやすい傾向にありますよね。特に油(脂)との組み合わせは「舌」ひいては「脳」にストレートに伝わるごとく強烈なものであり、多少の好みの差はあれど、ラーメンやフライドポテトを好む人も多いと思います。

そんな大切な「調味料」である「塩」は、味の好み、味覚上の嗜好レベルの話を超えて、そもそも「生命を維持する上で不可欠」という厳密なレベルで私たちに欠かせないものです。

塩(ナトリウム)は体に必須のミネラルの一つであり、身体の中で浸透圧を調整し、バランスをキープする働きや脳からの電気信号を伝える働きなどがあります。ナトリウムが不足すると、血圧低下や脱水症状、むくみなどが起こりやすくなったり、脳からの信号がうまく伝わらなくなり、体調がおかしくなる、といった症状を引き起こします。

摂りすぎも問題ですが、摂らなくても大きな問題を引き起こす。普段あまり意識はしませんが、「塩」は人間にとって改めて大切な存在であるわけです。

今日はそんな塩にまつわる建物、日本の製塩の歴史を語る上で重要な史跡である、徳島県鳴門市の「福永家住宅」をご紹介しましょう。

日本有数の塩の産地

「鳴門」といえば、海の中で潮流が大きな渦をまく自然現象「鳴門の渦潮」で世界的にも有名ですが、実は鳴門では古くから塩作りが盛んに行われてきました。

干満の差が大きく、温暖で雨が少ないこと、そして綺麗な海の水が手に入ることが「塩作り」に適していた為で、発掘された遺跡の痕跡では5世紀頃にはすでに塩づくりが行われていたともいわれています。

塩づくりが特に盛んになったのは江戸時代に入ってからのこと。時代によって、入浜式、流下式、さらに戦後のイオン交換膜法と、製塩の方法は変わりながらも、作り出される塩はその品質の良さで名高く、赤穂や讃岐、備前などと並ぶ「塩の名産地」となってきた歴史があるのです。

そんな鳴門において、古くから製塩に携わってきたのが福永家。

福永家住宅

寛文年間(1661~1673)に、高島村で塩田を開いて塩作りを始めてから、代々製塩業を営んできたというお家柄。その福永家の住まいであり、作業場でもあった「福永家住宅」は、往時の塩作りの雰囲気とそれに携わる人々の暮らしの様子を今に伝える建物として、国の重要文化財にも指定されている建物なのです。

福永家住宅

現存する建物は主に1800年代前半に築かれたもので、記録によれば主屋が1828年(文政11年)、離座敷が1832年(天保3年)、土蔵が1833年(天保4年)にそれぞれ建てられています。

そのほか、納屋や塩納屋、薪納屋、釜屋、中門等があり、入浜式の塩田跡や流下式の塩田跡も残っています。

塩田跡
福永家住宅
福永家住宅
福永家住宅

歴史的に見ても、塩の製造は沿岸地域を中心に日本の各地で行われてきましたが、製塩に関連した住居と製塩の施設、入浜式塩田がまとまった形で残っているのは、ここ「福永家住宅」と「鳴門塩田公園」が全国でも唯一。

はるか昔から行われてきた製塩の歴史の痕跡と、その変遷の過程を示す重要な建物群となっているのです。

福永家住宅

鳴門は有名な「タイ」をはじめとして食べ物のとても美味しい場所であり、景色もとても美しいところ。「鳴門の渦潮」のほかにも見るべきところが幾つもあります。日本の製塩の歴史の一端を担った建築物「福永家住宅」にも足を運んでみてはいかがでしょうか。

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