生シラス
公開日: 2010年4月20日 | 最終更新日 2022年10月24日
日本の旬を食す
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透明に輝けるものたち
旬の新鮮な魚介類の持つ、あの堪らない甘みはなんだろう。むっちりねっとりとした、舌もココロもとろけるような官能的な甘み。えもいわれぬまろやかな旨みの優雅なワルツ。瞬間と連続の融合の様な、波打つような快楽の繰り返しの、あの魅力ったらない。カラダがのけぞってしまうような目くるめく気持ちよさが、十二分に全身を包み込む。凡百の過去は、稲妻の様な衝撃的感動の前に全て霧消してしまう。脳幹の奥にまで伝達された信号は、襞に張り付いて絡まりあって離れない。そして、それは幸福な記憶となって、脳とココロに鮮烈な黄金色の模様を残し続ける。その「あまみ」を思い出しただけで、舌先が濡れてしまうような、トキメキ。興奮の残滓が脊髄をつたう。再生された記憶に、脳内麻薬は溢れ出し、その格納された感動の情報だけで、白いご飯が三杯は食べられてしまう。そして、その記憶は、その感動との再会を欲し、再体験を哀願し、再現を希求するのだ。
という訳で今日は、もしかしたら、そんな体験をあなたにもたらしてくれるかも知れない食材の一つ、輝ける美しいものを取り上げてみよう。そう、「生シラス(しらす)」だ。茹でられたり干されたりする前の、新鮮取れたての「生のシラス」である。
流通機構が発達し、一昔前では考えられなかったものが、遠隔地でも食べることの出来るようになった昨今でさえもなお、「そのもの」を最高に新鮮な状態で食すためには、それが獲れる(採れる)地に赴かなくてはいけない、そんなものが往々にしてある。そう、交通と物流システムの発達した現在なら、「そのもの」自体は産地から遠隔の大都会でも比較的簡単に手に入ってしまうが、しかし、それでいてもなお、その産地で食べてこその味わいを持つ食べ物が未だに沢山あるのだ。
今日の主役、生シラスはまさにそんな食べ物の代表格。「産地で食べてこそ」、その醍醐味を十二分に堪能する事の出来る食べ物の一つだ。きらきらと艶やかに輝く透明な「生シラス」。この頃は、産地から離れた都会の大手スーパーで見かける事もあるが、それでもやはり産地で食べる新鮮取れたての生のシラスは格別だ。「地」で味わう事こそ、至高と思える食べ物の一つである。
シラスとは
しらすは何の稚魚?
ここで、シラスについてざっとおさらいしてみよう。美しい白色をしたシラス干しを大根おろしと醤油と共に、ご飯に乗せて食べる、日本の朝食のスタンダードともいえるシラスおろし。好物な方も多いだろう。時々、銀色の別の魚が入っていたり、小さなイカや蛸が入っていたりするのもご愛嬌。アツアツご飯と共にかき込めば、口の中一杯に幸せな味わいをもたらしてくれる。美味しいだけではなく、カルシウムも豊富で体にもいい。この「シラス」とは元々、鮎やウナギ、イワシ、ニシン、イカナゴなどの魚の稚魚の総称だ。「シラスウナギ」という言葉もある通り、この種の稚魚は体に色素が少なく、白色~透明色をしているのでこう呼ばれる。そもそもこの「シラス」という言葉は、一説には時代劇でよく見かける白い砂利の敷かれた裁きの場所「お白州」からきているといわれ、シラスを干している様子、その一面真っ白な状態が、お白州に似ていたことから名づけられたともいわれる。いつしか、色の薄い稚魚を総称して、シラスと呼ぶようになった。(身体が白い子、で「白子(しらす)」という説もある。)
現在、一般的に「シラス」として売られ、食されているのは、イワシの稚魚、主にかたくちイワシの稚魚だ。カタクチイワシ以外にもマイワシやウルメイワシの稚魚もシラスとして流通するが、量としてはカタクチイワシの稚魚が最も多い。
この「カタクチイワシ」は「口が頭の片側に寄っている」ようなその形から名づけられたイワシの一種で、北海道から沖縄まで広く生息し、各地で水揚げされる。縄文時代から食されていて、ヒシコイワシ、シコイワシ、シコ、ゴマメ、タヅクリ、ママゴ、ドロイワシ、エタレ、コシナガ、チイカ、カエリ、カクハリ、マル、コシナガ、クロタレ、タレクチ、チリメンなど、大きさや地域により様々な呼び名がある。タタミイワシもこのカタクチイワシの稚魚で作られる。正月料理に欠かせない田作りも、主にカタクチイワシの稚魚。もう少し大きなものは煮干になり、目刺になり、丸干しになる。食用の他、まぐろはえ縄漁の餌などとしても使われる。江戸時代には、干鰯(ほしか)として、干したものが肥料として使われ、農作物が育てられていた。カタクチイワシがどれほど日本の食卓に密接に関わりあって来たかが解るだろう。
シラスに話を戻そう。カタクチイワシやマイワシの卵は、まず沖合いを回遊するイワシから生まれた後(一匹から2千~6万個)、バラバラになって海中を漂いながら、1~2ヶ月ほどでシラスになり、潮に乗って沿岸部に近づいてくる。特に太平洋側では九州近海で生まれたシラスが黒潮に乗って北上するといわれ、静岡、愛知、兵庫が三大産地とされているほか、愛媛、大阪、徳島、和歌山、広島、高知、鹿児島、大分、神奈川、岡山などで水揚げされている。
江戸時代には、主に地引網で獲られ、水揚げされていたが、現代の様な冷蔵技術も迅速な輸送方法もない時代、足が速く傷みやすいシラスは、都市部にあまり流通する事もなく、殆ど地元で消費されていたという。何せ、現代の高級魚「マグロ」でさえ、その脂身の傷みの早さゆえにトロの部分は捨てられており、ほとんど雑魚のような扱いをされていた時代だ。都市部の人々に取っては、シラスといえばもっぱら、きちんと乾燥させたちりめんじゃこの様なものだったに違いない。
その後、明治大正と時代は移り、昭和から平成へと時を経るにつれ、漁獲法や冷蔵技術、そして流通も良くなり、加工技術もあがったことにより、現在の様に全国どこでも普通にスーパーでシラス干しが買えるようになったというわけだ。ちなみに、ただ茹でただけのものを「釜揚げしらす(釜揚げちりめん)」、さらに天日干ししたものをしらす干しと呼び、地方や乾燥の具合などによって、中干しシラス(太白ちりめん・太白・やわ干し・やわ乾・しらす・しらす干し・普通干し)、上干(上乾)チリメン(ちりめん・ちりめんじゃこ・かちり)などのように呼び名が変わる。
しらすの旬
マイワシの産卵期は冬から春にかけて、ウルメイワシは4~6月、カタクチイワシは一年中産卵をするが、特に春と秋が産卵のピーク。しらすそのものはほぼ通年獲れるが、漁の最盛期は(場所によっても時期は多少変わるが)、5~6月の春漁と10~11月の秋漁だ。小ぶりながらぷりぷりした春のシラス、冬を前に水温の低下に適応して脂ののった秋のシラス、それぞれにそれぞれの美味しさがあり、地元の人でも好みが別れるところだ。ちなみに、特に「生しらす」に限っては、通常水揚げされた当日にしか食べる事ができない。足が速く、鮮度が急激に落ちてしまうためだ。シケや不漁などにより、現地まで足を運んでも食べられない事もある。「生シラス」を求めて現地に赴く際には、お出かけの当日の朝、お店や港などに問い合わせるのがより確実だ。
しらすの栄養
骨も含めて魚体を丸ごと摂取できるシラスは、カルシウムを始め栄養素が豊富で、身体にいいとされる。実際、シラスにはどんな栄養が含まれているのかみてみよう。
カルシウム
骨の成長や維持に欠かす事のできないカルシウムは、血液凝固、筋肉の収縮・伸長などの抑制、ホルモンの分泌・伝達などにも関わる大事な栄養素だ。カルシウムの不足は、骨粗しょう症の他、動脈硬化、高血圧、糖尿病、免疫異常、認知障害、肥満、腫瘍、などを引き起こす可能性があるといわれている。シラスには、(乾燥具合によっても異なるが)、100g当たりおよそ520mgのカルシウムが含まれている。成人のカルシウム目標摂取量が600mg~なので、しらす100グラムちょっとで、一日の目標量をほぼ摂取する事が出来るというわけ。なお、カルシウムを吸収する際欠かせないのが、ビタミンDだが、シラスにはこのビタミンDも含まれ、さらにカルシウムの働きを調節するマグネシウムも含まれる。
タウリン
栄養ドリンクで御馴染みのタウリン。タコやサザエ、牡蠣、まぐろの血合いなどに特に多く含まれ、消化作用を助けるほか、神経伝達物質としても作用する。コレストロールを減らす働きがある。肝機能の働きを高めるので、二日酔いに効果があるほか、血圧の上昇を抑制する効果も。
トリプトファン
トリプトファンはアミノ酸の一種で、必須アミノ酸の一つ。トリプトファンが不足すると、脳内の神経伝達物質の一つで人間の精神活動に影響しているといわれるセレトニンが減少、鬱、不眠症、不安症、恐怖症、多動症、冷え性、偏頭痛、産後うつ、更年期障害、月経前症候群、原因不明の痛みなどの症状を引き起こす。適量を摂取する事により、前記症状の軽減の他、肥満改善にも効果があるという。一方、過剰摂取は肝硬変の原因になる。
上記の他、カリウム、鉄、亜鉛、銅、マンガン、レチノール、ビタミンD、ビタミンE、ビタミンB1、ビタミンB2、ナイアシンアミド、ビタミンB6、ビタミンB12、葉酸、パントテン酸、飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸、多価不飽和脂肪酸等が含まれる。
シラスのあれこれ
シラスは老化防止に良い?
タンパク質の合成や細胞の増殖、活性化を促進する核酸を多く含むシラス干しは、若さを保つのに効果があるといわれている。核酸は、免疫力を高め、ガンや生活習慣病を予防し、老化や痴呆の進行を緩やかにする働きがあるからだ。より効果的なのが、豆腐や枝豆などと共に食べること。豆腐などに含まれる(大豆)レシチンやサポニンと、シラスのタンパク質、ビタミンなどが結びつき、脳や細胞の老化防止に役立つという。
シラスは美肌にも効果あり?
核酸には、肌から分泌される皮脂量をコントロールする働きもあり、適量を摂取する事で、美肌にも効果があるといわれている。また核酸に結合しているプロタミンは脂肪を燃焼させ、脂質の吸収を遅らせる働きがあるといわれ、ダイエット効果もあるとか。
シラスは頭に良い?
一時期巷で話題になったDHA(ドコサヘキサエン酸)。魚類に多く含まれ、健康増進効果のほか、頭の働きを良くする効果もあるという多価不飽和脂肪酸とよばれる不飽和脂肪酸の一つだ。特に子供の大脳の発育や成長に効果絶大という。DHAを摂ることによって、急激に頭が良くなるというデータの裏づけはないが、不足すると、脳の活動が低下するので、適量の摂取は欠かせない。シラスには、このDHAと、同じく多価不飽和脂肪酸であるEPA(エイコサペンタエン酸)(IPA(イコサペンタエン酸))が含まれている。不飽和脂肪酸は血中の悪玉コレストロールを下げ、血の流れを良くしてくれるので、血栓が出来るのを防ぎ、動脈硬化予防の働きもある。アルツハイマー型痴呆や鬱病などにも効果があるといわれているのだ。
また、メチオニン、システインという髪の毛を作るために必要な成分も含まれていて、抜け毛・薄毛に効果ありともいわれている。シラスは頭の外と内、両方に良いといえるかもしれない。
さて、満を持して「生しらす」の登場だ。身体にもよく、美味しいシラス。しかし、その傷みやすさから、中々産地以外でお目にかかることのない、新鮮とれとれの生シラスの味とは。
生しらすを食す
「それ」は、小さな子供が何か素敵な発見をした時の様な、きらきらとした新鮮な驚きと、星がはじけたような躍動感のある光輝を伴って、しずしずと目の前に運ばれてきた。思わず、姿勢を正して、目を見張ってしまう。丼の上に、てんこ盛りになった透明な輝けるものたちは、各々背や腹を見せながら、思い思いにそこに固まっていた。つい数時間前まで、確かに生きていたその鼓動が、その衝動が、こちらにひしひしと伝わってくるかのような、艶やかで滑らかな命の塊が、そこに横たわっていた。身体は透けて、ほのかな紅色がさしたものもいる。うっすらと鱗をはやしながら、泳ぎ出しそうな形のやつもいる。真っ直ぐ伸びたり、右に左にくねったり。絡まり合いながら、もつれ合いながら、彼らはそこに存在していた。美しくも純粋で、なよらかなる官能。ちりりと走る背徳の囁き。つやつやと煌めきながら、海風を受けている。各個体にもれなくついた、まん丸の可愛らしい目が、まるで最期の密かな抵抗をしているかのように、瞬き(まばたき)もせず、こちらを見ている。
ややもすれば、偽善的感傷が心の端で俄かに沸き起こりそうになるのを感じながら、おもむろに箸でその塊の一部を持ち上げた。箸の重みは、十数匹の命の重みだ。それを生姜と共に、醤油にちょんとつけて、口の中にほおりこむ。むっちり、ねっとりとした落ち着いた甘みが、芳醇な香りが、コクのある旨みが、口の中を走り抜けていく。いや、泳ぎすぎてゆく。命の残像が、仄かなほろ苦さとなって、まったりと通り過ぎてゆく。それを、純粋に「美味しい」と思ってしまうことが、果たして「命」への冒涜なのか、それとも感謝なのか。今はそんなことさえ、霞んでしまうほどに、意識は別次元の彼方へと飛んでいく。頭の中は迫り来る「美味」に支配される。目くるめく「美味」に支配されてしまう。全身、ただただ、「それ」に占有されてしまう。舌にまとわりつきながら、旨みが螺旋を描いて、喉の奥に滑り込んでいく。それは、柔らかで官能的なその食感と相まって、さざなみのような甘美な快感をもたらす。ああ、悟りの道は、遙か遠くだ。こうなったらもう、全てを飲み込んで、全てを取り込んで、一言「ありがとう」と言うしかない。
生き物は命を喰らって生きている。ヒトは、他者の命を貰って生きている。綺麗ごとでもなんでもなく、それは厳然たる事実だ。それが例え、植物由来であろうが、動物由来であろうが、己が命を長らえる為に、他者の命を頂いて生きている。肉にしても魚にしても、(例えばそれが切り身になって調理されてしまえば中々「命」のイメージはわきにくいが)、どんな形であれ、命を「頂いて」生きているわけだ。
シラス達の、こちらを見つめる沢山のつぶらな瞳は、そこに確かに「命」があったことを伝えている。その命の残り香が、まろやかで高貴な香りとなって、喉を通って滑り落ちていく。崇高な気配がゆるりと漂う。そこには、脈動する衝動のような、何かが弾け飛んでしまう凄みの様なものさえ漂っている。命が命を喰らう事。普段、巧妙に形を変えているが故に、眼前にあまり突きつけられることのない、圧倒的な事実がそこにある。その「美味しさ」は、人間の扇情的感覚が作り出した、大いなる宇宙の営みの中における「エゴ」の絡まりあいの一部分かもしれない。しかし、大海原を自由に泳いでいたであろう命が、「美味」という名の官能を伴って、自身の身体の奥底へ吸い込まれていくその感覚は、ある種、究極の自己の生存確認を伴う体験でもある。命の塊を、生命の躍動を、命が存在していたその原型のままに、そのほとばしる命の火をどこかに感じながら仕舞い込み、あくまで利己的に己が体に取り込んでいく時、それを咀嚼して嚥下する時、体中に巻き起こる全身を震わせるようなその感情は、罪悪や感謝や欲望や諦念を内包しながら、絶対的力強さでもって、身体を支配してしまう。命の連鎖の不可思議さをどこかに強く匂いつつ、内なる爆発の繰り返しを感じているような、至極感情的な感覚だ。その瞬間、身体は寄せる波と共に、海に繋がっていくような錯覚さえ覚えるのだ。
ヒトが命を喰らって生きる以上、そこについてまわる感情。感傷。当然それは、人それぞれ違う。生まれ育った環境や、習慣や、宗教や、価値観や、馴れや、思い込みで変わるだろう。よく知られているように、一部の例外を除いて、魚を生で食べるのは世界を見ても、日本だけだ。勿論、諸外国でも酢でしめたり、発酵させたり、牡蠣やムール貝を生で食べたりはするが、魚を、そのまま、もしくは、ちょいと味をつけて生で食べるという食べ方を日常的にするのは、日本だけといっても差し支えないだろう。あの、四足のものは椅子以外、飛ぶものは飛行機以外食べてしまうという表現される世界屈指のグルマン、中国人でさえ、魚を生で食べる事はあまりしないという。しかし、生は旨い。それを証明するかのように、かつては「raw fish?」と眉を顰めていたような諸外国人でさえも、新鮮な魚をしかるべき処置をして、しかるべき食べ方で食べれば美味しいという事に気づき、今や「Sushi」や「Sashimi」は世界標準語となった。新鮮なものを新鮮なままに。素材をそのままで。そうして食べる事の素晴らしさ。この至高の食体験、極致的「命」の頂き方。それは形を変え、巡り巡って、或る謙虚さとなって「命を尊ぶ」ということにも繋がっていくのではないだろうか。命を感じる事によって、改めて命に感謝し、そして自然に感謝する心に繋がっていくような気がするのだ。そんなことを、最後の一口、箸の上に乗せられたシラス達を、まさに口の中に運ばんとするその瞬間、箸の上のシラスの目を見ながら、ぼんやりと思った。
生シラスは、首都圏なら湘南江ノ島のものが有名。ほかに静岡の駿河湾沿岸(由比)、遠州灘(舞阪、福田)、和歌山の湯浅などなど、シラスを水揚げしている場所なら、大抵めぐり合う事が出来る。(シラスの水揚げのある日のみ。)
旬の生シラスの圧倒的な美味なる世界。その甘みやほろ苦さは、新鮮獲れたてでなければ、中々体験できないもの。是非、現地まで足を運び、海の風を感じながら、試してみていただきたい。