金峯神社

金峯神社

金峯神社

 

吉野の最奥に佇む社

桜の名所として知られる吉野は一目千本と言われるその圧倒的壮観を表してエリアごとに山下から山上へ順に下千本、中千本、上千本と呼ばれている。さらにその奥、吉野水分神社から上のエリアが奥千本と呼ばれる地域だ。吉野水分神社から登っていくと早々に民家はなくなり、人気(ひとけ)も少なくなる。両側は鬱蒼とした木々に覆われ、道は右に左にくねり、徐々に心細くなりかける頃にようやくたどり着くのが、吉野の最奥、奥千本の深奥にひっそりと佇む古社「金峯神社」。通称、金精明神とも呼ばれるこの金峯神社は、子守明神(吉野水分神社)、芝明神(八大竜王社)、勝手明神(吉野山口神社)、井光明神(井光神社八幡宮)、威徳天満宮、幣掛神社、牛頭天王社(廃絶)と共に吉野八社明神として知られる神社で、古くから広く崇敬を集めてきた古式ゆかしい神社だ。主祭神は吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと・金山彦神)。

吉野から熊野にかけてはエリア全域が修験の場ともいえるほどに、広大な範囲に渡って数多くの様々な堂宇や要所が点在しているが、この地域も修験の場として中世頃より特に知られてきた場所。この金峯神社は吉野山から山上ケ岳を経て熊野三山に詣でる大峯奥駈道の71番靡であり、鎌倉時代には付近に宿坊なども多く建ち並ぶ門前町として賑わいを見せていたという。

バスの転回場の脇にある鳥居をくぐった先に登り勾配の参道がのびている。境内までおよそ300メートルほどの参道の両側の木々は無残にも伐採され、人気(ひとけ)の無さとどんよりとした曇り空もあいまって殺伐とした雰囲気を漂わせていたが、これはかつてこのあたりにも沢山生えていたという桜を植え桜並木を再現するためのものという。支えと共に桜の若木が風に吹かれていた。

朝廷から無断で官位を授かったという理由で兄源頼朝の怒りを買った義経は京都の堀川邸を追われるようにして都落ちをし、摂津の国を経て、この吉野まで逃げ延びてきた。いよいよ頼朝の追っ手がすぐ背後まで迫り、隠れ家であった吉水院(現在の吉水神社)から離れ、奥吉野から談山神社へと向う際に逃げ込んだのがこの金峯神社のお堂であったという。追っ手に囲まれた義経ら一行であったが、屋根を蹴破り辛くも逃げ延びた。義経が身を隠したその堂は義経隠れ塔、屋根を蹴破って逃げたので、蹴抜(けぬ)けの塔と呼ばれ、今も神社の境内に残っている。

 

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金峯神社

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