日本の動物

ニホンカモシカ

ニホンカモシカ

ニホンカモシカ

山道の邂逅

早春のある日の事。静岡と山梨県の県境に近い山岳地帯、殆どすれ違うものもない山道をのんびり車で走っていると、突然、右側の岩崖の上に命の気配。車を少し先の路肩に止めてゆっくり近づいてみると、それは、美しくも雄々しい姿でこちらを見下ろすカモシカだった。じっと動かずにただこちらを見ている。よくよく見れば可愛らしいその表情も、全身から放たれるオーラの様なものの中で輝き、周囲の雰囲気、荒々しい崖と空気のヒンヤリした感じが相まって、何かこう、とても高貴なものにも見える。何と言えばいいだろう。シカなどと遭遇した時の感じとは明らかに違うのだ。それはまるで神の使いの様に、こちらをじっと見つめていた。レンズ越しにこちらの心の中までも見透かされてしまうような感覚だ。

またぎの人々の間に、「アオの寒立ち」という言葉があるという。アオとはまたぎの言葉でカモシカの事。好奇心の強いカモシカは、あまり人に怯えず、わざわざ姿を見せる事もあるというが、特に寒い冬の日に、周囲を見渡せる崖の上などで何時間も立ったまま動かないというのだ。

それは見ようによっては、下界を見下ろす森の神の使いのようにも見えるだろう。世界を睥睨しながら、何をか思う。

昭和30年、3000頭にまで減ってしまったカモシカは、「特別天然記念物」に指定される。その後、天敵であったニホンオオカミの絶滅などで個体数が増える一方で、国の「拡大造林政策」によって開発植樹された地域と彼らの生息域が重なったため、芽や皮などの「食害」や農作物の「被害」が出、それは次第に全国へと広がっていった。7万頭から10万頭にまで増えたといわれる「保護されるべき特別天然記念物」は、かたや害獣として「駆除」もされているのが現状という。

「人」の都合で、彼らは振り回される。

地球温暖化。天変地異。地震が起き、津波が生まれる。嵐が来て、洪水が起こる。人の手で、又は自ずから、徐々に荒廃してゆく自然。森の砂漠化。川や湖の消滅。無計画な水資源利用の結果50年で面積にして10分の1の大きさにまで干上がってしまった「アラル海の消滅」について知っている人も多いだろう。人類の文明の発達とは裏腹に、どこか何かが掠れてゆく。何かが少しずつ、しかし確実に消えていく。

無論、荒廃や消滅も大きな視点に立ってみれば、それは大いなる流れの中の一つの変化、出来事なのかもしれない。荒廃や消滅さえも、崇高なる自然の摂理なのかもしれない。

何かが確実に失われ、何かが確実にひっかかり、何かが確実に落とされていく。生命体として、大切なはずの何かをどこかに置いてきたまま、あらぬ方向に邁進したりもする。空にむかって唾を吐きかけようとする。

「それ」は本当に必要なのだろうか。「それ」は本当にそうあるべきなのだろうか。全てはあべこべなのではないのだろうか。

とはいえ、今日を生きる「森の哲学者」にとっては、そんな事はきっと関係がない。月にロケットが飛ぼうが、染色体が操作され体が光る革命的な動物が生まれようが、きっと何の関心もない。ただ毎日を静かに暮らしている。自分達の世界が脅かされない限りは。

実際は2、3分の出来事なのだろうが、10分も20分も見つめ合っていたような気がする。崖の上の生命(いのち)は、おもむろに首を動かすと、突然崖を駆け上った。二度、三度、立ち止まりこちらを振り返る。つぶらな瞳でこちらをじっと見る。そして軽やかに崖の向こうに消えていった。緊張と安堵が交差する。寒さと熱が入り混じる。喪失感と昂揚と安堵と惜別。何かを持ち去り、何かを残して、彼は静かに去っていった。

ニホンカモシカ

カモシカの寿命はおよそ15年。同じ縄張り内の同性に対しては、攻撃的排他的だが、異性の場合はそのままつがいになる事も多いという。眼の下にある大きな突起は眼下腺。ここから分泌される分泌液でマーキングを行う。

ニホンカモシカ

ニホンカモシカ

ニホンカモシカ

蹄が二つになっているため、足場が悪い場所でも安定して歩く事が出来る。急な斜面を突然軽やかに駆け上った。

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Japan Web Magazine 編集部

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