奄美大島の歴史

奄美大島

先史時代から今の日本本土と沖縄それぞれの地域と交流があったことが数々の遺跡や貝塚から出土した品々によって証明されている奄美大島は、7~8世紀頃から14世紀頃までの自立的な立場での交易時代、その後の琉球王国や薩摩藩に支配された時代、明治以後の日本国家の元に編入された時代、戦後一時期のアメリカ占領時代を経て現在に至っている。

奄美大島歴史トピックス

歴史書に登場する奄美

「日本書紀」に、それぞれ「海見嶋」、「阿麻弥人」、そして続日本書紀に、「菴美」、「奄美」という記述が見られ、いずれも奄美大島及び近隣諸島のことだと考えられている。また「延喜式」には遣唐使の中に「奄美語」を話す通訳を置くことが規定として記述されている。

奄美大島の取り合い

位置的に、ほぼ薩摩(鹿児島)と琉球(沖縄)の中間に位置する奄美諸島は、15世紀半ばに琉球王国が成立後、奄美地域の支配権を巡って、薩摩と琉球の争いが度々起きたという。戦いを制した琉球側が奄美一帯を支配、16世紀後半までその支配は続く事となる。しかし、徳川幕府が成立後、3000名の兵を連れて薩摩を出立した島津軍が奄美大島、徳之島、沖永良部島を次々と制圧、出兵からほぼ一ヶ月で琉球本土の今帰仁城を陥落、首里城に迫り、ついにはこれを接収した。こうして琉球王国から奄美大島の支配権が薩摩藩に移ることとなる。

薩摩藩の財政悪化を救ったもの

江戸時代も末期になると薩摩藩は財政難に陥った。倒幕の気運が高かった貧困の薩摩を救ったのは、奄美大島の砂糖黍(さとうきび)だと言われている。独占的支配をしていた奄美大島で獲れる砂糖を売り、そのお金で軍艦を買い、薩摩藩は復興。倒幕の中心となり、明治維新でも勢力を保ち続けたのだ。

奄美大島

奄美大島のサトウキビ

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